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 何だか色々出てきてます…
 官房機密費の使い道を公表すべきだ、とか外務省に密約文書が見つかったとか。
 どちらも「公然の秘密」という感じなのですが。
 民主党は「官房機密費は公開すべきだ」と言っていたのに、野党から与党に変わった途端歯切れが悪くなったとか。
 一方それを追求している野党・自民党も与党時代の怪しさが出てきました。
 先の衆院選直後、退陣が決まったのに当時の官房長官が2億5千万円も機密費を引き出していたとか…
 これから退陣すると言うのに、一体何に使ったんでしょうかねぇ?
 もしかしてポケットに入れちゃった?
 それとも落選した議員に「しばらくの生活費」とか何とか言って配っちゃったとか…
 真相はわかりませんが、あらぬ疑いを持ちたくもなります。
 官房機密費は使途を明らかにしなくて良いお金なので、「個人的に使い込んだとしても誰も文句を言えない」のですが…
 どうなんでしょうねぇ、このお金。
 外交の際に「お土産」として使った事がある、という証言を自民党の石破さんがしています。
 他にも昔から「国会対策で野党に配っていた」という話もあるようです。
 …日本で一番きな臭い公金、です。
 まぁ、こういう「公に認められている怪しいお金」というモノも場合によっては必要でしょう。
 なので、その存在自体を否定するつもりはありません。
 が、この官房機密費、年間10億円以上も予算が付いているんですよね。
 仮にですよ、仮に「極めて自己中心的で自分の利益しか考えない人間」が官房長官の職に就き、国のためにも当のためにも一切使わず、全額自分のポケットに入れたとして、しかもその政権が3年ぐらい続いたとしたら30億円以上の税金が「一個人の懐に入っていく」わけです。
 実際にはそういう事は起こらないとは思いますが、可能性としては十分ありうるわけです。
 これで本当に良いんでしょうか?
 年間10億円以上もの大金が「何に使われているのか永遠に分からない」というのはちょっと異常なことのように思えるのですが。
 一部では「全て公開せよ」という意見もあるようですが、全て公開するというのもそれはそれで問題がありそうです。
 例えば「外交の裏工作」として使う可能性もあるわけですよね。
 裏工作自体が良いか悪いかはともかく、その裏工作の結果日本に大きな国益がもたらされるのだとしたら、それはある意味で「税金の有効利用」なわけです。
 全て公開してしまうと、そういう使い道が出来なくなるので、外交の際の駆引きがさらに難しくなる可能性もあります。
 場合によっては国益を損ねるかもしれない。
 そういう事を考えると安易に公開せよ、とも言え無いのですが公開しない事には本当に有効利用されているかどうかもわかりません。
 微妙なところです。

 そこでどうでしょう?
 一定期間後に全部公開、というのは。
 一定期間というのは30年後とか50年後の事です。
 外務省の密約文書もそうなのですが、国家には当然国家機密というものがあるので、全て無条件で公開するというのは危険です。
 しかし全て非公開というのも透明性が無くなるという意味で問題がある。
 だからこそ「明らかになっても問題が無さそうなくらい時間が経ったら公開する」という選択肢にすればいいのではないでしょうか。
 海外などではほぼ全ての公文書が一定期間経過後に公開されているそうです。
 先の外務省の密約文書も、元々は数年前にアメリカの方で公開されて「密約の存在」が明らかになっていました。
 海外では「存在する」事が明らかになっているのに、日本だけはいつまでも「そんな物は存在しない」の一点張りでした。
 おかしな話です。
 これではまるで「アメリカは嘘つきだ」と政府が公言しているようなものです。
 もちろん逆もまた然りですが…
 こういうおかしな矛盾が起きるのも、日本が「機密文書を永遠に非公開にする」という方針を採っているからですし、こういう方針があるから政治家や官僚が悪事を働く抜け道にもなってしまうのでしょう。
 だからこそ「一定期間経過後に無条件で全て公開」にすればいいのではないでしょうか?
 官房機密費だって30年も経てばその使い道が明らかになったって、それで何か大きな問題が起こる事も無いでしょう。
 しかし、いつか必ず公開されると分かっていたら、政治家だって「自分の懐に入れる」というような事は出来なくなりますよね。
 「30年経ったらどうせ俺は死んでいるからまぁいいや」というロクでもない人間ならともかくとして、真っ当な人間ならば最終的に明らかにされてしまうのならばあまり変な使い方は出来ない、と悪用や流用に対する精神的な歯止めにはなるのではないでしょうか?
 今すぐに全てを公開せよ、と言うつもりはありません。
 しかし現政権の内に「いつか必ず明らかにする」という方針へ方向転換して欲しいものです。
 そうやって、時間が過ぎてからであったとしても税金の使い道は全て明らかにする、という考え方を定着させる事こそが国民の知る権利の確保であり、真の民主主義国家への道であり、汚職などの予防に繋がっていくのではないでしょうか?
 またそうする事で後世に、今のこの時代の政治の出来事を正確に伝える事になり、それぞれの時代の政治が本当に正しかったのかを検証する事に繋がると思うのです。
 そうやって検証する事が可能になれば、そこからさらに「より良い政治」に改良されていく可能性だって生まれてくるはずです。
 より良い未来、より良い民主主義のためにも「一定期間経過後の公開」は必要なのではないでしょうか?

 追記
 逆の考え方として、現役時代に「ダメな内閣」と称されたような内閣でも、後世その内情が明らかになる事によって、政治家としての名誉が回復される、という可能性もあります。
 政治家にとっても国家にとっても有益だと思うのですが…
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 最近すっかり影が薄くなってしまっている自民党ですが、本当に再生できるのでしょうか?
 「二大政党制」のためには早めに再生してもらわないと困るのですが…
 そんな自民党ですが、もう前回の選挙の公約を撤回し始めたようです。
 自民党の政権構想会議で衆院選の公約にあった「世襲候補の制限」を撤回してしまったそうです。
 …なぜ?
 公約は状況によっては必ずしも守る必要は無いのかもしれません。
 例えば現在の民主党のマニフェスト至上主義も現実的な財政問題を考えると、場合によっては考え直した方がいいのでは…と思う事もあります。
 ですが、世襲制限は予算とか関係ないですよね?
 自民党は「保守政党」なのだそうですけど、これではむしろ「保身政党」なのではないでしょうか?
 なぜ一度やると決めた事をわずか数ヶ月で撤回してしまうのでしょう?
 しかも「状況が許さない」というような外的要因は無いですよねぇ…
 自民党の言い分としては「世襲の中にも優秀な方が居られる」との事ですが、逆に「世襲以外の方の中にも優秀な方は居られる」はずなんですけど。
 広く世間一般から優秀な人材を集めようというのならば、世襲制限はある程度あった方がいいのではないでしょうか?
 何も「立候補禁止」というわけではなく、「親とは違う選挙区から立候補する」だけでもいいです。
 そういう事もしないつもりなのでしょうか?
 一応「世襲優先」というわけではなく「原則として公募」で、「例外的に世襲議員にも道を開く」というつもりなのでしょうけど、この見解に反するかのような事が既に起きているみたいです。
 次期参議院選挙の候補者選びの基本方針が次のようなものです。
 1・県連所属議員20人の推薦
 2・有権者100人の推薦
 3・県連・支部の推薦
 これらの内、2つの条件を満たす事が必要なんだそうです。
 しかもこれで得られるのは「公認」ではなく「候補者に公募するための資格」なのです。
 わかりますか?
 「候補者になるために公募する」ための資格がこれなんですよ?
 3つの内2つ満たせば良い、という事になってますけど「県連所属議員20人の推薦」と「県連・支部の推薦」なんて、普通の人ではできないのではないでしょうか?
 「有権者100人の推薦」はもしかしたら簡単かもしれません。
 地元に長く住んでいる人なら「昔の同級生」に片っ端から電話して推薦してもらえば100人ぐらいは行くかもしれませんから…
 でも、残り2つは一般人には難しそう。
 事実上「自民党関係者」以外は立候補禁止、と言っているようなものです。
 もちろん「自民党からの公認候補者」を選ぶわけですから、ある意味こういう考え方は「組織を維持するため」には当然の選択なのでしょう。
 しかし、本当にそれで良いのでしょうか?
 こういう発想だからこそ国民の声が拾えずに「身内や知り合いを優遇」するだけの偏った政治になってしまったのではないでしょうか?
 その結果が前回の選挙の大敗の最大の原因だったのでは?
 自民党が大敗後にスローガンに掲げた「みんなでやろうぜ」の「みんな」って誰?
 みんな=自民党の関係者って事でしょうか?
 民主党は「市民が主役」とか「国民主権」とか言ってますよね。
 実態はどうであれ、国民全員を巻き込もうとしています。
 それに対して自民党は内側ばかり見ている印象…
 これで国民の支持を得られるのでしょうか?
 国会などでも民主党の敵失を狙うばかりで「新しく日本を作ろう」という気概に欠けています。
 このままだと「何でも反対」「反対のための反対」という万年野党のポジションになってしまいます。
 自民党はどうすれば気が付いてくれるのでしょうか?
 正常な民主主義のためには「民主党の長期独裁政権」では困るのです。
 数年毎に政権交代が可能な二つの大きな政党が、二大政党制のためには必要なのです。
 しかし必要だからと言っても「どんな政党でも大きければOK」と言うわけでもないのです。
 「二大政党制のためには政党が二つ必要、片方が民主ならもう片方は自動的に自民だ、だから自民党は大丈夫」などと言う発想では困ります。

 経団連は下野した自民党とは距離を取り始めているのかもしれませんが、それでも自民党は「与党に返り咲けば元に戻る」と安易に考えてはいないでしょうか?
 経済界の中にも全く別の動きが起きているようなのです。
 経団連のような既存の経済団体に所属していないベンチャー企業家のグループが新たな経済団体「日本政経倶楽部連合会」を発足させようとしているそうです。
 その人たちは「第二の経団連」になる事を目指していて、同時に「民主でも自民でもない新党を作ろう」という考えもあるそうです。
 この状況はつまり「民主党」と「新しい政党」による二大政党制が出来上がる可能性でもあるわけです。
 このままだと自民党、消滅しますよ?
 「自民党が良い」というつもりはありませんが、長い間政権をになってきたのですからそれなりのノウハウなどは蓄積しているでしょう。
 そういったものが消失するのは、さすがに国として損失が大きいと思います。

 民主党政権は何だか先行きが怪しく何とも頼りない感じではありますが、それでも「公開の仕分け作業」など国民に対して「政治が変わった」という印象を与えるのには成功しています。
 これから先、日本が良くなるかどうかはわかりませんが「変わった」という強烈な印象はそう簡単には消えません。
 それを覆すには民主党以上に「政治を良い方向に変えてくれるかもしれない」という期待を持たれるようにならなければ無理でしょう。
 今の状況から「元に戻そう」という発想はおそらく生まれてきませんから。
 自民党には民主党政権が暴走を始める前に立ち直ってもらわないと困るのです。
 急いで立ち直らないと、本当に無くなってしまいますよ…
 「保守政党」…何を保守しようとしているのかわかりませんけど、「国民の生活を守ろう」というつもりならばあまり時間は残っていませんよ。
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 伊藤和也さんを覚えていますか?
 覚えている方は記憶力抜群で物凄く真面目な方だと思います。
 恥ずかしながら私は、この人の存在は覚えていましたが名前は完全に忘れていました…

 さて、この人が誰だったかは後ほど説明するとして、本題です。
 日本はアフガニスタンをどうやって支援するつもりなのでしょう?
 報道によると日本政府はアフガニスタンの復興支援のために同国の国軍に数十億円規模の財政支援を行うつもりのようです。
 これは妥当な方針なんでしょうか?
 まぁ、色々と問題はあるとは思いますが、現状においては妥当な選択だとは思います。
 問題というのはつまり「日本が間接的にとはいえ軍事支援をしてもいいのか?」という点です。
 社民党辺りが「憲法違反」と騒ぎ出すのは必定。
 国内の政界の問題はともかく、一応平和支援という事を目指している日本としては軍事支援は適切ではないかもしれません。
 先月までは岡田外務大臣も軍事支援ではなく民生支援を重視したいと言っていました。
 民主党自体も民生支援に切り替えるために給油活動を停止し、その代わりに給油活動に匹敵するような民生支援の方法を考えるつもりだったのでしょう。
 ところが、当のアフガニスタンで治安が急激に悪化。
 国連の職員さえ避難するような状態になってしまいました。
 こんな状況では民生支援どころではないのでしょう。
 とはいっても日本政府として自衛隊を派遣するつもりも無い。
 その結果が軍に対する財政支援、という結論なのでしょうか?
 仕方が無いと言えば仕方が無いし、現実的な判断と言えば現実的な判断なのでしょう。
 ただ、その決断の理由が「アメリカに対するご機嫌伺い」のような面が強いように見えるのが気になりますが…
 以前民主党は日本は軍事支援以外の方法でも世界平和に貢献できる、というような事を主張していたはずです。
 その論拠の一つとしてアフガニスタンを含む各地で数多くの武装解除に成功しているから、というのを挙げていました。
 その理屈が正しいと言うのならば、今だってそういう姿勢を維持すべきなのかもしれません。
 …武装解除当時はもう少しマシな状況だったかもしれませんけど。
 しかし当時武装解除に成功した理由の一つとしてアフガニスタンの住民に対する日本のイメージが良かった、というのも挙げられています。
 直接戦闘に参加していないので、他国の人よりも交渉がスムーズに進んだとも聞きます。
 ここで日本が経済的にとはいえ軍事支援を行って、今後当時と同じ様な活動が出来るのでしょうか?
 何か大切な「信用」を失おうとしているようにも見えるのですが…

 もちろん現状で民生支援は「ありえない」でしょうから、仕方が無いのはわかりますけど…
 さて、ここで思い出しましょう。
 伊藤和也さんです。
 彼は昨年アフガニスタンでNGO職員として働いていた最中にテロリストによって殺害されてしまいました。
 彼が誘拐された直後、現地の人が1000人以上も捜索に協力し、葬儀の際にも500人以上の人が冥福を祈ってくれたそうです。
 民生支援の鑑のようなケースではないでしょうか。
 その後、彼の遺族がどうなったのかは報道されていないので一切知りません。
 彼はNGOの職員として現地に行き、現地の人のために働き殺されてしまいました。
 そんな彼の遺族に対して、誰か弔慰金などは払ったのでしょうか?
 NGOは非政府組織です。
 日本政府は無関係でしょう。
 だからおそらく日本政府として彼の遺族に対して何がしかの金銭補償などはしていないと思います。
 あくまでも「民間人が勝手に危険地域に入って勝手に死んでしまった」という扱いになっていると思います。
 遺族に対して何がしかの補償などをするのは立場上、彼の所属していたNGOになるのだと思いますが、NGOがそんなにお金を持っているとは思えない。

 今さら何でこんな話を持ち出したかというと、政府の言う「民生支援」とやらの中身が全く分からないからです。
 現状のアフガニスタンに対する支援としては軍に対する財政支援は現実的な対応だとは思いますが、アフガニスタンの治安が落ち着いてきたら当然先送りしていた「民生支援」とやらを行うのでしょう。
 で、誰が行くの?
 前述のように民間人であろうと死の危険が伴うような地域です。
 軍隊であっても危険な場所です。
 そして日本政府は早々に「自衛隊は派遣しない」と明言しています。
 自衛隊はいかない、民生支援はする…
 誰が?
 もう一回聞きます。

 誰が行くの?

 かつてイラクに自衛隊を派遣した際に「もし隊員に死者が出たら誰がどう責任を取るんだ?」と問題になりました。
 幸いな事に誰も死なず、そのような議論は消えてなくなりましたが…
 仮にあの時死者が出ていたとしたらどうなっていたのでしょう?
 おそらくですが、自衛隊なので「殉職」という扱いになるのでしょう。
 ケースがケースだけに特別な弔慰金なども遺族に対して支払われるかもしれませんが、仮にそういうものが無くても「公務員」なので何がしかの手当てが遺族に対して支払われるはずです。
 遺族年金なども支給されるのでしょう。
 では、民生支援の場合はどうなるの?
 民生支援…公務員が行くんですかね?
 それならそれでまぁ、もしも何かあっても遺族に対する補償は手厚いとは思います。
 ですが、前述の伊藤和也さんのように民間人が行くとなると、そうは行きませんよね?
 もし死んだら、誰かが家族に何かの補償などをしてくれるのでしょうか?
 「日本国として民生支援を行う」ために危険な場所に民間人を連れて行くわけですよね。
 それでもし何かあったら、「尊い犠牲でした」と言葉一つでハイ、オシマイ…何て事にはなりませんよねぇ?

 民生支援をしよう、と言っている割には現実的な議論や提案が一切無いのはどういう事なのでしょう?
 誰が行くのか、もし何かあったらどうしてくれるのか…
 とても大切な事だと思うのですけど、誰も何も言わない。
 なぜ?
 本気で民生支援をしようと考えているのならば、もう少し具体的な意見が出てきてもいいはずです。
 例えば、広く国民一般に対して志願者を募り、何か万が一の事態が起きたら国家としてその遺族に対して出来る限りの事をする、というような発言がどこかから出てきても良さそうなものです。
 ちょっと違う例ですが、イラクにおいてアメリカの民間人が働く場合、アメリカ本土の数倍の給料が出ていたそうです。
 トラックで物資を運ぶ仕事などでも3倍以上の給料が出たとか…
 その給料に釣られてイラクの仕事に参加する命知らずな人たちもそれなりにいたそうです。
 日本の場合はどうなのでしょう?
 国が行う民生支援ですよね。
 その間の給料はどうなるのでしょう?
 もし死んでしまったらどうなるのでしょう?
 例えば、「月給100万円、死んでしまったら遺族に2億円払う」と言うような具体的な条件を出したら、「参加してみよう」と思う命知らずがいるかもしれません。
 「金に釣られてやるような人材はろくなもんじゃない」と考える事も出来ますが、では逆にそれだけ危険な仕事を「善意の人」の「善意に頼るだけ」という姿勢は国家として正しいのでしょうか?
 「志のある人物が立派に勤めを果たしたのです、遺族の人は誇りに思ってください」で済ますつもりじゃないですよね?
 むしろそんな状態だったらマトモな人間は行きませんよ。
 「自分の正義感のために家族を苦しめる事になるかもしれない」では、参加する人間は限られてきます。
 それとも日本国は国策として「国民の善意だけに頼る」という「人でなしで恩知らずな方針」を打ち出すつもりなのでしょうか?

 民主党が、自民党が、というようなレベルではなく、以前から国家としてどうやって国際平和に貢献すべきかという事はずいぶんと長い間テーマになっているにもかかわらず、いまだに民生支援などに対する具体的な考えがマトモに出てきた事が無い、というのは政治の怠慢なのではないでしょうか?
 それともやっぱり日本国は「金を出すだけで何もしない」という状態を今後も維持して行くつもりなのでしょうか。
 そろそろ真面目に考える頃だと思うのですが…

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 ・感謝される外交・国際援助とは…
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 独立行政法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)による省エネ化事業が、実際の効果を測定できない状態になっていると会計検査院に指摘され事業が中断される、という事が起きているそうです。
 この事業、タクシーの位置を衛星を使って把握し効率的な運行管理を行う事で燃料の使用量を減らし「省エネをする」という事らしいのですが、計算式の不備で空車時の走行距離が分からず、正確な効果が測定できない状態だったそうです。
 この事業のためにタクシー業者に対して06〜08年度で約8億6490万円もの国費を支出していたのだとか…

 何だかもう、あらゆる意味で酷い話のような気がするのですが、目先の問題は置いといてもう一歩踏み込んでみましょうか。
 これってつまり「国の予算の付け方」の典型例ですよね。
 各省庁が予算を取ってくる際に、その時「流行っている名目」を使えば予算が取りやすい、というのがあるそうです。
 そういえば数年前から「とりあえず省エネとかエコと言っていれば予算が取れる」というような話を報道を通じて耳にした事があります。
 これなんかまさに「それ」じゃないでしょうか。
 計算式の不備云々以前に、この事業自体国が行うべき事だったのでしょうか?
 タクシー業者って民間企業ですよね?
 普通に考えれば、タクシーの移動距離が短くなれば燃料の消費が減り、その分燃料代が安くなるので収益率が上がるはずです。
 もちろんタクシー会社としては「遠回りをして余計に走った方がその分たくさん料金が取れる」わけですが、今の市場経済の競争社会の中でそんな事をやっていたら客が離れてしまいます。
 サービス業なのですから当然「少しでも早く」目的地に着くのが最大のサービスですし、常に最短距離で移動するよう心掛けていれば客の側に「あのタクシー会社は良いぞ」という評判が立ち、利益は上がっていくはずです。
 同様に空車時のロスを減らすのも経費削減になり利益に繋がるわけです。
 とすれば「効率的な移動」も「空車時のロスの削減」も企業が利益を上げるために行うべき、当然の経営努力なわけです。
 そして今現在はカーナビやケータイ、GPSなどの技術によりこういう経営努力が企業の自助努力によって可能になっているはずです。
 一部の業者だけかもしれませんが、自分の会社のタクシーが今現在どこにいるのかを完全に把握し配車時にお客さんを待たせる時間を極力減らしている会社も存在します。
 効率的な移動をする事、空車時のロスを減らす事は企業が努力するべき事ですし、その結果企業の収益も上がるし省エネにも繋がるはずです。
 なぜ、わざわざ国が出て行って大きな予算を投入して、これらの事業を展開する必要があったのでしょうか?
 これは企業が自主的に行うべき事なのではないでしょうか?
 意味が分かりません。
 やっぱり天下りとか税金の無駄遣いが絡んでいるのではないでしょうか?
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 赤松広隆農相が政治資金パーティーを開くそうです。
 会費2万円で1000人収容の会場なのだそうで…
 民主党はこういう行為を禁止しようとマニフェストで宣言しているのですが、何を考えているんでしょうかこの人は。
 禁止しようとしているだけで今現在は禁止されていないから、今のうちに稼いでおこうという事でしょうか?
 情けない…
 新人議員ならともかく大臣ですよ、大臣。
 金権政治はやめましょう、という方向になっている時にこれですから…
 やっぱり政界に長く浸かっている人はダメなんでしょうか。

 自民党の谷垣禎一総裁は鳩山首相の所信表明時の民主党の反応に対して「ヒトラーの演説にヒトラー・ユーゲント(ナチスの青少年組織)が賛成しているような印象を受けた」と評したそうですが、以前の自民党だって似たような感じでしたよ。
 また、自民党の議員たちは所信表明時に激しいヤジを飛ばしていたとか。
 これに対して注目の新人議員小泉進次郎氏は「今の自民党がやらなくてはいけないことは民主党を批判することではなくて、民主党を検証すること。そのための臨時国会だと思います」と先輩議員にやんわりと苦言。
 小泉元総理の次男で世襲の批判のある人ですが、至極真っ当な意見。
 世襲議員を応援する気はないのですが、このマトモな感性は持ち続けて欲しいです。
 
 若手がマトモといえば民主党も一ヶ月ほど前に小沢チルドレンたちが小沢一郎氏に対してうんざりしている、との報道もありました。
 いわく「選挙に勝った直後なのに、小沢さんは『次の選挙の事』など選挙の話ばかりだ」というもの。
 小沢氏から見れば政治というものは多数決であり、数を握らなければ思い通りの政治が出来ない。
 だから何にも増して「選挙に勝つ事が最重要課題」という事になるのでしょうけど、実際の政治というものは当然「当選後から始まる」わけです。
 国民からすれば「数を握った後どうするのか?」が大事なのですが、そのビジョンの提示が小沢氏には無い。
 「勝てば良い、そのためなら何でもする」というのではかつての自民党と同じです。
 公共事業を誘導し、国債を乱発し、国の財政を悪化させてきた旧態依然の自民党です。
 そういうのがイヤで国民は自民離れを起こしているのですが、やはり自民出身の小沢氏は「自民党式政治術」から脱却できていない。
 小沢チルドレンたちがうんざりするのも当然でしょう。
 彼らからすれば「国を変えるためにリスクを犯して立候補し、当選をした」わけです。
 当然次は「どうすれば国を良い方向に変える事が出来るのか」を知りたいはずですし、そのために働きたいと思っているのでしょう。
 熱い情熱を持っている人の中にはもしかしたら「次の選挙には立候補せず、この4年間でやるべき事を全て終えて国を変えよう」と思っているような人もいるかもしれません。
 本当に国の事を思っていて私利私欲の無い人ならば長期に渡って議席を維持しようという発想自体が無いかもしれないのです。
 しかし小沢氏、というか「自民党式政治術」しか知らない古い政治家たちは「権力に居座り続ける事」のみを目的にしています。
 手段が目的化してしまっているわけです。
 国を変えようと熱い思いを持っている新人議員が落胆するのも無理は無いでしょう。

 自民党にせよ民主党にせよ、長く政界に居続けてしまっている人たちは思考回路の根っこの部分が「自民党的権力志向」に染まり過ぎているのではないでしょうか?
 世襲の小泉進次郎氏も、現時点では考え方がマトモ。
 小沢チルドレンも玉石混合でしょうけど、マトモな人もいる。
 いっその事「民主・自民」という縦割りを「古株・新人」の横割りにして、政界大再編でもしてもらえませんかね?
 その方が余程分かりやすくてスッキリするのですが。
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銀行が変わる?

 亀井静香郵政・金融担当大臣、また何か発言しています。
 「今後の金融行政は思想と理念が180度転換する」との事です。
 具体的には「財務の健全性だけでなく、コンサルタント的な機能を果たしているかどうかを金融検査のポイントにする」との事で、「検査官にもこの点を強く指示している」のだそうです。
 えーっと、つまりアレですか。
 昔から「晴れの日に傘を貸すと言って、雨の日に傘を貸さない(場合によっては取り上げる)のが銀行だ」と言われている銀行の経営スタンスを見直す、と。
 それはもちろんやって欲しいのですけど、今の銀行にそういう事って出来るんでしょうか?
 銀行の内部事情は知りませんけど、今までずーっと「晴れの日に傘を貸す」という方針で銀行は経営されてきたわけですよね。
 当然今現在銀行で出世しているトップ達も「晴れの日に傘を貸して」出世してきているわけで、そういう人たちが今までの自分達の人生やそこで培ってきた価値観を180度ひっくり返す経営など出来るのでしょうか?
 現場にもそういう経営コンサルタントのようなノウハウを持っている人は少ないかもしれませんよ。
 そんな状態でひっくり返して大丈夫なんでしょうか?
 下手をしたら日本中の銀行が「新銀行東京」みたいな事になってしまう可能性もあるわけです。
 もちろんこの方針自体は賛成ですし、本来銀行はそうあるべきなのでしょうけど、それをいきなりやって全銀行が経営不安に陥るなどと言う悪夢が起きる可能性は無いのでしょうか?
 そもそも今までの銀行の商売のやり方がおかしかったとも言える訳ですし、そういう意味では銀行側は自業自得の面もあります。
 企業の社会的責任が叫ばれ始めている昨今、これまでのような商売の仕方は改善されていくべきでしょう。
 反面、銀行が貸しているお金は私達一般人の預金なわけで、貸し倒れが起きる可能性の高い企業に安易に貸し出されても困ります。
 また、以前新聞のコラムで読んだのですが、高度成長期の少し前ぐらいの金融機関の貸し出し基準は今よりも遥かに厳しかったそうです。
 現在日本を代表する大企業も創業当時は零細企業。
 簡単にお金を貸してくれる銀行など無かったそうです。
 そんな厳しい審査基準をくぐり抜ける為にそれらの企業の創業者達は、何度も何度も経営戦略を練り直しその厳しい審査の銀行に「これなら大丈夫だろう」と太鼓判を押されるぐらいまでに徹底的に経営方法を磨いたそうです。
 その厳しい審査が良い試練となって競争力の源泉になった、という説もあるそうです。
 銀行も大切なお金を貸し出すのだから失敗は許されない。
 そういう厳しい審査基準をくぐり抜けたという事は成功する確率の高い優良企業に育て上げられた、という側面もあるのでしょう。
 借りる側、貸す側つまり企業側にも銀行側にも当時のような情熱や勢いはあるのでしょうか?
 銀行の方針転換は歓迎ですが、だからと言って企業側は「これで経営が楽になる」などと安易に考えるのはマズイのではないでしょうか?
 お金を借りる以上は返済計画をしっかりと考えるのは当然ですし、銀行側に「お金を貸し出すに値する企業だ」と信頼されるだけの経営努力をやらなければならないのではないでしょうか。
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 ようやく「初めての所信表明演説」まで来ました。
 政権交代後良くも悪くも色々とあり、何だかずいぶん長い時間待たされたような気もしますが、ここから民主党が与党になった「初めての国会」が始まるんですよね…
 国会が始まる前の段階であれやこれやと色々やっていたので、何だか妙な気分ですが。

 所信表明演説でどんな事を言っていたのかを忘れないように書きとめておきます。
 まず「脱・官僚主導」
 国会開始前から既にこの前提が崩れ始めているようにも見受けられますが、今回の政権交代の最大の目玉ですよね。
 この「脱・官僚主導」に近いキーワードも散見されます。
 「政治主導」「国民主権」「国政の変革に取り組む」「戦後行政の大掃除」「組織や事業の大掃除」「官僚依存から国民への大政奉還」…
 こんな所でしょうか。
 次に「地域主権」
 似たようなキーワードは「中央集権から地域・現場主義へ」
 また「友愛政治」というものが「弱者、少数者の視点の尊重」だとの説明もありました。
 これに関しては「命を守り、国民生活を第一とした政治」「人間のための経済」「コンクリートから人へ」という言葉が近そうです。
 「友愛政治」と「地域主権」の両方に関わっているような「『居場所と出番』のある社会、『支えあって生きていく日本』」という言葉もありました。
 外交面では「かけ橋としての日本」「島国から開かれた海洋国家への国のかたちの変革」「緊密かつ対等な日米関係」という言葉がありました。

 並べてみると何となく目指しているものが見えてくるような気がします。
 「脱・官僚主導」「地域主権」などからは今までの「政・官・財」による「上から目線の政治経済システム」ではなく「本当に生活者が必要としている物事」を重視しよう、という事なのではないでしょうか。
 「コンクリートから人へ」というのもこの考えで見ると「公共事業で大きな工事をして経済を無理矢理活性化」するのではなく「介護や医療、教育など生活に直結しているもの」を重視する、という事なのでしょう。
 それはそのまま「人間のための経済」でしょうし「命を守り、国民生活を第一とした政治」「友愛政治」にも繋がりそうです。
 「『居場所と出番』のある社会、『支えあって生きていく日本』」という言葉からは地域の地元のコミュニティーを活性化させるというイメージが伝わってくるのですが…
 とすると、政治主導というのは国会主導という事ではなく「地方自治体主導」というイメージになるのですけど、気のせいでしょうか?
 それこそ国があれこれ決めるのではなく、各自治体に財源を渡して「国民生活を支えるのに必要な事をそれぞれで自由にやってくれ」という方がこのイメージを実現させる近道なのではないでしょうか。
 外交面もキーワードをまとめて考えると「日米同盟は維持しつつも多極化世界に対応する」という事にような気がします。
 これも見方によっては友愛政治の「弱者、少数者の視点の尊重」と似ているような気がします。
 アメリカのような大国中心主義ではなく様々な国と国交を深めていこう、ということでしょうから…

 分かったような分からないような…
 一番似ている考え方は「社会民主主義」なのかもしれません。
 アメリカ型ではなく北欧型の社会と言えばイメージしやすいでしょうか。
 だとすると今までのように「世界一の経済大国を目指す」と言うようなスタンスではなく「そこそこの中堅安定国になる」という事なのでしょうけど、それだと大きな経済成長が期待できないので財政赤字が永遠に解消できないような気がしてきます。
 かつての自民党や官僚のような利権まみれの政治、対処療法的な政治よりはマシだとは思いますけど、劇的に国民の生活が良くなっていく、という期待はしない方が良さそうです。
 社会民主主義は底辺に近い人たちにとっては良い社会ですが、ガンガン人生を切り拓いて行こうというタイプの人にとっては窮屈な社会かもしれません。
 もっとも高度成長期の日本も「社会主義は日本で成功した」と共産圏の国に嫌味を言われるほど社会民主主義的ではありましたし、そういう意味では以前の日本に戻るだけかもしれません。
 違いがあるとすれば「大きな経済成長が期待できない」という点ですが、反面、改革が進めば利権など利益を横から持って行ってしまう人たちがいなくなるので、改革の進み具合によっては大丈夫かもしれませんけど…
 でも、もし改革が進まなかったら「経済成長が期待できない上に利権などで余計に持って行かれる」わけですから、もしかしたら極めて悲惨な事になる可能性もありそうです。

 民主党政権は始まったばかりなのでしばらくは見守りましょうか…
 もしダメだったとしても現在の自民党では政権を渡すわけにも行かないでしょうし。
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 日本の貧困率が発表されました。
 15.7%で先進国の中でも際立って高い水準なのだとか…
 調査対象30ヶ国の内4番目に悪い数字なのだそうで、日本より酷いのはメキシコ、トルコ、米国だそうです。
 メキシコとトルコはともかく、米国…
 経済大国1位2位の米国と日本が揃って貧困率でもトップクラスというのが妙に引っかかります。
 現代資本主義の矛盾というか、経済発展が必ずしも国民の幸福に直結していないという事かもしれません。
 それも気になるのですが、個人的に気になるのはこの貧困率を「日本政府として算出」したのが今回初めて、という点。
 今まで何をやっていたんでしょうか?
 国民の現状を国家として調べようとしなかったって…
 今まで現状把握すらせずに政策を立案してたって事でしょうか?
 しかも報道の推測記事では今まで算出してこなかった理由が「日本には貧困層はいないはず」という思い込みや、貧困率を算出してしまうとそれを削減するのが政府の責任になってしまうから避けてきたから、との事。
 あくまでも推測と言う事なのですが、これが事実だとしたらずいぶんと怠慢な政府もあったものですよね。
 まず「日本には貧困層はいないはず」という思い込み…
 「はず」とか「思い込み」って。
 何それ?
 国民から税金取って国家運営してるのに「はず」とか「思い込み」…
 事実を直視しようともせず、何となく「勘」で国家運営をしていたのでしょうか?
 情けない…
 そういえば数年前「ホームレス中学生」という本が話題になった時、ある識者が言っていました。
 「美談云々以前に、このような状況が起きてしまっている事自体がこの国の福祉政策の貧困を物語っている」と。
 言われてみれば確かにそうなんですよね。
 あの内容自体、著者が芸人さんなのでどこまで信憑性があるのかわかりませんけど、もしも事実なら行政として大問題なんです。
 あれ、90年代の話でしたよね、確か…
 戦後すぐとかではなく、高度成長期も終えバブル経済にもなり、日本は世界でもトップクラスの経済大国だったその時期に、あの児童福祉行政の貧困さ…
 美談である前に国家の恥だったのかもしれません。
 「ホームレス中学生」で描かれていた時期も日本政府としては「日本には貧困層はいないはず」という前提で国家運営をしていたわけですよね。

 さらにもう一つの「政府の責任になってしまうから」という点。
 もう呆れるしかない…
 貧困率を一度でも算出・公表してしまうと、今後すべての政権は貧困率にも注意を払わなければいけなくなるから算出しない、という事ですよね。
 計画的職務怠慢?
 国民が政府を評価するための基準をわざと減らしたって事?
 経済指標などでは「日経平均が上がった」とか「失業率が上がった」とか「GDPが増えた」とかが今までの基準だったわけですけど、これらの中には「貧困」や「福祉の必要性」に関わりそうな指標が「失業率」ぐらいしかなかったわけですよね。
 企業が儲かっていれば、国民の暮らしも良くなっている「はず」なんじゃない?というテキトーな行政だったのでしょうか。
 世の中には母子家庭とかわずかな年金で暮らしている孤独な老人など、社会的弱者はたくさんいるのに、そういうところには余り目を向けてこなかったわけです。
 もちろん生活保護を受けている世帯数などは把握していましたけど、あれは政府が「支給条件を厳しくする」などの方法で数字をごまかせてしまえますからあまり参考にはならなそうですし…
 貧困率を出さなければ国民の実際の暮らしがどんなに苦しくても「知らなかったから対処できませんでした」と、澄ました顔で責任逃れが出来てしまうわけですから。
 見て見ぬフリの政権運営…
 これで今まで「弱者に優しい政治」とか言ってたんですから。
 すごいな日本…

 そんな見て見ぬフリ行政も今回でとりあえず方向転換が出来そうです。
 何せ「貧困率を算出して公表してしまった」わけですから。
 当然今後も定期的にこのデータを算出して行くのでしょう。
 そうすればその時の政府が「キチンと弱者救済をしているかどうか」の目安になるわけです。
 まぁ、貧困率は経済状況にも左右されるので一概に国家だけの責任とは言えませんけど、少なくとも貧困率というデータがあれば「実感無き景気回復」などというものは無くなるでしょう。
 経済活動は活発なのに貧困率が改善していないというのは「社会の仕組みが上手く行っていない」という事になりますので、当然何がしかの対処法を考えるはず。
 今回の貧困率の公表でこの国の今後の方向性はある程度決まったかもしれません。
 仮に再び政権交代が起きてもこのデータを公表し続ける限りは国民の目が欺けなくなるし、一度公表したものを止めるというのはそれはそれで不信感を煽る事になるので出来ないはず。
 ということは、今後どの政党が政権を取っても「国民の生活を直視」し、社会福祉に対して最低限の注意は払わなければならないという事になるはず。
 民主党政権にとってプラスかどうかはわかりませんけど、国民にとっては「行政の能力を図る目安が一つ増えた」わけですから、これはプラスです。
 これだけでも政権交代の効果アリでしょう。

 日本が徐々に変わり始めているのかもしれません。
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 民主党は教員養成課程を6年にするつもりのようです。
 どうなんでしょう?
 とりあえずしばらく混乱はするでしょうけど…
 現状の教育システムには問題が多々あるようなので、改善はする必要がある。
 だから教師の質を高めるために教員免許の取得条件を大学院卒(修士)にしよう、という発想なのでしょう。
 現場や学生からは不満も出ているようですが…
 学生側からは特に「学費の負担が増える」という理由で「金持ちしか教師になれなくなる」という懸念も出ているようです。

 ところでこの教員養成課程6年という制度、おそらくフィンランドを参考にしたのだと思います。
 フィンランドでは教員免許を得るための資格を修士(おそらく教育学修士)にする事で、より「教育」に関して専門的な知識を持つ人材を増やし学力アップを図りました。
 そしてそれが功を奏してか、世界的にもフィンランドの子供たちの学力は高い、という事が証明されているようです。
 ただ、それには教師の質の向上だけでなく、教育の自由も関連していると思うのですが…

 日本の場合、指導要領などで教育の内容ががんじがらめにされているように思うのです。
 また、近年では報告書の提出など「わけのわからない事務作業」が「教師の仕事」の中に入りだし、その事務作業のせいで本来の仕事である「教育」の方にまで影響が出ている、というような話をテレビのノンフィクション番組などで度々報じられています。
 そのような状態で教員養成課程を延ばし教師に教育学の専門知識を持たせたところで、果たして有効に機能するのでしょうか?
 指導要領というモノで年間スケジュールをキッチリと決められ、その上「わけのわからない事務作業」で忙殺されるという現状を改善しない限り、教師の質を高めた所で教育は何も変わらないと思うのですが…

 先日NHKの「ザ・コーチ」という番組で灘中学・灘高校(東大合格者数日本一)の「伝説の国語教師」と呼ばれた橋本武さん(97歳)を紹介していました。
 この人、かなり特殊な教育法で東大合格者数日本一という実績を残したのですが、おそらく普通の教育カリキュラムを完全に無視しています。
 この人はその特殊な教育法を編み出すために一年も前から準備をし、情熱を持って教育をしていたようですし、実際に結果を残しているのですが、こういうやり方をおそらく文部省などは容認できないのではないでしょうか?
 その教育法なのですが、「中学3年間かけて小説『銀の匙』を読む」というものです。
 しかもただ読むだけではなく授業は脱線が多いそうです。
 というより、脱線がメインだとか…
 酷い時には一学期が終了したのに3ページしか進んでいなかったこともあるとか。
 この人の目指している教育とは指導要領などのカリキュラムを終える事ではなく、生徒の向学心を育てると同時に基礎的な読解力などを養うというもののようなのですが、番組を見る限りではまともに教科書を使っていたとは思えませんでした。
 そのような教育で効果を上げるためには教師個人の能力だけでなく灘中学・灘高校の教育システムによるところも大きいと思うのですが、おそらくそれも現在の文部省のやり方では不可能そうです。
 灘中学・灘高校では「中学から高校までの6年間を一人の教師が一つの科目を教える」というシステムを採用しているそうです。
 だからこそ、3年かけて小説を読む、というような教育ができるわけです。
 しかしこれは中高一貫校だから出来ることですよね。
 しかも6年という長い期間を与えられているから計画的に学力を伸ばしていけるわけで、普通の学校のように学年ごとに担当教師が変わったり、中学と高校が分断されていては不可能なわけです。

 フィンランドで教師の質を向上させた結果子供の学力が上がった、というのは単純に教師の質を上げただけではなく、その質を上手に生かすことの出来るシステムがあったからなのではないでしょうか。
 そのシステムがどのようなものなのかは具体的には知りませんが、教師の能力が向上したところでその能力を100パーセント発揮できるようなシステムが存在しなければ、おそらく成果は上がらなかったでしょう。
 また、灘中学・灘高校のように日本国内であるにもかかわらず教育カリキュラムを無視したような教育を行っていれば、生徒の向学心や基礎能力を育てる事は可能なわけです。

 こう言っては何ですが、現行の教育カリキュラムは「無能な教師であっても一定の成果が出せるように作られたマニュアル」のようなものなのではないでしょうか。
 その上にわけのわからない事務作業。
 教師をロボット化する事で「生徒を効率的に教育した事にする」システムと言ったら言い過ぎでしょうか?
 このような自由度の低いマニュアル教育ならば、生徒の成績に大きな差が出たとしてもそれは「マニュアルに問題がある」わけで教師の責任は少なくなります。
 一方で灘中学・灘高校のようなシステムだと、無能な教師に当たった生徒は悲惨極まりない状態になる可能性もあります。
 それを避けるために教師の質を向上させようというのでしょうけど、過渡期においては当然混乱を伴います。(現在の教育システムに慣れた教師にはああいう独創的な教育は不可能・大学院を卒業しているからと言って優秀とは限らないし、大学院自体の教育能力も未知数)
 だからと言って仮に大学院卒を教師の資格にしたところで、教育システムが現状のままでは教育の質が上がらず、むしろ教師を目指す学生の負担が増えるだけという可能性もあります。

 教育を改善する必要はあるでしょうし、そのための手段として教員養成課程を6年にするというのは一つの方法ではあるでしょう。
 しかし、それ単独ではおそらく大きな成果は上がらないでしょうし、教師を目指すものの負担が無意味に増えるだけです。
 それらを改善するためには教育カリキュラムの変更も必要なはずですが、教育カリキュラムを変更してしまうと現行の教師達がそれに対応出来ない恐れもあります。
 何をどうやったって混乱は確実でしょう。
 そしてその混乱の最大の被害者は、その教育を受ける子供たちです。
 教育改革には「教員養成課程の改善」と「教育カリキュラムの改善」の両方を同時に行う必要がありますが、「現在のシステム」と「新しいシステム」との間に生じる問題にも目を向ける必要があるはずです。
 一律に改革をするのではなく、当面は両方の仕組みが混在するような状態にし、徐々に移行して行くべきなのではないでしょうか。
 例えば、各学区の内いくつかで「新しいシステム」の学校を作り、教師の定年退職に合わせる様に徐々に「現在のシステム」の学校を減らして行く、というように。
 もちろん古いタイプの教師は徐々に一ヶ所に集めて行くわけです。
 当然、古いタイプの教師でも「再教育」を受ければ新しいシステムの方に移動できるようにもしておきます。
 全国一律にシステムを変えたり、同じ学校内に2種類の教師とシステムが存在する、というような状態だけは避けた方が良さそうです。
 現状の教育システムを新しいシステムに変えて行くのには、移行期間が10年以上は必要なのではないでしょうか。
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 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞する事になったそうですが、世界中から「?」マークが付いているようです。
 アメリカ国内でも賛否両論、本人はビックリ、アフガニスタンに至っては「ここで戦争をしているオバマがなぜ平和賞なんだ?」と不満が出ています。
 受賞理由を聞けば受賞自体は納得できなくはないです。
 核兵器の無い世界を目指そうとしたり、多国間外交を重視しようとしたりと、受賞理由自体は至極マトモです。
 でも、現実的にまだ実績があるわけではない。
 しかも大統領に就任してまだ1年も経っていない。
 こう言っては何ですが、「まだ何もしていない人間が抱負を語っただけ」という状態での受賞です。
 これ、妥当なんでしょうか?
 もっとも最近のノーベル平和賞には「期待値」というものも含まれているようなので、ノーベル賞の選考委員会の「願望」が反映されただけなのかもしれません。
 まぁ、オバマ大統領に何か問題があるわけではないし、仮に今回の受賞に問題があるとしたらそれはオバマ大統領ではなく「ノーベル賞委員会(平和賞はノルウェー議会が選考)」に問題があるという事なのでしょう。

 ところで、オバマ大統領の事ではなく一般論としてなのですが、ノーベル平和賞を大統領とか総理大臣のような権力者が受賞するというのはどうなのでしょう?
 もちろん悪い事ではないでしょう。
 立派な事をした人を認めるのは正しい事です。
 が、大統領とか総理大臣、もう少し対象を広げて政治家や国際機関などが受賞するのは何かおかしい気がします。
 そもそも、そういう高い地位にいる人や平和活動のために設立された国際機関は「平和のために活動するのが社会的義務」のはずです。
 当然やらなければならない義務を果たしただけの人や団体を、なぜ表彰する必要があるのでしょうか?
 医者が患者を救ったら感謝状を貰いますか?
 警官が犯人を捕まえたら表彰状を貰うのですか?
 もちろん医者にしろ警官にしろその所属する組織の中から表彰される事はあるでしょうけど、外部の第三者機関から表彰される事はありませんよね。
 職業として当然果たすべき事を果たしただけの人を社会的に認められている第三者機関が表彰する、というのはおかしな事のような気がします。
 そういう意味では大統領や総理大臣のような地位の高い人や権力を持っている人が「平和に対して尽力するのは当然の義務」なはずで、当然の義務を果たしているだけの人間をことさら賞賛するのはおかしいのではないでしょうか。
 これが中世の王様とかなら話は別です。
 昔は国を発展させるために戦争を始めるのは「当然の事」でしたし、「国を豊かにする事=他国から奪う事」に近い時代もありました。
 そういう時代の権力者ならば「平和に尽力した」という理由で賞賛されるのは理解できるのですが、現代ではその前提がすでに違いますよね。
 国を豊かにする事は他国から奪う事ではなく、文化や文明を発展させ他国と経済活動を行う事と言ってもいいでしょう。
 世界的に戦争は「避けるべき事」というのが常識になってきています。
 そのため各国の指導者は当然「戦争を避けること」を前提に外交や政治を行っているはずですし、そうして行くべきなのでしょう。
 その「当然の事」をしているだけの人をなぜ表彰するのでしょう?
 何か釈然としません。

 ノーベル賞というのは世界的に見ても最も権威のある賞と言ってもいいでしょう。
 そのため受賞者は一夜にして「世界的な影響力のある人物」になってしまいます。
 それだけ影響力のある賞なので、受賞者を誰にするかによって今後の世界の方向性を少なからず変えてしまう可能性があります。
 一方でノーベル賞はそれまでほとんど無名の人を発掘するのにも長けています。
 社会には、「まだ知られていないけれどとても重要な社会貢献をしている人」は数多く存在しているはずです。
 そういう人たちを探してきて表彰する事にこそ、ノーベル賞の意味があるのではないでしょうか。
 もちろん受賞者の多くは「その分野では名の知られた人」が多いのも事実でしょうけど、そういう人たちの多くは一般社会での認知度はほとんどゼロに近い。
 そういう人に知名度を与える事でさらに社会貢献をしやすくさせる、というのもノーベル賞の効果なのではないでしょうか。
 例えば近年ではワンガリ・マータイさんやムハマド・ユヌスなどはどうでしょうか。
 この二人、日本はもちろんの事世界的にも「一般的な知名度」はゼロだったはずです。
 しかしノーベル賞の受賞によって世界的な有名人になりました。
 その後マータイさんは環境保護活動のわかりやすい標語として「MOTTAINAI」を世界中に広めました。
 日本語が世界に広まったから良いとかそういう低レベルの話ではなく、それまで環境保護に関して何をしていいかわからなかった一般の人に対して「3R」とか「MOTTAINAI」という言葉を広める事で、具体的に何をどうすれば良いのかを伝えたという功績は非常に大きいでしょう。
 ムハマド・ユヌスさんは「マイクロクレジット」という仕組みを考え出し、発展途上国の貧困解消に役立っています。
 ユヌスさんの受賞がきっかけで「グラミン銀行(ユヌスさんが創設したマイクロクレジットを行う金融機関)」や「マイクロクレジット」という言葉は世界的な知名度を持ちました。
 それがきっかけでマイクロクレジットという方法を使えば貧困から脱却できるかもしれない、と考えた人たちも大勢いたでしょうし、その後マイクロクレジットという仕組みは世界中に広まりつつあるようです。
 この人たちのような「それまで知られていなかったけど重要な人たち」を探して表彰する事がノーベル賞の本来の意義なのではないでしょうか。
 こういう人たちが受賞する事でその運動を知り賛同したり協力したりする人も増えて行くでしょうし、同様の試みを始める第二、第三の人たちも生まれてくるはずです。
 「普通の人」が受賞する事で多くの志のある一般の人たちが「私もやってみよう」と思い、同様の試みを始める可能性が生まれるわけですし、その結果社会がより良い方向に変わっていくのを手助けする事にもなるでしょう。
 「大統領」や「総理大臣」が受賞する事で第二、第三の「大統領」や「総理大臣」が一般の人の中から生まれるのでしょうか?
 「私もあの人のように社会貢献をしよう」と一般の人たちが思うでしょうか?
 今現在ボランティアなどの社会貢献をしている人たちの励みになるのでしょうか?
 甚だ疑問です。
 ノーベル平和賞の受賞候補者の中から権力者など社会的に地位や権力や影響力のある人は除外するべきなのではないでしょうか。

 少し前の話ですがNHKのチェンジメーカーという番組で「ネズミを使って地雷撤去をする」という人を紹介していました。
 この方法は今までの地雷撤去法と比べると短時間で広範囲を調査でき、経費も格段に少ないそうです。
 しかもネズミは現地調達出来る種類で、ネズミ自身も体重が軽いので地雷を踏んでも爆発せず誰も何も傷付かないという画期的な方法です。
 同時にこのネズミの訓練や繁殖を事業化し(収入は寄付が中心でしょうけど)現地の人の職業としても成立させています。
 すでにそれなりの成果を上げているそうです。
 あらゆる意味で画期的で素晴らしいと思うのですが、こういう人にこそノーベル平和賞を贈るべきなのではないでしょうか。
 この人たちが地雷撤去を行っているのはアフリカですが、地雷に苦しんでいる地域は世界中に他にもたくさんあります。
 もしもこの人がノーベル賞を受賞して、そういうやり方が存在するという事が世界中に知られれば、同じ方法で地雷を撤去し始める人たちも出てくるでしょう。
 そうすれば世界中から地雷が撤去される日も早まるというものです。
 それでこそ「平和賞」なのではないでしょうか。

 おそらくこういう「まだ誰も知らないような方法」で「世界平和に貢献している人」は他にもたくさんいるはずです。
 そういう人たちを探してきて表彰し、その画期的な方法を世界全体に知らせる事こそが平和への近道なのだと思うのです。
 すでに影響力を持っているような有名人など、表彰する必要など無いのではないでしょうか。
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 民主党の議員が、「キャバクラの費用」を「政治活動費」で計上していたそうです。
 …勘弁してくれよ。
 「民主党、お前もか…」という心境です。
 自民党同様、民主党も「公費と私費の区別が付かない」体質なのでしょうか。
 これでは税金を「自分達の金」だと思い込んでいる官僚と大差無いですよ…
 いや、それ以下かも。
 民主政権が転ぶきっかけはやはり「金」でしょうか。
 「故人献金」の問題もありましたし。
 政治家には清廉潔白であってほしいとは思いますが、まぁこういうところに行くなとは言いませんよ。
 でもそれは「自腹で行く」所でしょう、常識的に考えて。
 情けない。
 社民党の党首も激怒しちゃってますよ。
 やっぱり人の上に立つ人物には襟元を正していただきたいのですが…

 とまぁ、正直このニュースを知った時には怒りを通り越して呆れてしまったのですが、ちょっとだけ気になるニュースがもう一つ。
 「大臣スキャンダル」リークまでやる 官僚たちの「抵抗」テクニック (J-CAST)
 このニュースによると、官僚は大臣が自分達の意に沿わない事をする場合、あの手この手で大臣潰しにかかるそうで、その手口の中には「大臣のスキャンダルをリークする事」も含まれるそうです。
 これらの言葉は官僚経験者が2009年9月30日に放送されたテレビ朝日のワイドショー番組「スーパーモーニング」で語ったものだそうです。
 他にも「官僚にとって都合の良い情報だけを流し、政治家の判断をミスリードする」とか「役人言葉で文書を書いて、別の解釈もできるようにするテクニック(霞ヶ関文学というらしい)」や「族議員をけしかける」などがあるそうです。
 そしてその中の手口の一つが「大臣のスキャンダルをリークする」という方法なのだそうです。
 おそらく最終手段なのではないでしょうか。
 そして民主党政権には族議員もいないし、最初から「こういう風にしたい」という結論から始まる政治スタイルのようなのでミスリードも困難。
 役人言葉の解読にも気を配りそうな感じです。特に長妻大臣辺りはその辺のテクニックには長けてそう。
 となると官僚が使える抵抗手段は「スキャンダルのリーク」しか残っていない?
 …という事はもしかして今回のキャバクラ問題も!?

 今回、政治活動費としてキャバクラの費用を計上していたのが判明したのは毎日新聞の調査報道という事なのですけど、もしかしてネタ元は官僚?
 官僚としてはこの民主党政権は何が何でも潰したい、というのが本音でしょう。
 だから出来る限り早急に潰したいはず。
 遅れると行政改革が進み、官僚からすればどんどん取り返しがつかなくなる。
 そこでこのスキャンダルをリークした…
 マスコミ側はネタ元にどんな思惑があろうと「スキャンダルは暴くもの」という習性があるでしょうし、スクープはものにしたいところでしょう。
 何か証拠があるわけではありませんが、とりあえず辻褄は合う。
 特に国会が始まってもいない上に政権発足直後の今こういうネタを出し、自民党の「官僚に近い議員」をけしかければ次の国会の議論の中心は「政治と金」になり、行政改革や税金の無駄遣いを無くすというような事を二の次にする事も出来る。
 考え過ぎでしょうか?

 何はともあれ民主党の今回の事は許されて良い様な事ではないとは思いますし、政治家たる者襟元を正すのは当然だとは思います。
 が、この事を問題視する際には「もしかしたら官僚の陰謀かもしれない」という疑惑の目も忘れてはならないのかもしれません。

 うーん、もはや何も信用できない…困ったもんだ。
 一つの情報だけで考えるのではなく、いくつもの情報を総合して「深読み」したり「裏読み」しなければいけないのだろうか…
 こういう能力を「情報リテラシー」というのでしょうかねぇ?
 「下衆の勘繰り」という方が近いような気もしますが。
 あんまり考え過ぎると逆に情報を歪めてしまいそうですし…
 難しいなぁ。
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海外は本気だ!

 「ペットボトル禁止令」「白熱電球禁止令」…
 何だかすごい事になってるみたいです。
 日本ではなく海外の話なのですが…
 ペットボトル禁止はオーストラリアのシドニー近郊の町「バンダヌーン」という所だけの話で、同町内ではペットボトル入り飲料水販売を全面的に禁止という方法に出たそうです。
 世界初かも、との事。
 理由はもちろん環境問題絡みです。
 ペットボトルの製造や輸送で石油が消費される上に使い終わったペットボトルがゴミ問題の原因になる、という理由です。
 驚くのはこの禁止法案が同町の住民の投票で決まったという点。
 環境意識が地域ぐるみで高いのでしょう。
 この町、人口はわずか2000人程なんですけどね…
 2000人…満員電車何両分だろう?
 ちなみに同町ではこの法案に伴い、「町内の数カ所に水道水を供給する施設を開設」「繰り返し使える飲料水用ボトルの販売」を行ったそうです。
 …ふと思ったんですけど、日本って公園とかに普通に「誰でも使える自由な水道の蛇口」がありますよね。
 水筒だって売ってるし…
 今すぐにでもやれば出来そうな気がします。
 飲料メーカーに対する営業妨害にはなってしまいますけど。

 白熱電球禁止もオーストラリアかニュージーランドで行われていたはず…と思って検索したら意外な事実判明。
 EUで9月1日から白熱電球の販売が禁止されてしまったそうです。
 電球を電球形蛍光灯に切り替えろって事ですね。
 海の向こうは本気です。
 日本でも2012年までに廃止の方針なのだそうですけど…
 温室効果ガス25パーセント削減を宣言しちゃったわけですけど、この辺の対策は早くならないのでしょうか?
 販売はともかく、生産は早めに止めてしまっても良いような気がしますが…
 最近の日本の技術はさらに一歩進んでこんなものも発売されてますけど。

 LED電球です。
 寿命が従来の電球の10倍ぐらいで、消費電力は遥かに少ないそうなのですが値段が…高い。
 電球型蛍光灯と比べても寿命や消費電力などの性能はこちらの方が上のようなのですが、普及にはまだ時間がかかりそう。
 以前と比べると半額以下にはなっているのですけど、まだまだちょっと高い。
 高いとは言っても数年で元が取れるはずなので、長期的に見ると白熱電球よりもLED電球の方がお得なのですが。
 消費者には伝わらないんだよなぁ…
 大量生産が進めば値段がもう少し下がるんでしょうか?
 数年で一気に導入が進めばかなり大きな温室効果ガスの削減にはなりそうですけど。
 発電所がいくつか不要になるかもしれませんしね。

 電球はともかくペットボトル禁止は日本では無理でしょうか。
 可能性を指し示すニュースの一つになりそうなのもあるのですが…
 スターバックスコーヒージャパンが、「マイタンブラー」「マイカップ」持参者に対して各飲料を50円引きで提供するそうです。
 期間限定ですけど。
 最近は保温の出来るマグカップタイプの水筒も売っていますし。↓

 こういうのを使えって事でしょうか。
 今までは20円引きだったらしいのですが50円引きにする事で利用者を増やしたいという思惑なのだそうです。
 割引制度があっても利用者が少なかったんですね…
 うーん。
 スターバックスのようなお店ならともかく、日本に溢れかえっている自動販売機の方はどうにもなりませんし。
 なかなか難しいかな…
 コンビニやファーストフード店などならばスターバックスのような事も可能でしょうけど、日本のペットボトルや缶ジュースの文化は自動販売機によるところが大きい気がします。
 ドイツでは分厚いペットボトルを作り、再使用することで資源の節約に努めていると聞いた事があります。
 再使用ならば今の日本の自販機文化を維持できますが、これも洗浄の手間や回収の際の運送などを考えると必ずしも大きな効果が出ているかどうかには疑問がありそうですし。
 昔ながらのビンは重たいので、輸送の際のロスが大きいので却下。
 そもそも自販機自体が電力を常に消費し続けているわけですし、自販機文化とエコは両立しないのかも…
 昔は(今でもたまにありますが)紙コップに飲み物が入れるタイプの自販機がけっこうあったのですが、アレを応用すれば自販機とマイカップは両立するかもしれませんよね。
 カップのサイズを業界で規格統一し、マイカップを持って行ってそこに自販機に飲み物を入れる、というスタイルならば脱ペットボトル・脱缶でも自販機文化は維持できます。
 自販機そのものに電力が使用されるという事実は変わりませんけど。

 環境保護のために今までの便利さを捨てるというと抵抗が大きそうですけど、今までの便利さを維持しながらもちょっとだけ変えるのならば、抵抗は少なそうですよね。
 そういう方向で社会全体のライフスタイルをホンの少し変える、という方法を社会全体で考えないと25パーセント削減の達成は難しいかもしれません。

 ところで、社会全体でマイカップを前提としたシステムにしたら、飲料メーカーの利益は上がりそうですよね。
 缶やペットボトルは買わなくて済み、各飲料を入れたタンクを載せた車で各店舗や自販機に中身だけを補充していけばいいんですから、自販機に一個一個商品を詰めるのに比べれば手間も少なそうですからその分人件費も浮くはず。
 輸送だってペットボトルや缶の分の重さが無くなる分効率的なはずですし…
 上手くやれば飲料メーカーが反対する理由は無くなりそうですけど…やはり難しいのでしょうか。
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自民党新総裁決定

 自民党の総裁が谷垣禎一総裁に決まりました。
 真面目そうで地味な人です。
 でも、妥当な人選なのかもしれません。
 経験豊富な実力者でもあるし…

 意地悪な見方をすると「自民党は何も変わっていない」という風にも見えます。
 党の重鎮や派閥を中心に支持を得ていたようですし、「全員で一丸となって」というのも「古い体質をそのまま残して」という風にも受け取れます。
 もちろん、「そう見えるだけで実情は大きく変わっている」のかもしれませんけど…
 もしこれから再度「政権交代」をするつもりならば、「今までの自民とは違う」という所を前面に押し出していかなければならないのではないでしょうか。
 先の選挙での敗北の原因は未だに人によって様々な分析がされていて、「これだ」という決定的な結論は出ておらず、むしろ何か致命的な理由ではなくいくつかの複合的な要素が絡まっての大敗、と見た方が自然な気もします。
 複合的な要因が敗因だとすると、国民の多くが「自民党はイヤ」という意識になってしまったと考え、その対策を考えた方がいいのではないでしょうか。
 今までの自民党のままだと、おそらく次の選挙でも勝てないでしょう。
 今より議席が増えるかもしれませんが、政権交代までは出来なさそうです。

 二大政党制のためには民主党以外に大きな政党が必要です。
 現時点では自民しかいない。
 日本に二大政党制を根付かせるためには自民党にも頑張ってもらわなければ困ります。
 そのためにも「自民党は変わりました」という所を見せて欲しいのですけど…
 変われますかね?
 一つ気になっている事があります。
 総裁選の一週間ぐらい前だったでしょうか。
 対抗馬の河野太郎さんが「離党も視野に入れている」と言うような発言をしていました。
 どこまで本気かわかりませんけど、彼は「世代交代や派閥解体」を訴え「古い自民党の体質」を批判し、党として生まれ変わらなければならない、と言っています。
 そして、「古い体質」が改善されなければ「離党するかも」とか「自民党には先が無い」と言ってきました。
 その彼が谷垣総裁の半分ほどの票を総裁選で得ています。
 自民党の3分の1ぐらいは積極的に「変わりたい」と願っていると言う事でしょうか?
 逆にこれだけの支持を得られたのだから余計に「離党」の可能性が増したかもしれません。
 3分の1ほど支持があったと言う事は、彼が離党する際には何人かついて行くという事かもしれませんので。
 「みんなの党」という受け皿になりそうな党もありますし。
 ただ、ここで離党されると自民党はさらに弱くなってしまうわけで、当然民主党の「一党独裁状態」が強まってしまう。
 二大政党制を根付かせたい人間としては、それは困るんですよね。
 とすると、河野さんが「とりあえず離党を思い止まる」ぐらいの改革案を谷垣総裁が実行できないと自民がさらに崩れてしまうのかもしれません。
 野党の総裁選という事で注目度が低いのですけど、日本の数年後まで考えると今の自民の状況というのはとても重要なのではないでしょうか。
 民主政権だけでなく、自民党の動きも気にかけておく必要がありそうです。

 ところで、この状況では仕方が無いのかもしれませんが今の自民党は「党を一つにまとめる事」と「政権交代を目指す事」がすべての中心になってしまっています。
 どちらも大切な事なのですが、国民としては「その先」つまり「政権を取り戻したらどんな国にしたいのか」がまだ伝わってきていません。
 民主党は「脱・官僚依存」を訴え、上手く行くかどうかはわかりませんが、日本の政治の仕組みを変えようとしています。
 自民党にはそれに対抗するだけの「対案」があるのでしょうか?
 そもそも「脱・官僚依存」に近い「政治主導」というのを自民党も数年前から言っていました。
 でも上手く行かなかった。
 国民はもうずいぶん前から「政治主導」にして欲しいと願っていて、自民では出来なかったから民主を選んだのではないでしょうか。
 その可能性として先の選挙の直前でも「総理に相応しくない」という世論調査の結果が鳩山・麻生双方に同程度出ていました。
 民主党を支持している人たちの多くは「自民がダメだから仕方なく民主を選んだ」という消極的な支持者が多いのではないでしょうか。
 となると次は「民主でもダメだったからもう一回自民」という可能性もあるでしょう。
 しかし、そんな政治で良いのでしょうか?
 あっちがダメならこっち、こっちがダメならあっちって…
 そんな消去法的な選挙ではなく、もっと積極的に「この党の考えに賛成」と支持したいのですが。
 積極的な支持者を増やすためにはやはり「こういう国にしたい」という具体的なビジョンが必要なのではないでしょうか。
 自民党には「政権与党のスペア」ではなく、「積極的に支持したくなるような立派な政党」として復活して欲しいです。
 それが出来ないとこの国は本当に…
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25%削減!?

 やっちゃいましたね、鳩山総理
 国際舞台で「温室効果ガス25パーセント削減を目指す」と明言してしまいました。
 目指すだけだから達成できなくても…というわけには行きませんよね。
 大丈夫かなぁ…
 経済界からは反発の声が上がったり「具体的な道筋を示せ」と注文が付いたりといきなり暗雲がたちこめているようですが。
 演説では排出権取引も導入するそうなので、もしかしたら「現実的には大して削減せずに金を払って済ませよう」というような結論に達してしまいそうな気配も…
 排出権取引を行う事が無意味だとは思いませんけど、あれって結局「先進国から出ている温室効果ガスの量は変わらない」という事ですよね?
 まぁ、その分途上国からの排出量が減るはずなので地球全体から見れば問題は無い、という事なのかもしれませんけど。
 ですが、排出権取引を市場経済で行うという事は投機の対象になるって事ですよね。
 大丈夫かなぁ…
 またバブルみたいな状態になって、サブプライムローンとかリーマンショックみたいな事になるのではないでしょうか?
 昨年は原油価格が高騰しサーチャージなるものが航空会社で導入されましたけど、こういうのが日々の生活の中に入ってくる可能性もあるのではないでしょうか。
 嫌ですよ、そういうのは。
 コンビニでおにぎりを買おうとしたら「本日は排出権が高騰しておりますので、額面の価格にプラス20円お支払い下さい」とか言われるのは。
 可能性、ゼロじゃないですよね、コレ。
 逆に暴落とかしたらどうなるのでしょう。
 非常に安い価格で排出権が取引された結果、本来ならありえないような大量の温室効果ガスの排出が許されてしまう、というような事態が起きる可能性は無いのでしょうか?
 市場を使うと不確定要素が強くなるので、安易な利用は避けて欲しいのですが。

 排出権の利用を「いざという時の保険」と仮定し、できれば「実質的に25パーセントの削減」を目指し、さらに言えば「排出権を買う側ではなく売る側に回りたい」というのが本音です。
 もし「売る側」に回れば新たな国家財源になりますから。
 日本は技術力で世界のトップを走っているのですから、もしかしたらそっち方面での可能性もわずかながらですが、あるのかもしれません。
 特に根拠があるわけではないのですが…

 さて、少し話が飛ぶのですが、以前こういう話を聞いた事があります。
 「少し減らすのは難しいが大きく減らすのは簡単だ」というような話です。
 言葉だけ読むと何の事だかわかりませんが、結構有名な考え方なんだそうです。
 この言葉、どうも松下幸之助が言ったらしいのです。
 出典は不明なのですが「一割減らすのは難しいが半分にするのは簡単だ」というような事を言ったそうです。
 コストについての言葉なのか人員についての言葉なのかもよくわかりませんし、ほとんど「とんち」の領域の言葉なのですが、この言葉が意味している所はもしかしたら「温室効果ガス25パーセント削減」にも通じるかもしれないのです。
 この「とんち」のような言葉、意味している所は「発想の転換」なのだそうです。
 「少し」とか「1割」とかを減らそうとすると今のシステムや発想を維持したままチマチマと削る事ばかり考えてしまうが、「大きく」とか「半分」とか明らかに不可能な目標を提示すると今までのやり方では当然不可能なので、そもそもの前提条件から見直し、今まで考え付かなかったような「斬新で大胆なとてつもない発想が生まれる」、というか「生まれないと無理」という事なのだそうです。
 過酷な状況に自分を追い込んで思いがけない解決法を発明せよ、という事でしょうか。
 こういう考え方で解決策が見つかるのかどうかわかりませんけど、無理矢理ハードルを引き上げる事で発想力を刺激する、というのは一つの方法かもしれません。

 とは言うものの、それって政治が中心になって実行できる事なのでしょうか?
 政治が中心になって「政治の力が直接及ぶ範囲内で画期的な発想」と言ってもある程度限られてくるような気がします。
 無理を承知でやるなら「自家用車禁止令」とか「食品を含むすべての物品の長距離移動を制限する」とか「夜間強制停電」とか変な事しか思い付きません。
 物流を現在のトラック中心のシステムから貨物列車中心のシステムに変えるとか、自家用車は電気自動車のみ認めるとか、そんな感じでしょうか…
 そういえばここ数年の排出量の増加はパソコンなどIT関連によるものも増えていると聞いた事があります。
 パソコンも他の家電同様「消費電力が少ない」というような事を売りにする時代がくるのでしょうか?

 何だかこういう発想では無理っぽいですよね…
 「乾いた雑巾を絞るようなもの」と例えられるぐらい日本の省エネ技術は進んでいるので、「削減」という発想では限界があるのかもしれません。

 少し他の方へ目を向けて見ましょうか。
 先日こういうニュースが報じられていました。
 「<ミドリムシ>火発排ガスで培養 温暖化対策に新技術 (毎日新聞)」というものです。
 火力発電所から排出される大量のCO2を含む排ガスで単細胞生物の「ミドリムシ」というヤツを培養する事に成功したそうです。
 このミドリムシ、動物と植物の中間的性質を持つそうで、なんと「光合成をしてCO2を吸収する」のだそうです。
 しかもその光合成能力はかなり高く「熱帯雨林の数十倍に達する」のだそうです。
 さらに通常の空気に触れている時よりもこの「CO2濃度の濃い排ガス」の中に居る時の方が「増殖スピードが上がった」そうです。
 「温室効果ガスが多ければ多いほど増殖し、温室効果ガスの削減スピードが上がる」という事でしょうか?
 さらにミドリムシなどの藻類は細胞を壊して「化学処理すれば良質なバイオディーゼル燃料になる」のだそうです。
 えーっと、何ですか、コレは?
 つまりこういう事ですか?
 「CO2そのものがバイオディーゼルになる」と。
 温室効果ガスがそのまま資源になる、と。
 そんな「現代の人類にとって都合の良過ぎる微生物」がこの世に存在して、しかも培養も可能な段階に来ている、と。
 こういう研究を推し進めて実用段階にもって行き日本中で使えるようにするのが、さきほどの松下幸之助の言葉が示す「発想の転換」というヤツなのではないでしょうか。
 微生物関連では他にもボツリオコッカスという「重油を作り出す」ヤツやシュードコリシスティスという「軽油を生み出す」ヤツが確認されているそうです。
 これはひょっとして、行けるのではないでしょうか?
 「日本の技術力で解決」の「技術」の中にこういう「バイオ関連」が入っているのか疑問ですが、機械的な技術(ハイブリッドカーなど)や金融技術(排出権取引)以外の「第三の解決策」がこの世に存在しているのは非常に頼もしいです。
 今までの日本政治では国策として「機械の技術」を上昇させる事を中心としてきていますし、そっち方面に対する様々な援助があったのでしょうけど、この際この「バイオ関連の技術」を無理矢理に上昇させるために政府があらゆる面において全面バックアップをする、という選択肢もあるのではないでしょうか。
 バイオ関連の技術開発にどれだけのお金やどのような援助が必要なのかはわかりませんが、「エコ減税」とか「道路工事」とかに予算を回すよりもこの「人類にとって都合の良過ぎる微生物」を研究し、必要があれば「遺伝子をイジってでも」実用性の高い技術に昇華させるのが、この国の未来を救う方法の一つなのではないでしょうか。

 ついでに。
 東京でオリンピックをやろうと言っている人たちがいます。
 誘致も頑張っています。
 このオリンピックの東京での「セールスポイント」の一つが「エコ」だそうです。
 個人的にはこのオリンピックには反対なのですが、もしも上記の「バイオ技術」がオリンピック開催よりもかなり前の段階(オリンピックが2016年としてその数年前というと、4年先ぐらい?)で実用化し、街中にこのバイオ技術を元にしたシステムが溢れかえっている(この微生物によるバイオ燃料で走る自動車や火力発電など)のならば、このオリンピックが開催され世界中の注目が集まると、日本の「新しい画期的なバイオ技術」を宣伝する最高の舞台になる可能性があります。
 鳩山総理が「25パーセント削減」を宣言した際、他国の首脳は具体的な数値目標を掲げる事ができませんでした。
 そしてこの「鳩山イニシアチブ」なるもので、日本が温暖化対策で国際社会でのリーダーシップを発揮しようという考えだそうです。
 「25パーセント削減」「ミドリムシによるバイオ技術」「オリンピックでの宣伝」の3本セットならば、ひょっとして物凄い効果が期待できるのではないでしょうか?
 そういう意図があるのならば、「東京オリンピック」大賛成です。
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 鳩山内閣がスタートし徐々にではありますが「政治主導」というものの形が見えてきました。
 今までは官僚がいくつもの法案を大臣に提出し「これでいいですか?」と訊き、大臣側が承認を出すという方式だったそうです。
 これって時代劇に出てくる殿様の「よきにはからえ」というヤツと同じなのでは…
 そのやり方がこれからは大臣・副大臣・政務官などが数人で集まってアイデアを出し合うなどして基本方針を決め、その方針を官僚に実行させる、という方式になったようです。
 疑問点が無いわけではないのですが、政治主導という意味では多分正しいのだと思います。
 しかしこの方式、今回の内閣ならば上手くこなせる可能性がありますが、これから先ずっと続けられるシステムなのでしょうか?
 このやり方だと政治家の意思が大きく政治に反映されます。
 当然有能な政治家ならば問題はないのですが、もしも能力に問題のある政治家が大臣ポストに就いてしまったらどうなるのでしょう?
 想像を絶するような国家の迷走が始まる、という事なのでしょうか?
 今回の内閣は「オールスター」と呼ばれるぐらい名の知れた人たちが入っていますが、入閣しなかった人たちの中に彼らに匹敵するだけの実力を持っている人が何人残っているのか不明です。
 無能な人間を大臣に据えないためには人材の層の厚さが重要なのですが、民主党は人材難の気配があります。
 では対する自民党はどうかと言うと、やはり不安。
 今までのやり方ならばともかく、これから始まる政治主導のやり方だと対応できる人材はかなり限られてくるのではないでしょうか?
 何にしても人材が重要なわけですが、もう一つこれに関して問題になりそうなマニフェストがありましたよね。
 民主党のマニフェストに含まれていたかどうか覚えていないのですが、選挙前の与野党の発言の中には双方とも「政治主導」と「議員削減」が含まれており、この二つに関しては与野党関係なく実施する方針だったはずです。
 これから人材が必要だという時に議員削減…
 本当に出来るのでしょうか?
 現時点において議員が足りないとは思いませんし、今でも議員の総数は多過ぎるとは思います。
 諸外国と比べても人口比での議員数の比率は高いと聞きます。
 日本の議員は多過ぎるので減らすべきなのですが…
 一体どこまで減らすべきなのでしょうか?
 鳩山内閣では「政府に議員を100人以上送り込む」と言っていました。
 自公政権の際も現実的に70人ほど政府に議員が送り込まれていたそうです。
 つまり与党になるとかなりの人数が何らかの形で政府に送り込まれるわけです。
 しかも政治主導になったら送り込まれる人たちの仕事は激務になります。
 しかし議員の仕事はそれだけではないでしょう。
 政府の仕事だけでなく国会内の小委員会などにも出席しなければなりません。
 …大丈夫でしょうか?

 政権交代前も政権交代後も、与党は小選挙区制の影響か野党の議席を大幅に上回る議席数を獲得しており与党側は数の上では相当に余裕があります。
 が、このような数的有利な状態が今後も続くとは限りません。
 どこかの時点で与野党拮抗という状況にもなるでしょう。
 その状況の中で与党側は政府に100人規模の人員を送り込むわけですよね?
 しかも有能な人材を。
 という事は残るのはそこそこの実力の人ばかりの可能性も…
 国会の方の主導権を野党に握られてしまう、などという事は起こらないのでしょうか?
 少なくとも各委員会での議論を野党ペースで進められる可能性は高そうですよね。
 現在の総議員数でも、議席が拮抗した上に与党から100人以上政府に行ったら国会に専念出来る人数の差は2対1ぐらいで野党の方が多くなるはず。
 ここからさらに総議員数が削減されると、この差はさらに開くのではないでしょうか?
 しかも野党側は有能な人材が残っているのでその力の差は歴然。
 今まで以上に国会の運営が難しくなるのではないでしょうか。
 そういう事を考えると「政治主導」と「議員数削減」を同時に行うと、安定した政権の運営が困難になるような気がするのですが…
 もちろん各議員の能力を向上させれば、そういう事態は避けられるでしょう。
 が、国会議員の場合官僚と違い選挙というモノが存在します。
 数年で任期切れになってしまうわけです。
 有権者が政治に常に興味を持ち、自分の選挙区の候補者の能力を理解できていればいいのですが、現状では能力よりも知名度などが勝ってしまっています。
 政治主導のためには有能な人材が豊富に必要なのですが、それを判断する術が有権者には少ないのではないでしょうか。
 今回の選挙では「ドブ板選挙」など候補者の能力よりも知名度などのイメージで勝負をし、勝ってしまった候補者もかなりの人数のようです。
 この傾向が今後も続いたらどうなるのでしょうか?
 優秀な現職の議員がいたとして、その人物が地味で目立たないタイプだったとしたら…
 さらに現職の議員は政治主導のために日々の仕事が激務になり、おそらく選挙区には帰れません。
 それで選挙に勝てるのでしょうか?
 一歩間違えると有能な人間ばかり落選するというおかしな状況に陥る可能性もありそうです。

 政治主導というからには当然、大臣にはその分野に関してかなり詳しい人材に就いてもらわなければなりません。
 政治主導では行政と立法府の対立は今まで以上に激しくなるはずですから。
 今までのように派閥順送りや年功序列では政治主導はできないでしょう。
 各国務大臣はある種「専門職」に近くなるはずです。
 大臣になる前から「私はこの分野に関してなら詳しいです」と胸を張って言えるようにならなければいけません。
 それ程の人材を育てるなり見つけてくるなりするというのはかなり難しいのではないでしょうか?
 となると医師会や弁護士会などを始め各業界との連絡を密にし、現場の状況がすぐに政党に伝わるような仕組みを作るか、それらの業界から政治家になってくれる人を探すという事になるのでしょうけど…
 現在のように各団体が人まとまりになって「どの政党を応援する」というようなやり方だと、情報が一方の政党にしか伝わらず混乱を招く恐れもありそうです。
 となると今までのように「○○会として○○党を支持します」という形ではなく、各団体の中でも与党支持と野党支持という具合に色分けし、両方の党に人材や情報が流れるという形になっていくのでしょうか?
 何か大きな混乱を招きそうな気が…
 二大政党制って「政治の世界の話」というだけではなく、極論すれば「日本中のすべての人を色分けする」という事なのかもしれません。
 これはひょっとして「政権交代できる政治システムになりました」というだけでなく、日本そのものの仕組みを変えて行く事になるのかもしれません。
 「政治主導」と「議員数削減」を行うつもりならば「優秀な人材の確保」が重要になり、そのためには「優秀な人材を育てる・見つける」仕組みと「選挙で優秀な人材を見抜く」力が必要になりそうです。
 選挙のやり方を含め、政治や国のやり方やあり方、国民の政治や社会に対する意識などを根本から変える必要があるのかもしれません。
 「政権交代は完了した、後は任せた」ではなく、二大政党制と政治主導を維持するために国民が常に政治に関心を払い意識し続けなければならない時代になった、という事なのでしょう。
 これ、ものすごく大変な事なのでは?
 国民全員の意識を「議員任せ」から「自分達で選ぶ」に変えなくてはならないわけですから、ひょっとして明治維新(というか開国・文明開化)並みの大転換なのかもしれません。
 大きな改革が出来るかもしれませんけど、それは同時に大きな混乱を伴うものでもあるのではないでしょうか。
 生みの苦しみ、と思ってかなり耐える必要があるのかもしれません。
 上手く行けば日本は強い国になれそうですが…かなり難しそう。
 「痛みを伴う構造改革」どころではなさそうですし…

 仮に、鳩山内閣がこの改革に成功し政治主導を実現できたとしても、まだ問題が残ります。
 民主党は「二大政党制」を掲げていました。
 当然、「いつかはまた政権交代が起きる」事を前提にしているはずです。
 となると民主党だけでなく自民党の存在も重要になるのですが…
 果たして「政治主導達成後」の政権運営が自民党に可能なのでしょうか?
 一度仕組みを変えてしまった以上は政権交代をした後もこの方法を続行して行くのが基本になるはずです。
 自民党も大臣には「有能な専門家」を据えないと国家が迷走を始めてしまいます。
 民主党が野党の時に行っていたように「ネクストキャビネット」とか「次の内閣」というものを作り、大臣候補を育てていかなければならないでしょう。
 実際に民主党の「次の内閣」のメンバーから直接大臣になった人は少数のようなのですが、そのメンバーの中から「副大臣」や「政務官」が何名か選ばれたようですので、人材育成の機能は持っていたのでしょう。
 自民党も似たような事をやって人材育成をしておかないと、与党になった途端に国家が機能停止に陥ってしまいます。
 それができないからと言って以前のやり方に戻すわけにはいきません。
 以前のやり方の結果が官僚主導を引き起こしてしまい、税金の無駄遣いなどの問題の原因になったのですから。
 あのまま放っておいたら「自民党と官僚による国家の緩やかな死」に至ってしまうと思い、多くの人は「民主党による大手術を受ける」という賭けに出たのですから、より良い方法に改善するのならばともかく、元に戻すという選択肢はありえないでしょう。
 民主党のやり方を踏まえた上で、さらに民主党を超えるような政治ができるかを自民党は問われる事になるはずです。
 また、民主党側も「二大政党制」を掲げ、政権交代をした以上は「次の政権交代」の際に引継ぎが速やかに行われるような方法も考えなければならないのではないでしょうか。
 例えば「政治主導における官僚の使い方」を自民党に教える事ができるのでしょうか?

 政治を自動車に例えるならば「政策やビジョン」は「目的地を決めるようなもの」であり、「行政の運営法」は「自動車の動かし方」です。
 目的地はそれぞれが勝手に決めればいいだけですが、動かし方は共通でないと困ります。
 その共通部分は共用してもらわないと国民としては困ります。
 今までの「タクシーに乗るだけ」のような政治の運営法から自民党が脱却できなければ「二大政党制」にはなりません。
 自民党が民主党から見よう見まねでもいいので、新しい時代の行政運営法を身に付ける事が出来るかどうかも、今後の日本にとっては重要なのかもしれません。
 …もっとも、今までの自民党の行動パターンから見ると、官僚出身者を候補者として大量に受け入れる事でこの問題を解決してしまいそうですが。
 それだと「違った形の官僚主導」になりそうですよね…
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