先日
死刑が執行された事がニュースになりました。
最近では法務大臣が「
死刑は自動で執行された方がいい」といったような発言で物議をかもしたこともありました。
世界的には
死刑廃止という方向で進んでいるようです。
さて、
死刑は必要なのでしょうか?
必要派もいれば不要論を唱える人もおり、またその主張の中でも様々な言い分があり、決して必要か不要か、という二元論ではありません。
ちょっと、すぐに思いつくそれぞれの主だった理由を挙げてみましょう。
死刑廃止論者の言い分
・
死刑は残酷であり、人道上許されない。
・一度執行してしまうと取り返しが付かず、冤罪であった場合の危険性が常に付きまとう。
・
死刑を執行しても何も解決しない。
・
死刑を執行して罪から逃れるなんて甘すぎる、もっと苦しみを与えて生き地獄を味わわせるべきだ。
死刑必要論者の言い分
・罪を犯したのだから裁かれるのは当然。
・更正するかどうかわからないのに、社会に再び戻すのは危険なので危険人物は殺すべき。
・重大な犯罪に対する抑止力
・被害者遺族の感情を考え、命を奪った人間は命を失うべきである。むしろ国家が
死刑を執行する事で復讐の連鎖を止めることになる。
他にもたくさんあるでしょうが、今私が思いついたものを挙げてみました。
それぞれに微妙に理由が異なっているのがわかるでしょうか。
死刑必要論は「社会全体の秩序のため」と「罪を犯した人間への罰」の概ね二通りではないでしょうか。
一方廃止論は「人道上の問題」「冤罪の危険性」「
死刑自体が不毛」「
死刑では刑として甘い」など色々あります。
また、廃止の理由の「人道上の問題」と「
死刑では甘い」の二つは方向性が全く逆です。
「
死刑では甘い」という考えは
死刑賛成の延長線上にある考えと言えるでしょう。
ちょっと論点を整理します。
論点の整理のため、ここでの
死刑になる理由は「殺人」ということにします。
「冤罪の危険性」に関しては
死刑とは別の問題として考えるべきだと思います。
死刑は執行してしまうと取り返しが付かず、冤罪の可能性がある以上止めるべきだ、というのでは逆に
死刑が廃止された場合「どうせ
死刑になるわけではないのだから、冤罪が起きても取り返しができるから問題ない」という司法の側の怠慢に繋がるのではないでしょうか。
むしろ、廃止する事によって緊張感が無くなり冤罪が増える可能性すらあります。
取り返しが付く付かない以前に冤罪自体が許されません。
どんな理由があろうとも冤罪は避けなくてはなりません。
それは
死刑が有ろうと無かろうと同じ事です。
よって
死刑と冤罪の問題は分けて考えるべきだと思います。
「人道上許されない」
たしかに許されないのかもしれませんが、
死刑になる人間というのは
死刑になるような罪を犯した人です。
人道上許されないと言っても、その「人道上許されない事」をその犯人が既に行ってしまっているわけです。
他人の人道を踏みにじり人権を奪った人間が、なぜ自分の人権や人道という言葉を口にする権利があるのでしょうか。
この理屈では被害者はやられ損のような気がします。
人道上許されないというのは、理由としては説得力に欠けるのではないでしょうか。
「
死刑を執行しても何も解決しない」
たしかにその通りです。
何も解決しません。
ですが生かしておいたところで、何かが解決するのでしょうか。
死刑は不毛です。
生産的ではありません。
だからと言って廃止する事が生産的かどうかはわかりません。
被害者側の感情を考えると、
死刑が執行される事で事件に一つの区切りが付き、事件の事を自分達の中で消化して人生を前に進めることができるのではないでしょうか。
それは一つの「解決」と言ってもいいでしょう。
死刑の執行は必ずしも無意味であるとは思えません。
「
死刑では甘い」
これが一番厄介です。
そもそも人間は死ぬ事で罪が償えるのでしょうか?
「
死刑を執行しても何も解決しない」や「人道上許されない」にも関わってくるのですが、死ぬ事で犯した罪が消えるわけではありません。
被害者側の感情が晴れようと、それ自体が償いではないでしょう。
死刑では甘いという考えは人道に反する結果を生み出しかねません。
つまり「
死刑より重い罰」をということなので、当然
死刑以上の人道上の問題が発生します。
この考えには私は対論が出せません。
ですので私は、
死刑廃止論の中ではこの意見を支持します。
さて
死刑必要論の整理もしましょう。
「罪を犯したのだから裁かれるのは当然」
その通りです。
罪を犯したのに裁かれないのでは、無法社会になってしまいます。
しかし、何に対して裁かれているのでしょう。
法を破った事でしょうか?
他人に害を与えた事でしょうか?
他人に害を与えたから
死刑、は説得力はあるのですがそれ自体は償いにはなりません。
誰かを殺して自分も
死刑、では残された被害者遺族は失うばかりです。
被害救済など全くありません。
遺族にとって
死刑の執行は、心の整理にはなるでしょうが被害回復にはならないのです。
ここでも
死刑自体の不毛さが出てきてしまいます。
ここで一つの疑問があります。
被害者が天涯孤独で友人もいないような人物だったらどうなるのでしょうか。
その被害者が死んだ事によって誰も悲しまず不利益も無い場合。
死刑を執行したところで、誰にもプラスが無い場合。
一体何のために執行するのでしょう。
その
死刑が執行される事によって心が整理されるような人間もおらず、
死刑囚からしても償う相手がいない場合。
償う相手は既に死んでしまっています。
だからと言ってこの
死刑囚の罪が無かった事にはならないでしょう。
罪は罪です。
では何に対する罪で誰に償うのか。
逆に言えば天涯孤独で友人もいない本当に孤独な人間には、殺されても文句は言えず存在する価値すらないのか。
そんなことはありません。
どんな人間でも人権はあります。
生きる価値はあるのです。
そういう考えが社会の根本を支えています。
つまり利害関係がどうのこうのではなく、人間という存在を殺す事自体が罪ということになります。
これが法を破ったことに対する罪の根本的な考えです。
この考えが次からの問題とも重なってきます。
ここまでで否定できるのは「
死刑は他人に害を与えた事の償いにはならない」ということでしょうか。
「更正するかどうかわからない人間を社会に戻すのは危険」
つまり危険人物は社会から排除せよ、ということになります。
この考え方自体が何か問題を含んでいるような気がします。
選民思想のようなものに繋がっていくのではないでしょうか。
それはともかく、現在の刑罰というものは罪に対して罰を与えること、が前提なので更正という視点が完全に欠落しています。
一応職業訓練などは行っていますが、こういった刑としての労働は更正の心の部分にはどの程度の効果があるのかは疑問です。
実際再犯率というものは高いのです。
刑務所に入った人間が社会にでて普通に暮らしていくのは現在非常に困難でしょう。
働く場所を見つけることさえ困難ですから。
つまり一度刑務所に入ってしまうと、もう一度罪を犯さざるを得ないような社会環境です。
これは改善が必要でしょう。
ですが刑罰の考え方もちょっと疑問があります。
今の刑罰の基本的な考え方は「人間なのだから罰を与えれば自然と更正するだろう」という非常に楽観的な性善説に基づいているようです。
更正という考え方が浸透しておらず、そのための方法も存在しないのならば、
死刑になるような罪を犯した人間を社会に戻すことなどできません。
では、この更正ができたとしたらどうでしょう。
言葉は悪いですが「洗脳をしてマトモな人間」になったら、社会に出しても問題は無いかもしれません。
社会に戻す事で何か償いの方法が見つかるかもしれません。
別の考えとして、社会に戻さなければいいのなら終身刑にするという手もあります。
死刑にはせずに、死ぬまで刑務所の中で暮らす、そういう刑です。
社会に戻さなければいいのなら、
死刑にこだわる必要もありません。
「重大な犯罪に対する抑止力」
本当に抑止力などあるのでしょうか。
現在は
死刑制度があります。
ですが
死刑になるような罪を犯す人間は減ってはいないようです。
もしかしたら、抑止力が働いているからこの程度の数の犯罪で済んでいるのであって、
死刑制度が廃止されたらもっと凶悪犯罪が増えるのかもしれません。
これに関してはわかりません。
一方で最近こういった犯罪者がいます。
「生きていたって仕方がないから回りを巻き込んで死んでやる」といった人たち。
通り魔や白昼堂々無差別殺人を行う人物に多いです。
「誰でもいいから殺したかった」と言っているような人たちです。
この自暴自棄型・自爆型とでも言うような連中に
死刑による抑止力などあるのでしょうか。
「生きているのが嫌だから、誰かを殺して
死刑になりたい」こういう思考回路を持っている人物に対しては、
死刑は抑止力どころかむしろ積極的に犯罪を助長しているようなものです。
死刑=抑止力は現代では説得力に欠けるケースもあるようです。
「復讐の防止」
これは大きいでしょう。
刑罰に納得していない遺族が、出所してきた殺人犯に復讐する事は十分に考えられます。
死刑を執行しなかったがゆえに新たな殺人者を生み出す、という事態は考えられます。
そしてその新たな殺人者に対して、また復讐をしようとするものが現れる。
報復の連鎖です。
そもそも刑法は、この報復の連鎖を防ぐために被害者に代わって国家が報復をするから、個人的な復讐を禁止する、という理屈の上に成り立っているはずです。
そのためには、被害者側が納得するだけの刑罰を加害者に与えなければなりません。
その方法の一つとして
死刑があるわけです。
では、被害者側が納得さえすれば
死刑でなくともいいのではないでしょうか。
死刑廃止論の中にあった「
死刑では甘い」という考え方です。
死刑よりも重い罰を与えれば、
死刑である必要はない、という考え方もできます。
よって復讐の防止のための
死刑というものも説得力が無くなります。
色々と考えてきてその結果、
死刑にするよりももっといい方法があるのではないか、という考えに至ってしまいました。
ここまでの考えだと、一生罪を償わせるために生涯刑務所の中で罰を受けさせ続ける、というものになってしまいました。
これで正しいのでしょうか?
何かが間違っているような気もするのですが…
個人的な理想論では「
死刑制度があるが誰も
死刑になるような罪を犯さない社会」が一番いいとは思うのですが、これでは
死刑制度の是非に対する答えになっていませんからねぇ。
罪と罰、
死刑制度に関してはまだまだ書くことがたくさんありそうですが、今日のところはここまで。
また機会があれば書いていこうと思います。
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>「生きていたって仕方がないから回りを巻き込んで死んでやる」
ほんとうにドキっとくる話ですが、こういう犯罪自体には、死刑は刑罰として意味をなさなくなりますね。死を欲している人を、その意に添うように死なせるだけで。
池田小の事件のとき、「ヘタレと思われたくない」「速やかに死刑にしてくれ」との発言がありましたが、
あの時ほど、「裁判」の権威を崩壊させた時はなかったように思います。