民主党の
小沢代表が
辞任表明をしました。
今さら遅い、という気もしますが…
あまりにも遅過ぎたためか、麻生総理から「何の理由で辞めるのか、よく分からない」とも言われているが安倍や福田という「理由もいわずに総理を投げ出した」前例のある政党の人間には言われたくは無いだろう。
理由は単純に「イメージが悪くなって選挙に勝てないから」だと思う。
もちろんイメージが悪くなった原因である
献金問題も関係しているだろうけど、直接の原因は世論調査による支持率の低下ではないだろうか。
要するに「選挙に勝てない」という理由なわけで、この辺の事情は自民党と同じなのだろう。
さて、結局あの
献金問題もわけがわからないままウヤムヤになり始めてしまっている。
小沢代表だけでなく現役閣僚にまで飛び火したのになぜかウヤムヤ。
それだけに当初から囁かれていた「陰謀説」が説得力を持って来てしまっているような感じもする。
報道によると一部識者の間からは「あの捜査は問題があり、その問題がある捜査が原因で
辞任をするのは民主主義の原則に反するから、民主主義を守るためには絶対辞めてはならない」というような意見もあるようだ。
小沢代表自身も最初から「違法性は無い」と主張を続けている。
そのため余計に「ならばなぜ辞めるのだ?」という意見が「政界の周辺」からは出てきている。
こういう報道に接しているとわけがわからなくなってくるので、一歩引いてみよう。
そもそもなぜ
小沢代表が
辞任するのかと言えば「支持率が下がったから」だろう。
なぜ支持率が下がったかと言えば「
献金問題」があったからだ。
しかし
献金問題自体に色々と疑問があるわけだ。
献金自体は合法であるとか、捜査のやり方に問題があるとか…
では、そんな疑惑のあるもしかしたらでっち上げのインチキかもしれない「
献金問題」でなぜ支持率が下がるのか、という事になる。
つまるところ「国民が理解していないから支持率が下がった」という事になりはしないだろうか?
政界の周辺の考え方でいくなら「支持率が下がる事自体がおかしい」という事になってしまう。
もちろん支持率が下がらなければ「
小沢辞任」は無かった、という事になる。
いわゆる「識者」達の言い分で考えるならば「
小沢は悪くなく、それを理解しない国民に問題がある」という事にもなるだろう。
国民が悪いのだろうか?
物事の本質を理解せずただ批判ばかりしている国民には問題はありそうだ。
が、それに文句を言って何か変わるのか?
あの
献金問題の際に
小沢代表が言っていた言葉がある。
「政治には金がかかる」と。
国民の多くは「なぜ政治に金がかかるのか?」という疑問を抱いているわけで、そこに対する回答は少々はっきりしないものだったのだが、一つ確かに言っていた事がある。
「大勢のスタッフを抱えているので人件費がかかる」と。
そんなに大勢のスタッフがなぜ必要なのか、という疑問はさておき、ちょっとこの人件費を考えてみよう。
与党の場合、政策の立案などはいざとなったら官僚を使えば良いので人材面で問題は無いだろう。
問題は野党だ。
野党が政策を考えるためにはどうすればいいのだろうか?
官僚任せには出来るわけが無い。
場合によっては官僚自身の待遇に関する事も扱うのだから、それを官僚に任せるわけにはいかない。
もちろん「議員本人が考えやがれ」で済ませられればそれに越した事は無いが、そうは行かないだろう。
国会議員全員が政治経済法律産業など、ありとあらゆる面において超一流の知識を持っている人たちでなおかつ現場がわかっている人間ならば何の問題も無いが、そんな人間…いるか?
国会に、ではなく日本中探したってそんなスーパーマンみたいな人物はいないだろう。
国を動かす方法を考えるわけだから当然それなりの水準の人材が必要だろう。
しかも一人二人ではなく、ありとあらゆる分野の人材を幅広く集める必要がある。
当然超一流の人材なので、それなりの給料が発生してしまうだろう。
それだけの能力がある人たちに向かって「お国のためなのだからタダ働きしやがれ」という訳には行くまい。
国策なのでその時だけ手伝って、というわけにもいかないだろう。
片手まで作った政策で国家の行方を決めてもらっては困るだろうし。
となると「超一流の人材を専任スタッフとして常時雇用」する必要があるはずだ。
例えば大学教授レベルの人たちを常時雇用、ということになる。
先日全く別のニュースで大学教授の給料が明かされていた。
大体1千万クラスだそうだ。
非常勤講師だとワーキングプア同然らしいが…
政策と言っても多岐に渡る。
各省庁の各分野それぞれに対応できる専門家を雇う、それだけでも年間数億という金額になりそうだ。
しかもその人材たちも一人では仕事がはかどらないだろうから、当然助手のような人物が必要だ。
そこまで入れるとさらに金額は膨れ上がる。
もちろんこれとは別に「必要経費」だってかかるだろう。
マジメに政治だけに打ち込んでいてもかなりの金額が必要そうだ。
これら全てを政党交付金で賄えるのだろうか、という事になる。
政党にはその他にも政党の事務スタッフの給料や家賃など、様々に経費がかかるだろうからそこまで考えるとどれぐらいの金額が必要なのかは想像できない。
無論これは「政治家が一切悪い事をしていない」のが前提なのだが、マジメにやっても結構な額が必要になりそうなのはわかる。
そのためには「
献金」が必要なのだろう。
国民としては「それだけのコストに見合った政治をしているのか?」という疑問があるわけだが、逆に「どれだけのコストを払えばどの程度の政治が出来るか」という基準が無い以上、この国民の疑問や不信感は永遠に無くならない。
そしてその基準を作ることはおそらく困難だろう。
他国と比べるのが手っ取り早いが、その国ごとに細かい事情や人件費などが異なる以上、単純な比較対照などできないはずだ。
単純にたくさんの人材を雇えば良いアイデアが生まれる、というわけでもないだろうし、かといって「天才が一人いれば良い」という問題でもないはず。
多角的にあらゆる事を検討するためには「結果として使わなかったデータ」も出しておく必要があるだろうし…
そういう無駄になるかもしれない費用も、正確さを追求するためには必要だろう。
その辺りのバランスの適正値など無いのではないだろうか。
「政治とコスト」の天秤の適正値は「神のみぞ知る」という事になってしまうかもしれない。
お金はいくらあっても足りないし、かといってたくさんあってもそれが全て活かされるわけでもない。
考え始めるとかなり面倒な問題だが、こうやって考えると「お金が足りない」という事情も多少は納得できる。
だからといって特定企業からの多額の
献金に問題が無いとは言えない。
ではどうすればいいのだろうか?
アメリカでは政治家に対する個人
献金が一般に浸透しているようだ。
オバマ大統領はものすごい人数からちょっとずつ
献金してもらう事で、歴代大統領と比べても遜色が無いほどの
献金を集めていた。
日本では出来ないのだろうか?
実はある政治家がすでにやっているらしいのだが、結果は芳しくなかったようだ。
わずか数人がホンのお涙程度の
献金をしただけ…
それことアルバイトでもした方が余程効率が良いという始末だった。
日本人はケチなのだろうか?
だが「募金」は結構集まったりする。
決してケチというわけでもない。
でも「
献金」はしない。
「
献金」だけでなく「寄付」も少なそうだ。
これはどういう事なのだろうか?
何の根拠も無い仮説だが、日本人にはアメリカとは違った精神構造があるのかもしれない。
「募金」はしても「寄付」はしない、という事。
「募金」と「寄付」は似ているがここではあえて言葉を分ける事にした。
・「募金」…困っている人を助けること。
・「寄付」…その人物ないし団体を応援すること。
としてみた。
「募金」は募金箱とか義援金をイメージしてもらえばいい。
「寄付」は教会とかNGOとかボランティア団体とか学校とかに対して行う事、と思ってもらえればいい。
こうやって考えると日本人は「困っている人は助けるけれど、正しい事をしている人を支えたりはしない」という事になるのではないだろうか。
もっとハッキリと言えば、病人やけが人など明らかな「弱者」には手を差し伸べるが、正義のために戦うスーパーヒーローのような「強者」は放っておくのだ。
誰も「ウルトラマンや仮面ライダーに寄付しよう」などとは思わないだろう。
「正義の為にやってます」と言う人たちに対して「おぉ偉いなぁ、勝手に頑張ってくれ」というのが日本人の現実。
誰もヒーローが金欠だとは思わないだろうし…
政治や社会的な活動に対しても同じような意識なのではないだろうか。
仮に、である。
日本人の多くの人が寄付意識を持っていたらどうなるだろう?
あなたは「一ヶ月に100円」を誰かの為に使う事ができるだろうか。
100円、そんなに難しい額ではないと思う。
月に一回缶ジュースを飲むのをガマンするとか、昼食のグレードをちょっと落とすとかその程度で捻出できる額だ。
100円を落としたら「ちょっと悔しいけどまぁいいか…」で済むだろう。
100円とはそういう金額。
では、この100円が積もりに積もったらどうなるだろう。
日本の人口を1億としよう。
全員が100円を寄付したら100億円である。
投票率は大体50パーセントなので、国民の半数が「政治に関心がある」としよう。
さらに二大政党制が拮抗していると仮定すると、一つの党にはその半分の支持者がいることになる。
100億の半分の半分…25億である。
これが「毎月入ってくる」としたら?
もしも政党に毎月25億入ってくるとしたら、相当に優秀なスタッフを集めてかなり高度な政策が練れるのではないだろうか。
これがわずか「毎月一回缶ジュースをガマンする」だけで手に入る政治レベル。
世の中には芸能人のファンだからという理由で月に100円以上のお金を使う人間などいくらでもいる。
小泉フィーバーの際には小泉元総理のポスターなどがさながら芸能人グッズのように売れていた。
日本人が寄付をしない人たちだとしても、少し意識が変わるだけで大きな変化になる土壌は十分にありそうだ。
現在の所「100円の寄付」を効率よく集めるシステムというモノが存在しないが、その気になればどうにでも出来そうである。
もしこういうシステムが完成すれば、今までのような「政治と金」の問題はかなり減るのではないだろうか。
こういうシステムがあれば「
小沢の
献金問題」は発生せず、「
小沢辞任」も無かったかもしれない。
政治に対する関心も高くなっているだろうから「検察の捜査に対する疑惑」も問題視したかもしれない。
とは言っても今現在そんな物は存在しない。
「検察の疑惑」や「
献金問題」に対する国民の反応は「識者」が想定する「理想的な民主主義国家の国民」からはかけ離れているし、上記のようなシステムを構築しようという意思すら感じられない。
正常な民主主義の確立のためには「政権交代が出来るシステム」は絶対に必要だろう。
事実上の一党独裁状態だと、「理想的な社会」を作ろうとする「志のある人」は主義主張とは関係なく「与党」から立候補せざるを得ない。
社会を変えるには与党である必要があるが、政権交代が出来ないのであれば例え自分の理想と異なっていても与党に行くしか道が無いのだから。
そして上手く与党に入ってもそれで終わりではない。
与党の中には「違う理想社会」を思い描いている「志ある人」が他にもいるので、そこで党内でのパワーゲームが始まってしまう。
「利権を守る人たち」や「悪い事をする人たち」が存在しなかったとしても、政権交代が出来ないだけで党内での「正義対正義」の綱引きが始まってしまうのだ。
そして与党の迷走が始まり政治の停滞に陥る。
「完全なる性善説」でモノを考えても「理想的な社会の形は一つとは限らない」という要素を加えただけで、政権交代できない事の問題が浮上してしまう。
政権交代が可能であれば、それぞれの人材はそれぞれ自分の理想に近い政党に入るなり、自ら政党を立ち上げるなりするので、こういう形での政治の停滞は避けられる。
政権交代はそれ自体が民主主義にとって必要不可欠な要素なのだ。
今回
小沢代表が
辞任したのが良いか悪いかは判断が分かれるだろう。
「識者」たちはこれを「辻褄が合わない」とか「民主主義が検察権力に蹂躙される」などと批難するだろう。
しかし、「民主主義を正常に機能させる」という視点で考えれば、
小沢代表が辞める事で政権交代が可能になるのならば、
小沢辞任は正しい判断と言えるだろう。
「検察の疑惑」や「政治とコスト」の問題は残るが、国民がその議論についていけるレベルに到達していないのだから、これはもう仕方が無い。
まず先に「政権交代が出来る状態」にして「民主主義を正常化」しない事には、国民の政治レベルも上がらないだろう。
仮に
小沢代表に全く落ち度が無くて何の問題も無く今回の事件が「検察の陰謀」であったとしても、その後政権交代が出来れば
小沢辞任は「尊い犠牲」という事になるのではないだろうか。
長い目で見れば「民主主義が正常化する事」が重要であり、その前には「一政治家の政治生命」など大事の前の小事に過ぎない。
献金問題が法的に正しいかどうかではなく「民主主義を正常化するため」に「アホな国民のレベルに合わせる」必要があるはずだ。
そこまで考えれば「ここまで長引かせずに問題が発覚した直後に辞めるべきだった」のではないかと思う。
これで「辞める時期を逸したために政権交代が出来なかった」のでは、それこそ「
小沢代表無駄死に」である。
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