一言談話室

使用方法は「一言談話室・使用方法」の記事を参照してください。 ここの少し下にある「カテゴリー」から探すのが簡単です。

カテゴリー


FC2ブログランキングに参加中です。


プロフィール

泡雲法師

Author:泡雲法師


募金


FC2投票


ブログ全記事表示


過去ログ


最近のコメント


最近の記事


最近のトラックバック


リンク


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 ニューヨークで始まった「ウォール街を占拠しよう」というデモが、世界各国に広がっているようです。
 このデモ、始まったのは良いのですが段々と主張がバラバラに出てきていて運動としての統一性を欠いている、という指摘もあります。
 ある人は格差社会に対する問題を訴え、別の人は戦争反対を訴え、他の人はまた別の事を訴えている、というような具合。
 日本でも反原発が混じったりしています。
 主張はバラバラですがとりあえず共通しているのは現代社会に対する問題意識、という事でしょうか。

 このデモに関しては人それぞれに色々な見方がありそうなのですが、個人的にこの格差社会の問題をもう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
 現代社会、特にアメリカを始めとする先進国は基本的には「資本主義」で「民主主義」です。
 資本主義にも民主主義にも基本的なルールがあります。
 資本主義でよく言われている一般的なルールの一つが「リスクとリターンは等しい」というもの。
 多くのリターン(見返り)が欲しければ、それに見合ったリスク(危険)を引き受けろ、というものです。
 「ハイリスクハイリターン」「ローリスクローリターン」と一括りに使われる事もある言葉です。
 現代の社会で大きな格差が生じてもこのリスクとリターンが等しいのだから当然、という考え方が浸透しているわけですけど…
 この「リスクとリターンは等しい」というのは本当なのでしょうか?

 大金持ちはそれ相応のリスクを取っているからリターンが大きいのは当然、という事になっていますが大金持ちと言っても様々な人がいます。
 様々な人というとちょっと曖昧なので「お金持ちになる方法は人それぞれである」とここでは解釈してください。
 この人それぞれの方法なのですが、具体的には「起業する」とか「投資する」というのが一般的でそこにそれぞれに大きなリスクがある、という事になっています。
 起業する、というと確かにリスクがあります。
 成功するか失敗するかわからない事に自分の人生を賭け、自分の資金を賭け、場合によっては借金もするでしょう。
 これがリスクです。
 起業して失敗すれば自分の人生が大変な事になる、だから成功したならそれ相応のリターンを得て当然、という考え方です。
 この考え方は間違ってはいないでしょう。
 とは言ってもビル・ゲイツのような人を見ていると個人的には「この人何兆円も稼ぐほどのリスクを取ったのだろうか?」という素朴な疑問はありますが。
 彼が取ったリスクって多くても数千万円ぐらいのような気がするので、リターンが大き過ぎるのではないかという気はします。
 しかしそれでも、リスクは取っているし、もしも会社が潰れれば彼はすべてを失うでしょうから、ある程度なら彼のような起業家が大きなリターンを得るのは正当な対価と考えられます。
 もう一つの投資家はどうでしょう。
 有名なのはウォーレン・バフェットやジョージ・ソロスでしょうか。
 彼ら投資家も大きなリターンを得ていますが、当然それにふさわしいリスクも取っています。
 株にしろ為替にしろ先物にしろ、投資というものは自分の資産(もしくは誰かから預かった資産)を運用するわけで、失敗したらそれらをすべて失うかもしれません。
 信用取引をしていたら、元本だけでなくそれ以上の借金を抱え込む可能性もあります。
 リスクに対してリターンが多過ぎるかどうかはともかく、やはりそれなりのリスクを取っているので彼らの得ているリターンも正当な対価と考えられるはずです。

 起業家や投資家が大きな報酬を得ているのは、程度に問題はあるかもしれませんが正当な報酬と考えても良いと思うのです。
 しかし、世の中には「それ、本当にリスクを取っていると言えるの?」という不思議な人たちがいて、大きなリターンを得ていたりします。
 私が個人的におかしいと感じるのは「創業者ではない経営者」です。
 特にアメリカの経営者は時として100億円を上回る報酬を得ていたりします。
 自動車などのメーカーなどだけでなく、リーマンショックを引き起こした金融関係の経営者にもこの手の人がたくさんいます。
 彼らを擁護する人たちはいいます。
 「莫大な報酬を用意しないと優秀な経営者が雇えない」と。
 彼らの主張によると彼らの莫大な報酬の正当性の根拠は「彼らが優秀だから」という事になります。
 資本主義のルールは「リスクとリターンが等しい」というものであって、「優秀さ(自称)とリターンが等しい」というものではありません。
 変な言い方ですが、「どんなバカでもリスクを取ればそれに見合ったリターンを得る資格がある」というのが資本主義のルールです。
 現実にはバカなのにリスクを取るだけで成功する可能性は低いですが、どんなに低かろうと、それが実力ではなく運によるものであったとしても、リスクを取っていればリターンを得る事は正当と言えます。
 逆に言えば、どんなに優秀であってもリスクを取らなければリターンを得てはならない、という事にもなります。
 さて、「創業者ではない経営者」の人たちは果たしてリスクを取っているのでしょうか?
 また、本当に彼ら自身がいうように「優秀」なのでしょうか。
 まず第一に「優秀」に関しては疑問符が付きます。
 少なくともサブプライムローンというものを作って勝手に売りさばいて破たんさせ、リーマンショックを引き起こしたのは「失敗」です。
 本当に優秀ならばそういう失敗は避けられたでしょうし、例え避けられなかったとしても結果として「失敗」をしたのだからそれにともなう責任を取りリスクを負わなければなりません。
 もし起業家なら会社が潰れて借金が残るかもしれません。
 少なくとも資産の多くは失うでしょう。
 投資家も同様です。
 それがリスクを負う、という事です。
 ではこの「創業者ではない経営者(自称優秀)」な人たちはどんなリスクを負ったのでしょう?
 100億円を報酬として受け取っていたような人たちです。
 リスクとリターンが等しいのならば、100億円を失うぐらいの状態にならないとおかしいはずです。
 しかし実際は…
 一時的には報酬が下がった事もあったでしょうが、職を追われる事も無く自らの資産を大幅に毀損する事も無く、いつの間にやら高額報酬が復活しているような人たち、もいるようです。
 リスクとリターン、等しくないですよね?
 さらに言えば金融関係は公的資金の注入という形で税金を使って助けてもらっています。
 事実上、リスク取っていませんよね?
 お金の問題だけでなく、起業家のように自分の人生が台無しになるかもしれないというリスクも負っていなければ、投資家のように自分の資産をすべて失うリスクも負っていない。
 なのにリターンだけは起業家や投資家のようにガッチリと貰っているし、以前から貰い続けていた。
 サブプライム以前は「リスクを取っているのだからリターンを得るのは当然」と主張し莫大な報酬を得ていて、いざ有事の際には「リスクを取らずに国に助けてもらい」、にもかかわらず「相変わらずリターンは得ている」…
 リスクとリターンのルールはどこへ?
 明確なルール違反ですよね?

 また、「自称優秀」な人たちは莫大な報酬の根拠の一つとして「大きな責任を負っているから」という理由づけをする事もありました。
 いわく、「私が判断を誤れば社員全員が路頭に迷う」というもので「私は社員全員の人生に責任を持っているので高い報酬を得るのは当然」という論法です。
 …これ、正しいの?
 社員全員の人生に責任を持っている、という主張はウソですよね。
 少なくてもこの言葉を使うのならば「景気が悪くなったから社員を解雇」という選択肢は選べません。
 でも現実には選んでいる。
 もう一つ、「大きな責任」という言葉も見過ごせません。
 この責任が社員に対するものなのか株主に対するものなのか社会全体に対するものなのかはわかりませんし、その責任がそれなりに大きいものだ、というのは理解できます。
 が、それは果たして100億円を超えるほどの責任なのでしょうか。
 例えば同じように大きな、否、それ以上に大きな責任を負っていそうな人物がいます。
 「アメリカ大統領」です。
 他の国の国家元首でもいいです。
 この人たちの報酬、確か数千万円ですよね?
 でも責任は重大です。
 何せ国民全員の人生を全部背負っているわけですから。
 アメリカの全人口は3億人程度のようです。
 3億人の人生を背負って報酬は数千万。
 これをベースに考えると100億円を受け取っていい責任の基準は人口300億人以上という事になります。
 今現在の世界の人口が70億人ぐらいと言われていますから、「自称優秀」な人たちはその報酬を正当化するには地球4個分以上ぐらいの責任を負っていないとおかしい、という事になるはずです。
 明らかに貰い過ぎです。

 一方、デモをしている人たちは経済的には成功をしていない人たちだと思われます。
 貧困層とまではいわなくても、要するに「普通の人」たちという事になります。
 リスクとリターンのルールで考えると、「普通のリスクを負っているから普通のリターンを得ている人たち」という事になります。
 彼らは現在深刻な状況にあるはずです。
 失業したり医療費が高くて病院に行けなかったりという人もいるでしょう。
 場合によっては生活が危うい→そのうち食事に事欠き生命も危うい、という事になるかもしれません。
 そこに増税という可能性もあるわけです。
 彼らの基準からすればかなりのリスクを負っているとも言えます。
 そのリスクに対して、彼らはどの程度のリターンを得ているのでしょうか?
 「自称優秀」な人たちは「リスクを取っているフリをしてリスクを取らずにリターンを得ています」、ならば「リスクを取っていないように見えてリスクを取らされている普通の人」はそれなりのリターンを得ていないとおかしいはずですが、得ていないからデモをしているわけです。

 「資本主義」、という意味ですでにルールが破られています。

 「民主主義」はどうでしょう?
 「反ウォール街デモ」では「我々は99%だ」というスローガンが掲げられています。
 これは多くの富を1%の人が独占している、という主張の裏返しなわけですが、民主主義という点で見るとちょっと奇妙です。
 民主主義は多数決です。
 民主主義の理想では「全員で納得する事」が目標でそのためには多数派の意見だけでなく少数派の意見も尊重しよう、という考え方があります。
 往々にしてこの理想は破られ少数派の意見は無視され、数の暴力がまかり通る、というのが民主主義の欠点と言えます。
 さて、99%。
 額面通り受け取れば「圧倒的多数派」です。
 民主主義で考えれば勝利間違いなし、という数字です。
 その人たちがデモをしている=その人たちの主張が社会に反映されていない、という事と考える事も出来ます。
 …えーっと、「民主主義が機能していない」という事でしょうか?

 アメリカという国は一般的なイメージの置いて「資本主義」と「民主主義」のお手本のような国、となっているはずです。
 そのアメリカにおいて資本主義のルールが破られ、民主主義が機能していないというのは、冷静に考えると恐ろしい事です。
 デモを起こしている人たちの現代社会に対する違和感の根源にはこの「ルールが守られていない」という怒りが含まれているのではないでしょうか。
 今まで資本主義や民主主義を標榜していて、格差問題を含め様々な社会的矛盾が「ルールに則っている」という事で納得させられてきたのに、ここに来てルールが全く守られていない事が明らかになってしまったわけです。
 これに対して怒るのは当然ですし、そういう怒りが根底にあるのならばこの問題はなかなか解決しないのではないでしょうか。
 少なくとも「自称優秀」な人たちはルールを守って自らの失敗に相当した「リスクを負う」もしくは「ペナルティを払う」かをしなければ「99%の人たち」を納得させるのは困難だと思われます。
FC2 Blog Ranking←一理あるな、と思ったらクリックしてね。

コメント

 サキさんへ。
 確かに、社会構造の本質的な問題点は有史以来さほど変わっていないのかもしれません。
 今、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの「富の福音」という著書を読んでいるのですが、なかなかに示唆的な事が書かれています。
 彼が言うには、努力や才能のある人間が多くの富を得るのは当然の事なのだそうです。
 そして、社会が発展するのはそういう成功者がいるからだ、とも言うのです。
 例えば芸術などの文化的発展のためにはある一定数の富裕層というのが存在した方が良い、というのが彼の主張のようです。
 が、そこで終わらないのが彼の凄い所。
 格差社会はOKだけど、稼いだお金は社会に還元しなければ意味が無い、とも主張しているのです。
 彼に言わせれば、成功者が成功できたのは社会がきちんと機能しているおかげなのだから、社会全体にお返しをするのは当然であり、大富豪は積極的に社会福祉などに資産を投じるべきだ、と言っています。
 さらには相続税が累進課税で重たくなるのは大いに結構、残された妻子がそれなりの生活を出来る資産だけを残しあとは全部社会に還元すべきと言い切っています。
 それだけではなく彼は、成功者は知識と経験があるので大金の運用は誰よりも上手いはずだから、その能力を生かして生きているうちに資産を社会に還元するような組織を作るべきだとも言っています。
 日本でいう社会福祉法人とか財団法人みたいなものを作って、自分で運営して積極的に社会奉仕をしろ、という事のようです。
 なので、家族に遺産を残すとか自分が死んだ後にどこかに財産を寄付するというのは愚かな事、とまで書いています。
 死後の寄付でも良さそうですが、彼に言わせると「いきなり大金を渡されても上手に使いこなせる人間などいないので、大金を扱いなれている本人が実行しろ」という事のようです。
 彼なりのノブレス・オブリージュという事なのでしょう。
 他にも福沢諭吉が「学問のすすめ」でも似たような事を書いていました。
 今の世界に足りないのはこのノブレス・オブリージュのような発想なのではないでしょうか。
 アメリカでは著名投資家のジョージ・ソロス氏が積極的に社会奉仕に関わっているようですが、ウォール街のデモなどを見ていると多くの「巨額の報酬を得ている経営者」は社会奉仕が足りないから非難されているのではないか、とも思います。
 著名投資家のウォーレン・バフェット氏も「課税額が少な過ぎる、もっと払いたい」と言っているように、欧米の場合は成功者や大富豪の中にも社会的な意識を持っている人が何人もいるようです。
 しかし現在の先進国ではカーネギーの思想やそれに影響されているであろう人たちの理想とは逆の、相続税廃止などのような金持ち優遇策ばかりが取られています。
 おそらく、本当の意味での資本主義や民主主義はノブレス・オブリージュのような思想が社会全体に行き渡っていないとまともに機能しないのではないでしょうか。
 中世などの支配者層もいざ有事が起きれば率先して危険地帯に乗り込んで行ったといいますし、人間社会の構造的問題は変わらなくても、その対処法もまた同じように変わらないのかもしれません。
 今必要なのは社会構造の変化ではなく、成功者たちの意識改革の方かもしれません。
 …日本の場合はここに「陰徳」という「良い事は目立たないように行え」という思想があるので、カーネギーのように大々的に社会奉仕を行うというのは難しいのかもしれませんけど。

 少なくとも、辞書通りの「民主主義」というものはこの世には存在していない気がします。最貧国の独裁政権であれ、お手本アメリカ式民主国家であれ、程度の違いしかないような気がします。

 すごーくざっくりと見れば、いわゆる99%がどれだけ不満を持っているかの違いだけ。
 日本やアメリカは、全体のお金の量が多いので、99%にもそれなりにお金が回ってくるため、暴動までは起こらない。
 最貧国の国々が政情不安なのは、国全体が取るお金が少ないので、99%にはさらにお金が回ってこない。

 細かく一見「高尚」に見えるルールが整備されている政治的に成熟した国と、それがなされていない政治的に未発達な国、と分けることが出来そうですが、本質的に見ると、先進国も最貧国も、社会構造的には何ら変わりはないような気がします。
 国全体のお金と国民の量の差の違いこそあれ…


 思うんですけど…
 昔は簡単でした。富を全部吸い取る支配者と、それにぶら下がる使役者。なんていう簡単な社会構造でした。
 現在になって、これのどこが変わったのか…
 色んな飾りが付いて、その単純構造が見えにくくはなっていますが、実際は古代人の時代と全く変わっていない感じがします。

 人間の歴史って、支配者が、いかに被支配者に「自分は支配されている」と思わせないかを競い、発展してきたようにも思えてきます。
 そして、もしこの問題の本質がそうなのならば…被支配者の我々が、集団で支配者の知能を超えることこそ大事な感じがします。

 勿論、支配者層の人がそんなことを考えて歴史を動かしてきたという訳ではなく、「富を守る」「利権を守る」と言うことを念頭に置いて歴史を刻んで、歴史を積み重ねた結果が、この、現在の「飾りで本質が見えなくされた社会」だ、と言えるかも知れませんが…

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://monokotobibouroku.blog90.fc2.com/tb.php/622-333eb916

まとめtyaiました【リスクとリターンは本当に等しいのでしょうか?】

 ニューヨークで始まった「ウォール街を占拠しよう」というデモが、世界各国に広がっているようです。 このデモ、始まったのは良いのですが段々と主張がバラバラに出てきていて運動としての統一性を欠いている、という指摘もあります。 ある人は格差社会に対する問題を...

Powered by FC2 Blog
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。