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 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞する事になったそうですが、世界中から「?」マークが付いているようです。
 アメリカ国内でも賛否両論、本人はビックリ、アフガニスタンに至っては「ここで戦争をしているオバマがなぜ平和賞なんだ?」と不満が出ています。
 受賞理由を聞けば受賞自体は納得できなくはないです。
 核兵器の無い世界を目指そうとしたり、多国間外交を重視しようとしたりと、受賞理由自体は至極マトモです。
 でも、現実的にまだ実績があるわけではない。
 しかも大統領に就任してまだ1年も経っていない。
 こう言っては何ですが、「まだ何もしていない人間が抱負を語っただけ」という状態での受賞です。
 これ、妥当なんでしょうか?
 もっとも最近のノーベル平和賞には「期待値」というものも含まれているようなので、ノーベル賞の選考委員会の「願望」が反映されただけなのかもしれません。
 まぁ、オバマ大統領に何か問題があるわけではないし、仮に今回の受賞に問題があるとしたらそれはオバマ大統領ではなく「ノーベル賞委員会(平和賞はノルウェー議会が選考)」に問題があるという事なのでしょう。

 ところで、オバマ大統領の事ではなく一般論としてなのですが、ノーベル平和賞を大統領とか総理大臣のような権力者が受賞するというのはどうなのでしょう?
 もちろん悪い事ではないでしょう。
 立派な事をした人を認めるのは正しい事です。
 が、大統領とか総理大臣、もう少し対象を広げて政治家や国際機関などが受賞するのは何かおかしい気がします。
 そもそも、そういう高い地位にいる人や平和活動のために設立された国際機関は「平和のために活動するのが社会的義務」のはずです。
 当然やらなければならない義務を果たしただけの人や団体を、なぜ表彰する必要があるのでしょうか?
 医者が患者を救ったら感謝状を貰いますか?
 警官が犯人を捕まえたら表彰状を貰うのですか?
 もちろん医者にしろ警官にしろその所属する組織の中から表彰される事はあるでしょうけど、外部の第三者機関から表彰される事はありませんよね。
 職業として当然果たすべき事を果たしただけの人を社会的に認められている第三者機関が表彰する、というのはおかしな事のような気がします。
 そういう意味では大統領や総理大臣のような地位の高い人や権力を持っている人が「平和に対して尽力するのは当然の義務」なはずで、当然の義務を果たしているだけの人間をことさら賞賛するのはおかしいのではないでしょうか。
 これが中世の王様とかなら話は別です。
 昔は国を発展させるために戦争を始めるのは「当然の事」でしたし、「国を豊かにする事=他国から奪う事」に近い時代もありました。
 そういう時代の権力者ならば「平和に尽力した」という理由で賞賛されるのは理解できるのですが、現代ではその前提がすでに違いますよね。
 国を豊かにする事は他国から奪う事ではなく、文化や文明を発展させ他国と経済活動を行う事と言ってもいいでしょう。
 世界的に戦争は「避けるべき事」というのが常識になってきています。
 そのため各国の指導者は当然「戦争を避けること」を前提に外交や政治を行っているはずですし、そうして行くべきなのでしょう。
 その「当然の事」をしているだけの人をなぜ表彰するのでしょう?
 何か釈然としません。

 ノーベル賞というのは世界的に見ても最も権威のある賞と言ってもいいでしょう。
 そのため受賞者は一夜にして「世界的な影響力のある人物」になってしまいます。
 それだけ影響力のある賞なので、受賞者を誰にするかによって今後の世界の方向性を少なからず変えてしまう可能性があります。
 一方でノーベル賞はそれまでほとんど無名の人を発掘するのにも長けています。
 社会には、「まだ知られていないけれどとても重要な社会貢献をしている人」は数多く存在しているはずです。
 そういう人たちを探してきて表彰する事にこそ、ノーベル賞の意味があるのではないでしょうか。
 もちろん受賞者の多くは「その分野では名の知られた人」が多いのも事実でしょうけど、そういう人たちの多くは一般社会での認知度はほとんどゼロに近い。
 そういう人に知名度を与える事でさらに社会貢献をしやすくさせる、というのもノーベル賞の効果なのではないでしょうか。
 例えば近年ではワンガリ・マータイさんやムハマド・ユヌスなどはどうでしょうか。
 この二人、日本はもちろんの事世界的にも「一般的な知名度」はゼロだったはずです。
 しかしノーベル賞の受賞によって世界的な有名人になりました。
 その後マータイさんは環境保護活動のわかりやすい標語として「MOTTAINAI」を世界中に広めました。
 日本語が世界に広まったから良いとかそういう低レベルの話ではなく、それまで環境保護に関して何をしていいかわからなかった一般の人に対して「3R」とか「MOTTAINAI」という言葉を広める事で、具体的に何をどうすれば良いのかを伝えたという功績は非常に大きいでしょう。
 ムハマド・ユヌスさんは「マイクロクレジット」という仕組みを考え出し、発展途上国の貧困解消に役立っています。
 ユヌスさんの受賞がきっかけで「グラミン銀行(ユヌスさんが創設したマイクロクレジットを行う金融機関)」や「マイクロクレジット」という言葉は世界的な知名度を持ちました。
 それがきっかけでマイクロクレジットという方法を使えば貧困から脱却できるかもしれない、と考えた人たちも大勢いたでしょうし、その後マイクロクレジットという仕組みは世界中に広まりつつあるようです。
 この人たちのような「それまで知られていなかったけど重要な人たち」を探して表彰する事がノーベル賞の本来の意義なのではないでしょうか。
 こういう人たちが受賞する事でその運動を知り賛同したり協力したりする人も増えて行くでしょうし、同様の試みを始める第二、第三の人たちも生まれてくるはずです。
 「普通の人」が受賞する事で多くの志のある一般の人たちが「私もやってみよう」と思い、同様の試みを始める可能性が生まれるわけですし、その結果社会がより良い方向に変わっていくのを手助けする事にもなるでしょう。
 「大統領」や「総理大臣」が受賞する事で第二、第三の「大統領」や「総理大臣」が一般の人の中から生まれるのでしょうか?
 「私もあの人のように社会貢献をしよう」と一般の人たちが思うでしょうか?
 今現在ボランティアなどの社会貢献をしている人たちの励みになるのでしょうか?
 甚だ疑問です。
 ノーベル平和賞の受賞候補者の中から権力者など社会的に地位や権力や影響力のある人は除外するべきなのではないでしょうか。

 少し前の話ですがNHKのチェンジメーカーという番組で「ネズミを使って地雷撤去をする」という人を紹介していました。
 この方法は今までの地雷撤去法と比べると短時間で広範囲を調査でき、経費も格段に少ないそうです。
 しかもネズミは現地調達出来る種類で、ネズミ自身も体重が軽いので地雷を踏んでも爆発せず誰も何も傷付かないという画期的な方法です。
 同時にこのネズミの訓練や繁殖を事業化し(収入は寄付が中心でしょうけど)現地の人の職業としても成立させています。
 すでにそれなりの成果を上げているそうです。
 あらゆる意味で画期的で素晴らしいと思うのですが、こういう人にこそノーベル平和賞を贈るべきなのではないでしょうか。
 この人たちが地雷撤去を行っているのはアフリカですが、地雷に苦しんでいる地域は世界中に他にもたくさんあります。
 もしもこの人がノーベル賞を受賞して、そういうやり方が存在するという事が世界中に知られれば、同じ方法で地雷を撤去し始める人たちも出てくるでしょう。
 そうすれば世界中から地雷が撤去される日も早まるというものです。
 それでこそ「平和賞」なのではないでしょうか。

 おそらくこういう「まだ誰も知らないような方法」で「世界平和に貢献している人」は他にもたくさんいるはずです。
 そういう人たちを探してきて表彰し、その画期的な方法を世界全体に知らせる事こそが平和への近道なのだと思うのです。
 すでに影響力を持っているような有名人など、表彰する必要など無いのではないでしょうか。
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コメント

 ひろみさんへ。
 他のノーベル賞は純粋に学問的な要素が強いと思うのですが、平和賞だけは「政治の場」になってしまっているように見えますよね。
 平和賞は他のノーベル賞と違いノルウェーが選んでいる(他の賞はスウェーデン)との事なのですが、大国ほどの発言力が無いノルウェーが、自国のメッセージを代弁する場所になってしまっているようにも見えます。
 数年前は「国連」が受賞してましたし…
 国連って「国際平和を維持するため」に設立されているので、平和のために貢献するのは当然の責務のはずなのですが。
 受賞対象になる事自体がおかしいし、逆に受賞するにしても「今さら受賞するという事は、それまでは評価に値する事をしていなかった」という風にも解釈できるわけで…
 受賞対象の選考の時点で何かを根本的に履き違えてしまっているように見えます。
 あんまり変な表彰ばかりしていると、賞の権威が落ちてしまう気がするのですが。
 しっかりしろよ、ノーベル平和賞…

私も ノーベル平和賞がいつも、大統領や国家元首などが受賞することに疑問を感じています。
オバマ大統領の演説や姿勢は、今までのアメリカ大統領にはないもので その発信力も大きいとは思いますが、まだ、何かを実行したわけでも 世界中の核兵器を廃棄させたわけでもないし、「???」ですよね。
まだ故マザーテレサのような人や、国境なき医師団とか、世界中に平和を訴え続けている人とか、そういう人に与えてはどうかと思います。
大統領などが平和のために尽力することは、現在では、当たり前というか、責務ですよね。
ノーベル平和賞の大盤振る舞いですね~

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