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 アフガニスタンNGO職員の伊藤和也さんが殺害されました。
 国際援助をしていた民間の方が亡くなるという痛ましい事件であり、心よりご冥福をお祈りします。
 連日報道されているこの事件のニュースの中に、いくつか考えさせられる物がありました。
 一つは伊藤さんが拉致された時、その事を知った地元住民が1000人以上も彼の捜索を始めたという事。
 もう一つは亡くなられた後、葬儀で500人もの地元住民が冥福を祈ったという事。
 遠く離れた異国の地で一人の日本人がこれだけ多くの現地の人を動かしたという事実。
 言うまでも無いですが、これは伊藤さんの人望と彼のそれまでの行動の結果生まれたものです。
 彼はその地道な活動でこれだけ多くの人から慕われていたのでしょう。
 もちろん彼だけではなく、彼と一緒に活動していた人たちの功績もあるでしょう。

 人の命が失われている時にこういう事を書くのは不謹慎なのかもしれませんが、事実を直視するためにあえて書きます。
 外交や国際援助は何のために行っているのでしょう?
 今回の事件についてではありません。
 あくまで一般論です。
 国益のためでしょうか?
 人道のためでしょうか?
 それとも周りの国がやっているから日本もやらないと格好が悪いからでしょうか?
 理由はたくさんあるのでしょうが、やはり基本はお互いが仲良くするため、ではないでしょうか。
 少し恩着せがましくなりますが、感謝されるため、ではないでしょうか。
 日本は毎年巨額のお金をODAとして援助しています。
 これだけのお金を出して、それに見合うほど感謝されているのでしょうか。
 アフガニスタンにもたくさんの援助をしているでしょう。
 その援助の決定には当然政治家が関わっているはずです。
 もしこの援助を決定した政治家が、誘拐などされたとしてアフガニスタンの人は伊藤さんと同じ様に一生懸命探してくれるでしょうか?
 殺害されたとして涙を流してくれるでしょうか?
 どんなにたくさんの援助をされても、その援助が顔の見えないものであるかぎり、大して感謝はされません。
 それに比べて伊藤さんは大きな資金も持っていないのに、これだけたくさんの人の心を動かしました。
 きっとアフガニスタンのこの地域では「日本」という国の印象はとても良い物になっているはずです。
 伊藤さんを含むNGO団体の活動のおかげでっ!!
 決して、安全な所で汗一つ流さずに金を出す決定をしただけの人間の功績ではありません。
 一人一人の顔の見える手助けの結果、一緒に汗を流した結果です。

 援助とは何でしょうか?
 お金持ちが貧乏人に向かって札束を渡し「お前にこの金を恵んでやる。その代わりお前は私に感謝し、敬意を表し、何かあったら私に協力するように。それが出来るならこれからも金を恵んでやろう。出来ないならば金はやらん。わかったな?」…これは援助でしょうか?
 日本の政府が外交で行っている「国際援助」はほとんどこんな感じなのではないでしょうか。
 その結果、相手には良い印象を持たれず、本当の意味での感謝もされず尊敬もされず、困った時にも手を貸してはくれないでしょう。
 一方の伊藤さん。
 現地に行き、現地の人のために一生懸命働きました。
 きっと金銭的な援助などほとんどしていないでしょう。
 それでもピンチになった時に1000人もの人が駆けつけてくれました。
 500人もの人が涙を流してくれました。
 この違い。
 天と地ほど開いているように感じます。
 本当の国際援助とはただ金をバラ撒く事ではなく、相手のために一生懸命になる事なのではないでしょうか。

 あえて言います。
 日本ODA…無駄ではないでしょうか?
 国際的に日本のイメージを良くするだけなら、お金はそんなに要らないであろう事が今回の事件で証明されました。
 国際援助を費用対効果で考えるのは、倫理的におかしいのかもしれません。
 しかし、税金を使っている以上その効果は出来る限り高くなければ困ります。
 日本のODAは諸外国に比べて極めて効率が悪い。
 この件は以前「これも税金の無駄遣い?」という記事にした事があります。
 諸外国の効率が高いのは日本と比べてNGOなどの利用が進んでいるからだと言います。
 今回の伊藤さんの援助活動もきっと効率の良いやり方だと思います。
 日本の憲法で謳う「国際的に名誉ある地位を占めたいと思う」とは伊藤さんの活動のようなものを言うのではないでしょうか。
 治安の悪い所に民間人を送り込むという事には、たくさんの問題があるでしょう。
 しかし金をバラ撒くだけで援助は事足りる、という考えはあまりにも低レベルです。

 今回の事件のように本当の意味での援助を行えば、命の危険は常につきまとうでしょう。
 ですが、そうやって得た信頼という物は何物にも変えがたい財産になるのではないでしょうか。
 とは言っても、その財産を手に入れるためには、多くの人の血と汗を流さなければならないのかもしれません。
 これは日本政府の意識の問題というよりは、日本人全体の意識の問題なのかもしれません。
 「我々日本人は金は出すが、血や汗は一切流さない」という意識では本当の友情など生まれるはずもありません。
 今まで日本、そして日本人は多額のお金を援助してきましたが、その金額の割にはあまり感謝をされていません。
 その事に関して我々は「世界中の人間は自分勝手で薄情だ」というような意識を少なからず持っていたのではないでしょうか。
 そして、いつも日本は孤立していたわけですが…
 我々日本人が「日本人としての誇り」や「国際的な信用や尊敬」を得るためには、政府が何かをしてくれるのを待っていてはいけないのではないでしょうか。
 国際的な日本の地位が低いのを「政府が悪い」と、つい言ってしまいますが、本当はそれは政府の責任ではなく我々一人一人の責任なのではないでしょうか。
 「日本人」というブランドイメージを良くするためには私達、いや私自身やこれを今読んでいる貴方自身が「誰かのために血を流す覚悟があるのか」という点にまで立ち返る必要があるのではないでしょうか。
 もし、今、時分の胸に手を当てて「私は見知らぬ誰かのために一生懸命働く事ができるか?その人のために死ぬ覚悟があるか?」と自問し、その答えに迷いが生じたり、答えが「NO」だった場合は「日本人は尊敬には値しない」と考えた方がいいのではないでしょうか。
 そして、その日本人の価値を貶めている責任の一端は自分にもあるのだ、と自覚しなければならないのかもしれません。
 諸外国の方たちがどの程度の人間性を持っているのかはわかりません。
 全ての国の全ての人が「見知らぬ人のために死んでもかまわない」と考えているわけではないでしょう。
 しかし、諸外国がODANGOを積極的に利用しているという事は「誰かのために命を懸けられる」と考えている人がそれだけ多いという事でもあるでしょう。
 もし「日本という国」を「日本人」を国際的に尊敬される存在にしたいのならば、それは「日本政府」に任せておけば自動的に手に入るような安易な物ではなく、日本人一人一人が「誰かのために命懸けで働ける」と考えるようになる必要がありそうです。
 「誰かのために命懸けで働ける」人の割合が増えれば、日本国や日本人は自然に尊敬を集めるようになるはずです。
 国が悪いODAは無駄だ、という前に(自戒も込めて)、今自分に何ができるのか、自分はどれだけの覚悟をしているのか、を見つめ直す必要があります。
 そして多くの人が精神的に一段階高い所に上がる事が出来れば、ODAなど無くても日本は尊敬されるようになるのではないでしょうか。

 偉そうな事を書いても、自分自身それが出来ているかと問われれば恥じ入るばかりですが、こういう事を意識していないと「金さえあればどうにでもなる」と思っている低俗な輩と大して変わらないような気がします。
 それが出来ずに文句ばかり言うのは、ただの駄々っ子でしょう。
 「ボクはこんなにお金をあげてるのに、誰もボクを尊敬してくれないんだ」というような感じの…
 「日本人である事を誇りに思う」ためには、私達一人一人が「私は尊敬に値する人物なのだろうか?」と客観的に自分を見てみる事が必要です。
 「日本人としての誇り」は誰かに与えられる物ではなく、自ら築き上げて行くものなのでしょう。

 …私も反省しないとな。
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 またも農水大臣の疑惑で社会の注目が集まっています。
 やはり農水大臣のポストは呪われているのでしょうか。
 自殺してしまった松岡氏、バンソーコーの赤城氏に続く不祥事です。
 何ですか?自民党としては農水大臣にはわざと金銭疑惑の存在する人を選任しているんでしょうか?
 それとも大臣になるような人たちは誰でも叩けばホコリが出る体で、マスコミなど追求する側が「農水大臣から続けて疑惑が出たら面白いから」という理由で農水大臣だけを狙い撃ちしているのでしょうか?
 ところで、今回は前の2件と違って面白い脇役が一人存在しています。
 「アルファブロガー」(影響力のあるブログ運営者)で経済学者の池田信夫さんが、この疑惑の張本人である太田農相の秘書官の隣人なのだそうです。
 しかもただの隣人ではなく、この秘書官が池田さんの住んでいる家の大家さんなんだそうです。
 つまりこの池田さんは、件の「事務所として使われているはずの建物」の隣に住んでいて、大家さん(疑惑の秘書官)とも知り合いなんですね。
 池田さんによると、この建物に家族以外の人が出入りしているのを見た事が無い、との事。
 それどころか池田さんはこの大家さんが太田農相の秘書官をしている事さえ知らなかったと言います。
 秘書官の仕事らしい事をしているのを見た事が無い、ということのようですね。
 こうなると事務所費どころか、この秘書官の存在自体に疑問符が付いてきそうです。
 個人的には「大家さんの不正を店子がバラしてしまって、その後大丈夫なのだろうか?」と余計な心配をしてしまうのですが、疑惑追及に関してこれほど強力な人というのもまずいないでしょう。
 何せ隣人で、良く知っている人ですから、その家がどういう状況だったのかも長い間知っていたわけです。
 そんな人がおかしいと言っている。
 マスコミの追求以上に真実味が出てきます。
 しかも池田さんは「国会で証言してもいい」とまで発言しているようで、ちょっとやそっとの言い訳では今度はごまかせそうにありません。

 それにしてもこの太田大臣は失言が続く人でもあります。
 先日も「消費者がうるさいから…」などと発言し問題になっていました。
 任命責任という問題はあるにせよ、福田総理も早めにこの人の首を切ればいいのに、またダラダラとやっています。
 そもそも「消費者がうるさいから…」というのは「国民が文句を言うから国は仕方なく義務を行う」と言っているようなもので、言い換えれば「国民が何も言わなければ政府は何もするつもりはない」と言っているに等しいわけです。
 今内閣は「安心実現内閣」なのだそうですが、安心実現って何なんでしょう?
 言葉のイメージからすれば「国民が不安を感じる前に政府が率先して手を回して安全を保障します」という様なものだと思います。
 このイメージだと「国は言われる前に手を打つ」という事ですよね?
 ところが太田大臣は「国は率先して動くつもりはない」と言っているわけです。
 明らかにおかしいですよね、コレ。
 福田総理の肩を持つ気はありませんが、この発言をした時点で「彼は私の方針を理解していないので罷免します」と言って首を切ってしまえば、それで済んだのではないでしょうか?
 任命責任とは言っても、「意思の統一が図れなかった」というのは任命した後にならなければわからないのですから、あまり強く非難する事も出来ないでしょう。
 適当な理由を付けて早いうちに切ってしまった方が良いと思います。
 この問題を長続きさせると、次の国会が開始早々この問題で時間を取られてしまいます。
 次の国会には日雇い派遣の問題や原油高、景気対策などやるべき事が山積みのはずです。
 それをこんな「大臣の問題」ごときで遅らせるのは、国民に対する背信でしょう。
 それとももしかして、与野党共にこういうマジメな議論はしたくないのでしょうか?
 正直、原油高や経済問題などはどうすれば解決するのかはハッキリしません。
 どんな対策を出しても上手く行く保証はなく、ともすれば国民から「無能」に見られたり「やる気がない」ように見られたりする恐れもあります。
 しかし、「疑惑の追及」という形で騒いでいれば、実際は何一つ良い方向に進んでいないにもかかわらず、国民の目には「一生懸命がんばっている」ように映るでしょう。
 それが狙いなんでしょうか?
 仕事をしていなくて無能であるのがバレるのが嫌だから、わざとこういう問題の起きそうな人物を大臣に起用し、国会が無風状態になったら問題をリークして騒ぎを起こす。
 もちろんそんな事をしても自民党単独では利益がありませんが、国会議員全体で考えれば「国民の目を欺いて議員の座に居座り続ける」ためならば十分にメリットがあります。
 まぁ、さすがにこんな事は考えてはいないでしょうが、このまま騒ぎ続ける事は国民にとってプラスにはなりません。
 国会が始まる前にこの問題には決着を付けてしまって、国会ではちゃんとした政策を議論していただきたいものです。

 池田信夫さんのブログはこちら←クリック
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 タンス預金が30兆円規模に上った、というニュースが流れました
 タンス預金は95年には5.9兆円だったそうなのですが、それが30兆円に。
 5倍程増えてしまったわけですね。
 タンス預金の問題点は、お金が社会に回らないという点です。
 元本保証の銀行預金でも、お金が銀行にあればそこから社会に回って行くのですが、タンス預金だと回らない。
 実質、経済の縮小と言ってもいいのでしょう。
 だから、同じ貯め込むのでも家に置いておくよりは銀行に預けてもらった方が経済としては助かる、というのが一般的な理屈です。
 ちなみにこの30兆円という数字は日銀の推計だそうです。
 …推計って事は絶対この数字だ、という確定ではないんでしょうね。

 ところでタンス預金30兆円、本当にそんなにあるんでしょうか?
 ニュースではペイオフが原因という事になっているようですが。
 今まで社会に流れているニュースを総合するとちょっと疑問があるのですが。

 まず一つ。
 数年前日本の一般家庭の世帯貯蓄額は800万円程度と言われていました。
 この800万は平均値であり、実際にはもっと低い人たち(200万円ぐらい?)がたくさんいてそっちの方が人数では多数派なのに、一部に億単位の貯蓄額の人たちがいるために平均値が上がっていると言われていました。
 ペイオフの対象は1000万円以上なので、大多数の人たちには関係無い事になるはずなんですが…
 もちろん金融機関が破綻した場合、保護対象内の金額であっても一時的に下ろせなくなるらしいのですが、それもいくつかの銀行に分ければ済むはずです。
 大多数の人はタンス預金をしていないのではないでしょうか。

 二つ目。
 日本の資産の多くは高齢者が握っていると言います。
 若い人はお金を持ってなくて(子育てなどで物入りですからね)資産の多くは高齢者の所有物です。
 さて、最近振り込み詐欺が流行っていますが、このカモにされているのが高齢者です。
 報道によると携帯電話を巧みに操り銀行から振り込ませたり、銀行で貯金を下ろして配達させたりするそうです。
 その際銀行などに怪しまれないように小額ずつ下ろすようにアドバイスまでするとか…
 被害金額は数百万から数千万の上る事もあるとか。
 …あれ?銀行から振り込ませたり、銀行から下ろしたり?
 おかしいなぁ、高齢者の人たちは「タンス預金をしているはず」なのに何で銀行にお金があるんだろう?
 本当にタンス預金をしているんでしょうか?
 まぁ、たまたまタンス預金をしていない人達だけが詐欺の被害に遭っているだけなのかもしれませんが。
 ただ、それだとこれだけの数の被害を説明できない気がします。
 やっぱり多くの人はタンス預金をしていないような気がするのですが。
 少なくとも強盗や空き巣などのリスクを考えると、資産額1000万以下の大多数の人たちにとっては「安全な貯金箱」としての銀行の存在は十分意味のあるものだと思います。

 こういう事を考えて行くと「タンス預金をしている人たち」は資産総額1000万以上のお金持ち、という事になると思うのですが、そんな人たちが強盗などのリスクを考えた上であえてタンス預金という方法を選ぶでしょうか?
 お金持ちなら金庫ぐらい買うのかもしれませんが、それでもリスク回避にはなっていないような気がします。
 リスク回避を考えつつペイオフ対策となると、貸し金庫でしょうか?
 銀行の貸し金庫の中に億単位の札束を詰め込み…貸し金庫ってそんなに大きかったでしょうか?
 大きさには種類があるでしょうし、入らない事も無いとは思うのですが、ちょっと非現実的かと。
 むしろ当座預金の方が安全で現実的なのでは?当座預金ならペイオフの対象にはならず、全額保障されますから。
 ただ、当然当座預金ならば「お金が銀行にある」のでタンス預金ではないはず。
 一体誰が「タンス預金」をしているのでしょうか?
 お金持ちでも一般人でもない誰か…
 イメージが浮かばないんですけど。

 仮に、タンス預金をしているのが高齢者だとして30兆円を高齢者の人数で割ってみますか。
 高齢者の人数を人口の一割弱と考え大雑把に1000万人としましょう。
 30兆円÷1000万人=300万円(計算間違ってたらごめんなさい)
 一人当たり300万円の貯蓄額。
 ペイオフの対象内ですよねぇ。
 銀行が信用できないから手元に置いておくのでしょうか?
 300万円なら家の中に置いておいてもそんなに目立つ額ではありません。
 仏壇の引き出しにでも入れておけば隠せる程度の大きさですが…
 わざわざ犯罪に遭う危険を犯してまで家庭に置いておくでしょうか?
 ちょっと気になるのですが、億単位の資産を持っている人たちが海外の銀行にでも預けているのではないでしょうか?
 それだとタンス預金ではないけれど、日銀の調査でも分からないような状態になるのではないでしょうか。
 個人的な印象ではタンス預金が30兆円もあるとは思えないのですが。
 もっとも逆の考え方で、資産を持っていない人たちが銀行を使わなくなったという見方もできます。
 資産が100万以下の人たちが銀行に預けず、手元に置いてあるのだとしたら…
 30兆円÷100万円=3000万人(またまた計算間違いをしていたらゴメンなさい)
 資産総額100万以下の人たち3000万人以上が銀行を見限った、と考えると納得の出来そうな数字です。
 非正規雇用の人たちや学生、年金暮らしの高齢者、資産が十分ではない若い人たちが銀行を使わなくなったとするなら3000万という数字は現実的です。
 例えば年金暮らしの人なら、年金を受け取ったらすぐに口座から全額引き下ろしてしまう。
 手数料をこまめに取る現在の銀行の体質で、かつ低金利で預けておいても利子が付かないのならば受け取ってすぐに全額引き落とし財布の中に入れておく、というのはいかにもありそうな話です。
 他の人たちも同様でしょう。
 ・ゼロ金利ならば預けておくだけ無駄。
 ・手数料を取られるなら引き下ろす回数は出来る限り減らす。
 この二つの条件で考えるならば、一か月分の生活費をあらかじめ全額引き下ろすのは当然なのではないでしょうか。
 いざという時の蓄えとしての資産はそのまま銀行に預けっぱなしにしておき、生活費は銀行に預けない、その結果が「タンス預金30兆円」なのではないでしょうか。
 もちろんただの推論ですが…

 タンス預金が経済全体にとってマイナスだと言うのならば、タンス預金をするよりも銀行に預ける方が得である、という状況を作り出す必要があるでしょう。
 ゼロ金利で一回下ろしたら手数料の分だけ貯金が減る、などという現状では銀行には「安全な貯金箱」以上の価値はありません。
 そして月々の生活費程度の額ならば、財布の中と家の中に置いておいても犯罪で失うリスクは許容範囲と言えなくもないでしょう。
 タンス預金を減らしたいなら、金利を引き上げ手数料を廃止すべきなのではないでしょうか。
 ゼロ金利と手数料は「経営」的には正解でも「経済」的には間違っています。
 以前にも書きましたが、経営と経済は別物です。
 「経営的に正しい事」を全員がすれば「経済はメチャクチャになる」のではないでしょうか。
 否、メチャクチャになった結果が現在の日本なのではないでしょうか。

 政府はいつまでもゼロ金利を解除しません。
 二言目には金利を上げると企業が倒産するから…
 サブプライム後の現在では何とも言えませんが、サブプライム問題が起きる少し前、銀行は過去最高益をたたき出し、経済は戦後最長の好景気になっていました。(なっていたというより、そういう事にしておいたという方が正確でしょうが)
 それなのに金利はゼロで給料は上げない。
 景気がどんなに良くなっても金利も給料も上がらないのならば、一体何をすればこの二つは上がるのでしょうか。
 そもそも「お金を貸したのに払うべき利子を払わない」「労働に見合った給料を払わない」というような状況が「好景気」なのでしょうか。
 ・企業は銀行に利子を払えない。
 ・企業は労働者(消費者)に適切な給料を払えない。
 ・銀行は預金者に利子を払わないので預金者(消費者)は利子を使えない。
 ・労働者(消費者)は給料も少なく利子ももらえないので、消費活動が出来ない。
 ・景気が冷え込む
 やっぱりこの構図です。
 こう言っては何ですが「借りた金に利子も付けられず社員に給料も払えないような企業」は潰した方が良いのではないでしょうか。
 こういう企業は存在自体が社会をジリ貧に追い込みます。
 まるで貧乏神です。
 政府は企業が潰れると経済が混乱するから、と金利を下げたり規制緩和で労働者の給料を下げたりして延命を図りましたが、その結果がダラダラと経済をジリ貧状態に追い込んでいる。
 いっそ延命措置などせずバッサリ大手術をした方が回復は早かったのではないでしょうか。
 政府はずっと「景気が回復すれば金利も給料も上がる」という前提で行動していましたがこの「景気回復→金利・給料アップ」という図式は崩れました。
 ならばその逆に「金利・給料アップ→景気回復」を試してみる必要があるのではないでしょうか。
 その結果多くの企業が倒産するかもしれませんが、倒産を避ける方法では無理だったわけですから倒産も仕方がないという方向に切り替えるしかないのではないでしょうか。
 日本は資本主義です。
 利子を払えず給料も払えないような企業は、社会から退場してもらうしかないでしょう。
 現在国民は銀行が利子を払ってくれず企業が十分に給料を払ってくれないような状態です。
 これは言い換えれば「受け取るべき利子と受け取るべき給料」の二つをピンハネされているような状態です。
 社会全体で二重のピンハネ…これが正常な資本主義ですか?
 現在の日本社会はまるで「企業栄えて民滅ぶ」という感じです。
 そして民が滅びた社会で企業は何をするのでしょうか?
 民がいなければ企業も滅びるしかないのですが…
 「民栄えて企業滅ぶ」の方がまだマシなのではないでしょうか。
 企業が滅ぶのは大変な事ですが、民が残れば企業はまた作れます。
 民が根っこで企業は枝葉です。
 根っこから先に切り倒してしまったら、もうそれでオシマイです。
 もう一度言います。
 日本は資本主義社会です。
 資本主義は弱肉強食です。
 競争力の無い企業は潰れます。
 しかし、労働者(消費者)から二重にピンハネをしていては、消費が活性化せず経済が疲弊し企業は生き残れません。
 労働者(消費者)に十分な給料を払い、きちんと利子を付けて借金を返す事が出来る企業こそが、本当の意味での競争力のある会社なのではないでしょうか。
 政府も経済界も国民の財布の中身をピンハネしておいて、掠め取った金で「景気が良い」などというのは止めるべきです。
 それは「粉飾決算」ならぬ「粉飾景気」でしょう。
 「粉飾景気」自体は犯罪ではないでしょうが、見せかけだけ取り繕った所でいつか綻びが生じるのは当然の事です。
 下手に取り繕って背伸びをすると、何もしなかった時よりも悪くなるというのは世の中ではよくある事です。
 いい加減、この辺りで無理矢理にでも金利を引き上げてみるべきなのではないでしょうか。
 適正な金利の利子でさえ払う事の出来ない企業は、そもそももう寿命が尽きているのです。
 それを無理矢理に延命措置をする事が果たして日本社会にとってプラスなのでしょうか?
 さっきも書きました。
 貧乏神です。
 貧乏神には出て行ってもらうしかありません。
 例えその為にいくらかの痛みを伴ったとしても、貧乏神が居座る限り幸福は訪れないのですから。
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 物の値段は需要と供給のバランスで決まる。
 皆が欲しいと思う物は値段が上がるし、そうでない物は下がる。
 また、数が限られているとその値段の上がり方は極端になる。
 欲しいと思っても数が限られていれば買うことが出来ない人が出てくるので、その物の値段はどんどん上がってわけです。
 オークションなどが良い例ですね。
 一つしかない物を何人かの人が欲しいと感じたら、「相手よりも高い金額で買うから売ってくれ」となるわけです。
 そういった限定品だけではありません。
 一般的な物でも同様の事は起きています。
 例えば天候不順で不作な年の野菜など。
 キャベツや白菜などが急激に高騰する事がたまにありますよね。
 その差は安い時と比べると5倍ぐらいでしょうか。
 逆に要らない物は値が下がります。
 バーゲンセールや在庫一掃セールなどがすぐに思い浮かぶと思います。

 需要が先か供給が先か、という事を考えている人たちがいます。
 国の政策などは「供給すれば需要が生まれる」という理屈で成り立ってしまっているようですね。
 だから新幹線や高速道路がどんどん作られる。
 それらがあれば、つまり供給さえすればその地域は発展する(需要が生まれる)と思い込んでいます。
 例外はあるのかもしれませんが、基本的には需要が先です。
 供給さえすれば需要が生まれる、というのなら「生ゴミに値札を付ければ売れる」はずですから。
 実際はそんな事はありませんよね。
 誰が見ても要らない物を供給したって需要は生まれません。

 さて、需要があれば物の値段はどこまでも吊り上って行くのでしょうか。
 歴史上何度か「バブル」という現象が起きました。
 古くはオランダのチューリップバブル。
 1600年代に起きたようですが、チューリップの球根一つで家が買える程の値段になってしまったとか。
 その後バブルがはじけてオランダの経済は大混乱したようです。
 日本でもバブル経済がありましたね。
 そもそもなぜこういう現象が起きるのでしょうか。
 大雑把にですが、日本を例に考えてみましょう。
 日本の場合株と不動産が中心でした。
 中には絵画などの投機もありましたが、範囲を広げるとややこしくなるので省略します。
 今回は不動産を中心に考えましょう。
 まず、不動産つまり土地は限られています。
 都市部の一等地は限られたスペースしかありません。
 供給は限られています。
 人は誰しも通勤時間は短い方が良い、と考えるでしょう。
 出来れば職場と住居は近い方が良いわけです。
 また、都市部は繁華街もあり、何かと便利です。
 多くの人は都市部に近い所に住みたいと感じています。
 これは需要ですね。
 当然土地の供給量は限られていて都市部に住める人数には限界があります。
 でも住みたい人はたくさんいる。
 需要と供給のバランスで言えば需要過多で、価格は上がります。
 これだけならまだいいのですが、世の中にはとにかくお金が欲しい人たちがいます。
 そういう人たちはこう思います。
 「需要がたくさんあるって事は、値段がどんどん上がっていくって事だ。今日よりも明日、明日よりも明後日の方が値段が上がるのなら、早い内に買っておいて値段が上がってから売ればボロ儲けができる」と。
 そして上がるのがわかっているのだから、多少高くてもより早く買っておきたいわけです。
 仮に今日100万円だとします。来年には200万円になりそうです。
 だったら今日150万円で買ったとしても来年200万で売れば儲かるわけです。
 100万円で売ってくれと頼んでダメならさらに高い150万で売ってくれと交渉してもいいし、値段がどんどん上がるならそれ以上払っても利益は出るでしょう。
 同じように考える人がたくさんいれば、そのライバルたちよりも高く買おうとするので、値段はさらに上がります。
 普通なら、人間は手持ちのお金以上の買い物はできません。
 手持ちのお金が足りないなら誰かから借りるしかないでしょう。
 でも普通ならそんな大金を貸したりはしません。
 貸せるのは返す当てがある場合だけです。
 ここで問題なのは、誰もが値段は上がり続けると信じている点です。
 貸す側もそれを信じているんですね。
 だから借りる人が「100万貸してくれ、あれが高く売れたらそこから返すから」と言った場合、それは「返す当てがある」事になってしまいます。
 貸す側も「貸した額より多く返ってくるのならOK」となります。
 その結果手持ちの資金は事実上無尽蔵のような状態になり、しかもライバル全員がそんな状態なので値段は天井知らずで上がっていってしまいます。
 そして無事誰かがそれを買うと、今度はその人に対して「売ってくれ」と交渉するわけです。
 延々とこれの繰り返しです。
 その結果、借りる金額はドンドン増えていってしまいます。
 最初は100万のはずだったのが1000万とか1億とかになってきます。
 でも、頭の中の計算の上では常にそれ以上の利益が出ている事になっています。
 例え1億借りていても、手持ちの物を全て売れば2億になる。
 差し引き1億円の儲けだ、と考えています。
 ところがある日、突然値段が上がらなくなるんですね。
 値段が上がらないのではなく、正確には「買う人がいなくなる」わけです。
 需要がなくなるんですね。
 「今その値段で買っても、もっと高く買ってくれる人がいるのかなぁ?」と多くの人が気が付き始めます。
 「もう少し安かったら買おうかなぁ」と考える人もいるでしょう。
 そういう考えが多勢を占め始めると物の値段は一気に下がり始めます。
 一度下がり始めると今度は借金を確実に返せるようにと、早めに手持ちの物を売ってしまおうという人たちも出てきます。
 先ほど値が吊り上ったのとはちょうど逆の現象ですね。
 安くてもいいからとにかく買ってくれ、となるわけです。
 2億円以上で売るつもりだったものが1億5000万でも1億でもいいから買ってくれ、となるわけです。
 借りたお金は返さなければなりません。
 利益が出なくても、せめて借金が無くなればそれでOKという状態になります。
 それでも全員が返せるわけではないので、多くの人が破産してしまいます。
 お金を貸した人には貸しただけの金額が返ってきません。
 これが不良債権ですね。
 どんなに「返せ返せ」と叫んでも、無い物は返せません。
 元々、買おうとしていたものにそれだけの値打ちがあったわけではないのです。
 誰かが欲しいと思ったから、相手に負けまいとして背伸びをしていただけなのですから。

 そして手持ちのお金は無くなり、社会全体には借金が蔓延しています。
 経済は大混乱です。
 かなり大雑把ですが、バブルとはこういう感じで成立します。

 ではお金を貸した人は誰で、借りた人は誰でしょう。
 ここからちょっとややこしくなるのですが、まず貸した人は銀行です。
 借りた人は不動産会社などでしょうか。
 ただ、一方で普通の人もマイホームを買うために銀行からローンでお金を借りたりしています。
 お金を貸している銀行はそもそもどこからお金を入手しているかというと、これまた普通の人たちの預金だったりします。
 普通の人たちは銀行にお金を預けると同時に借りてもいるんですね。
 銀行は、普通の人から預かっている額しか貸し出せないと思いきや、これがちょっと違うようです。
 銀行は一定額を証拠金として日銀に納めれば、その証拠金の100倍ぐらいのお金を貸し出してもいい事になっているようです。
 そのためその気になれば手元に預かった100万円があると、それを全額証拠金に回すことによりその100倍である1億円まで他人に貸し出すことが出来るそうです。
 このシステムは効率よく社会を発展させるためには有効なはずですが、バブルの発生にも一役買ってしまうわけです。

 日本のバブルの場合、住宅としての需要がまずありました。
 そして値段がドンドン上がっていってしまうので少しでも早く買った方が有利、という状態になりその焦りのために冷静な判断力を失った可能性があります。
 また早めに買って値上がりした時に売ればその利益を元にさらに高い家を買う事が出来る、という考え方も広まりました。
 そして、乗り遅れた人たちはドンドン値上がりしてしまうので「最初の一軒」が買えません。
 値段がドンドン上がれば、その地域の家賃も上がります。
 家賃が上がればそこで商売している人は上がった家賃分の費用を商品に上乗せする事になります。
 こうやって物価まで上がっていってしまいます。
 都市部に住めない人たちは、せめて少しでも都市部に近い所に住もうとちょっと離れた郊外に住む事を考えます。
 もちろん多くの人が。
 その結果郊外でも同様に値段が上がっていってしまうわけです。
 家の値段は上がる、物価も上がる。
 でも同様のスピードで給料が上がるわけではない。
 給料に反映されるには少し時間差がありますから。

 日本のバブルの崩壊のきっかけは、この状況を「さすがにマズイ」と感じた政府が土地を買うためにあんまりお金を貸すな、という指示を出したのが原因と言われています。
 バブルの成長自体が借金が借金を広げていく構造であり、全て頭の中の計算だけで成り立つ実体の伴わないものだったので、放って置いてもいずれは崩壊したはずですが、このバブル崩壊は政府が「国民のために」意図的に破壊したものです。
 その結果、今でも続く未曾有の大不況。
 どうせ潰すのなら被害がここまで広がる前にもっと早く潰せば良いと思うのですが…
 もちろんこれは「冷静になった今」だから言える事で当時の浮かれきった社会ではそんな事は考える事さえできなかったでしょうが。
 それでも政治家や官僚が冷静さを持っていたらと思うと、悔いが残ります。

 当時は金権政治が問題視されていました。
 穿った見方ですが、アレだけの浮かれ騒ぎなのですから政治家や官僚は相当に政治献金などで「いい思い」をしたはずです。
 本来ならば早めに異常に気付いて対処すべきだったのに、自分たちが「もうちょっといい思いをしてから」という欲が出たので放置し、たっぷりと楽しんでから「じゃあそろそろ仕事をするか」とバブルを崩壊させたのではないでしょうか?
 さすがにそれだけの知性が当時の政治家や官僚にあったかどうかはわかりませんが、結果だけ見ればそういうような状況になっています。
 いまさらですが、どうにも納得できません。
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 今回の記事はいずれ書く記事(予定)の下書きの一部です。
 ご了承下さい。
 先日、政府が景気が悪くなったのをようやく認めました。
 不動産会社の倒産も相次いでいるようです。
 消費低迷、原油高、物価高、偽装が続き企業の社会的信用が揺らいでいる…いろいろな理由を挙げています。
 そして「物が売れない」と叫んでいます。
 …本当にそうでしょうか?
 本当に「物が売れない」という視点で問題解決を図って良いのでしょうか?

 ちょっともったいつけました(笑)

 私見です。
 「物が売れない」のではなく「買いたくても買えない」が正しいのではないでしょうか。
 内需が拡大しない、とエライ人たちは言っていますが、そもそも「内需」って何だか忘れているのではないでしょうか?
 当たり前過ぎて忘れがちな原則

 内需=消費者が使えるお金=労働者の給料や銀行預金の利子

 上の公式、間違っていますか?
 もちろん内需の中には「株などで手に入れたお金」もあるでしょうが、一般消費者向けの内需の9割以上の内訳は給料のはずです。
 さて、この考え方を基本にした上で今回の記事のタイトル「トヨタの労働者はトヨタ車を買えるのだろうか」です。
 ここで言う「労働者」は「トヨタの正社員」の事ではありません。
 トヨタの自動車を作っている工場で働いている労働者の事です。
 期間工や派遣社員の事です。
 忌まわしい事件を思い出させてしまいますが、秋葉原連続殺傷事件の犯人もトヨタの関連工場で働く派遣社員でした。
 労働者の正確なデータがわからないので、報道などで知る事の出来たこの犯人の待遇で考えます。
 言うまでもなくこの犯人は事件を起こす前は普通の一般人だったので、彼のケースが特別なのではなく、むしろ派遣社員一般に良く見られる待遇という意味で参考にします。
 報道によると、彼の時給は1000円以上。
 バイトや派遣社員の給与待遇としてはさほど悪くはない金額だそうです。
 事実この犯人も事件直前の書き込みで「マシな方」というような趣旨の文章を残しています。
 が、新聞報道によればこの給料から「派遣会社の寮の家賃」が引かれ、彼の手元に残るのは15万円ほどだったそうです。
 住居費がこれ以上引かれないにしても、この15万の中から食費や光熱費などを支払って生活して行くことになります。
 15万円から生活費を除いた自由に使えるお金はいくらぐらいなのでしょうか?
 近年、全労働者に占める派遣社員の割合が急増しているわけですが、この人たちの多くが経済的には同様な状況に置かれているのではないでしょうか。
 もう一度タイトルに戻り、かつ若干変更して一般化させてみましょう。
 「派遣労働者の給料で自動車を購入する事はできるのだろうか」です。
 自動車を買うためにはたくさんの費用がかかります。
 単純に自動車の価格、ガソリン代、車庫の費用、自動車保険代、車検代、税金などなど。
 自動車の価格は中古車を買えば安く済むでしょうが、それではトヨタの言うところの「物が売れない」は解決しません。
 ガソリン代は原油高の影響もあるでしょうが、例え安くても少ない手取りでは痛い出費です。
 車庫代は大きな出費ですよね。
 家賃を払った上にさらに自動車の家賃を払うようなものですから。
 保険や車検など費用もバカに出来ません。
 これらの出費を行えば、自動車以外は何も出来なくなるのではないでしょうか?
 おいしいレストランで外食…する余裕が残るでしょうか?
 スキルアップをするための学校へ行く…ための費用が出せるでしょうか?
 将来のために貯蓄をする…余裕は無さそうです。
 家を買う…どうやって?
 結婚して子供を養う…まず無理でしょう。
 派遣労働者が自動車を手に入れるためには、それ以外の全てを犠牲にする必要がありそうです。
 なるほど、派遣労働者全員が「結婚はせず、家も建てず、人生設計もせず、たまの外食もせず、一心不乱に自動車に全人生をかければ」きっと自動車は手に入るでしょう。
 そうすればきっとトヨタは国内の需要だけで十分に潤い、経営は安泰なのでしょうね。
 もちろん不動産業界にはお客さんがいなくなりますが…
 すばらしい戦略ですね。
 トヨタ一人勝ちです。
 不動産業界を崩壊させ外食産業を壊滅させ少子化を加速させ日本を滅亡させても、トヨタだけは生き残ります。
 トヨタだけでなく、今現在ほとんどの企業がこの戦略を取っています。
 人件費を削減し利益を拡大し、業績を回復させてきました。
 そうやって見掛け倒しの「実感無き景気回復」を行ってきたのです。
 戦後最長の「好景気」でした。
 そりゃあ景気も回復しますよ。
 払うべき給料をピンハネしてその分を利益として計上してるんだから。
 そして自分達で社員の財布の中身を減らしておきながら言うんです。
 「キミ達、ケイキカイフクノタメニドンドン消費シナサイ」って。
 使いたくても使う金がないんですけど…
 でも言うんです。
 「戦後最長ノ好景気デス。オ金ハイッパイアルハズデス」って。

 すいません、頭おかしくなりそうです。
 つまり何ですか?
 自分達は人件費を削っておいて、消費が活性化しない理由が分からない、と?

 頭悪いんじゃねェのか?

 失礼。
 私には各企業が一生懸命内需を縮小する努力をしているようにしか思えないのですが。
 それともこの世のどこか、私の知らない所に「無限にお金が湧いてくる泉」でもあるのでしょうか?
 そして消費者はその「無限にお金が湧いてくる泉」からお金を拾ってきてじゃんじゃん使えば良いんですね?
 すばらしいアイデアです。
 ぜひその泉の在処を教えていただきたいのですが…どういうわけか誰も教えてくれないんですよね。
 何ででしょう?
 意地悪ですねェ、ホントに。
 仕方がないからどっかからお金を借りて来て、湯水のように使えば良いのでしょうか?
 まぁ借りたお金はいつかは利子を付けて返せばいいわけだし、その返済金もまたどっかから借りればいいんですよね。
 えっ?そんな事したら破産するって?
 大丈夫ですよ、我が日本国も赤字国債乱発して同じ様な事やってるじゃないですか。
 とっても頭の良い官僚さんと、みんなに選ばれた優秀で人望のある政治家のセンセイ達が認めている方法ですからきっと大丈夫なんですよ。
 何か普通の人にはわからないとっても便利な方法があるんですって、きっと。
 聞いた事ないですけど…

 ゴメンナサイ、書いてて辛くなってきました。
 あまりのアホらしさに笑いを堪えるのが辛いです。
 えーっと、つまりアレですか。
 景気回復のためにカードとかで金使いまくって自己破産しろ、と。
 そうすれば一時的にでも景気は回復しやがるぞ、と。
 自己破産したらその借金はそのまま不良債権になって、景気は悪くなるんですけどねェ。
 まぁいいのか、自分達さえ儲かれば。
 資本主義ですもんね、弱肉強食ですもんね。
 やったもん勝ちですか…

 バカ話はこの辺にしておきたいのですがねぇ…

 私には現在の日本の経済が「自分の尻尾をエサだと思い込んで、同じ所をグルグル回っているバカ犬」にしか見えないのですが、気のせいでしょうか?

 1・自分達の業績を良く見せるために一生懸命人件費を削りました。
 2・その削った人件費は本来消費に回されるはずのお金だったのですが、それを企業が溜め込みました。
 3・当然消費は冷え込みます。
 4・景気は悪くなり、企業の業績は悪化。
 5・「大変だ、もっと人件費を削らないと」
 6・そして人件費を削り、さらに消費を冷え込ませる。
 7・1番に戻る(理解できるまで何度でも繰り返してください)

 自分達で内需を縮小しておいて、「大変だ、物が売れない」は無いでしょう。
 こういう状態をマッチポンプと言うはずですが、そんな上等な言葉を使う必要は無いでしょう。
 「バカ犬芸」で十分です。(バカ犬に失礼か?)
 犬がバカ犬芸を行うには、飼い主が調教師にしつけを許可する必要があるでしょう。
 この場合、飼い主は「日本国」で調教師は「人材派遣業」でしょうか。
 元々は普通の犬だったのですが、エサが少なくなり元気が出ませんでした。
 この状態が初期の不況です。
 犬はおとなしく寝転んで体力を温存していたのかもしれません。
 もしかしたら、そのまま飢えて死んでしまったかもしれませんが…
 その元気の無い状態を見た飼い主が「大変だ、ウチの犬元気が無い、どうしよう」と思ったところへ調教師が「とりあえず走り回らせればいいのなら簡単ですよ」と飢えてエサの無い犬に自分の尻尾をエサだと思い込ませました。
 その結果犬は「エサだ~っ!!」と一気に元気を取り戻し、ひたすら自分の尻尾を追いかけ始めました。
 飼い主はその走り回る姿を見て「おぉっ、ウチの犬元気になった」と勘違い。
 調教師は調教料を貰って大満足です。
 実際にはエサは未来永劫手に入りませんし、犬は元気になったのではなく最後の力を振り絞っただけです。
 このまま走らせ続ければ、体力の限界が来て二度と立ち上がる事は出来ないでしょう。
 ですが走り始めてしまいました。
 疲れて思考力も低下しているので「他所にエサがあるかもしれない」という考えすら浮かびません。
 何はともあれ今現在飢えている状態を満たすために、目の前のエサ(自分の尻尾)を食べるために追いかけるので精一杯です。
 この犬にそっと「それはエサじゃないよ、自分の尻尾だよ」と教えてあげても、もう空腹のあまり冷静さや判断力が残っていないので「うるさい、とりあえずあのエサ(自分の尻尾)を食べてから話を聞くから黙ってろ」ってな感じです。
 これを見た飼い主が異常に気付けば良かったのですが、どうやら飼い主も犬が元気の無い姿を見てパニックを起こしたらしく冷静な判断力を失ってしまいました。
 走り回っている犬を見て「元気になった」と勘違い。
 「ウチには他にも元気の無い犬がいるんだ、どうにかしてくれ」と調教師に相談したかどうかはわかりませんが、他の犬にも同様の処置を施し走り回らせました。
 犬達は今まではエサが少なければ少ないなりに皆で分け合って飢えを耐えたりしてきたのですが、今回は「自分のエサ(自分の尻尾)は自分の物だ」とばかりに走り始めました。
 飼い主は、自分の庭先で集団で犬がグルグル回っている状況を見てなぜか大満足。
 世に例の無い「集団バカ犬大回転」状態になってしまいました。
 調教師は教えれば教えるほど儲かるので「そ~れ、バカ犬バカ犬~♪」と芸を仕込み続けます。

 …誰か止めて(笑)

 笑い事じゃないんですけどね。

 昔の話です。
 アメリカの自動車産業の黎明期でしょうか。
 フォードという人物がいました。
 当時の自動車は超高級品。
 庶民にはマイカーなど高嶺の花、夢のまた夢です。
 その時フォードは自分の工場の労働者の給料を極めて高く設定し、自分の所の労働者が自分の所の自動車を買えるようにしました。
 当然街には「庶民であるはずの労働者」が「高嶺の花であるマイカーを乗り回す」姿が溢れかえりました。
 それを見た他の自動車会社の労働者が皆でフォードで働きたいと思うようになりました。
 フォードは他者の優秀な熟練工を雇い入れる事に成功し、圧倒的な成功を収めたそうです。
 そして、自動車は高嶺の花ではなくなり、普通の人でも手に入る物になったそうです。
 
 以前どこかのビジネス書に書いてあった話の要約ですが、まぁこんな感じです。
 その後フォード社がどうなったのかは詳しくは知らないのですが、これが自動車が一般に普及するキッカケとなったそうです。
 当然内需も相当に拡大したのでしょう。
 どこか一社が給料を引き上げれば、多くの労働者がそこを目指してしまうため、他の業種でもある程度は賃金を上げざるを得ないのではないでしょうか。
 そういった事の繰り返しが、資本主義の発展のエネルギーになっているのだと思います。

 自動車黎明期と現代日本を比べるのには無理があるのは分かっています。
 技術が進んでいる現代では熟練工と新人の力量の差は当時より小さくなっているはずですし、黎明期で市場が未開拓だった当時と、市場が飽和状態の現代では条件が違います。
 また、国際化が大きく進んでいない当時のアメリカならば国内だけを見ていればよかったのでしょうが、国際化が進んでいる現在では日本以外の国も視野に入れなければなりません。
 そういった要素を考えれば、単純にフォードの取った戦略(給料を上げる)を真似すれば同じ結果が生まれるというものでもないでしょう。
 しかし、企業の利益を優先するあまり、消費者でもある労働者の財布の中身を寂しい状態にし続けるのは得策とは言えないでしょう。
 労働者が自分の作っている物を買えない。
 まるで中世のようです。
 中世ならば「お金持ちである貴族」のために「労働者が自分では買えないような高価な物を作る」というような事は日常茶飯事でしょう。
 しかし現代は違います。
 一部の高額所得者向けの商品ならばともかく、マイカーも持ち家も大衆向けの商品です。
 大衆向けの商品だからこそ大きなマーケットがあり、経済が発展したのです。
 トヨタやその他の多くの企業はいつから「大衆向けの商品」を作らなくなったのでしょうか?
 それとも現代が中世に逆戻りしただけなのでしょうか?
 かつてはマイカーも持ち家も、「高嶺の花」や「夢のまた夢」ではなく頑張れば手の届く物だったはずです。
 それがいつからか手に入らなくなってしまった。
 手に入れる事が出来ない人たちが増えてしまった。
 これでは経済は活性化しません。
 根本的な考え方の転換が必要だったはずです。
 戦後の日本の高度成長は「安くて品質が高い商品」をたくさん作る事で世界を席巻し達成しました。
 しかし経済発展と共に賃金が高騰し、品質の高い商品を「安く」供給する事が困難になりました。
 その時点で「値段は高いけれど他の追随を許さないぐらい質の高い商品」を提供する方向に方針転換をすれば良かったのかもしれませんが、日本は「安くて高品質」にこだわってしまいました。
 労働力の安い他国と「安さ」で勝負するのは無謀だと思うのですが、そうしませんでした。
 その結果が現在です。

 極端な言い方をすれば「経済で世界を席巻する」という高度成長期の夢を捨て「経済規模は小さいけれどあの国の商品はスゴイ」と思わせるような、身の丈にあった世界戦略を取るべきだったのかもしれません。

 もう一つの転換点として、サブプライム問題が発覚する少し前、多くの企業は(見せ掛けだけとはいえ)好景気になり、銀行も過去最高の利益を出していました。
 あの時に下げていた人件費を上げ、金利も上げていれば、もしかしたら少しは何かが違っていたのかもしれません。
 が、今さら後の祭りですね。
 そういう事を言い出したらそもそもバブルが良くなかったと言う事になりますし。

 近年、欧州を中心にサステナビリティ(持続可能な社会)という言葉を耳にします。
 日本で紹介される場合、環境問題に絡めて使われる事が多い言葉ですが、この言葉自体は現代の行き過ぎた資本主義を戒める言葉としても使えそうです。
 少なくとも「バカ犬芸」は持続可能とは思えません。
 欧州の言う持続可能な社会というのは、環境を破壊して人間が住めなくなる世界を作るのではなく、経済活動を多少抑えてでも人間が住む事のできる世界を作ろう、というような趣旨で紹介されますが、それだけでなく行き過ぎた資本主義が生み出すワーキングプア問題も含んでいるのかもしれません。
 安い労働力を求めて世界中を混乱させたり、自国民の生活を犠牲にし内需を破壊するのではなく、多くの人が人間的な生活を送れるようにしよう、という意味も含まれているのではないでしょうか?
 環境破壊だけでなく、低賃金で経済を活性化させる方法も「持続可能な社会」ではないのですから。
 この辺りに日本の現状を改善するヒントが隠されているのではないでしょうか。
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 北京オリンピック、開会式と閉会式で合計100億円を投じて派手な演出をし「中国は一流国家だ」とアピールしたようですが、その矢先にアメリカ人旅行者が中国人に殺されるという事件が発生。
 ここ最近、チベットやウイグル関係のテロ行動が目立ち始め、記者は武装警察に暴行を受けました。
 開幕直前には中国国内での毒ギョーザ中毒が発覚していますし、オリンピック出場選手の中には最終調整を日本で行う人たちまで現れる始末。
 ポータルサイトで五輪関連のニュースを検索すると、良いニュースと悪いニュースが半々ぐらいで出てきます。
 また、報道などでは北京で売られている飲料水や食品に疑惑がある、といったようなものまであります。
 テロリストや反政府運動家たちは世界の注目が集まっている今だからこそ、積極的に行動して中国の現状を国際社会に訴えようとしているのでしょう。
 飲料水や食品などを偽装する人たちは、海外からの旅行者が大量に来るからこそ、ここが稼ぎ時とばかりに暗躍しているのでしょう。
 中国政府は警備を厳重にし、取り締まりを強化しているようですが、その結果が記者への暴行事件。

 中国政府としては北京オリンピックを機に、一流国家である事を証明したかったのでしょうが、オリンピックを開催する事で逆に綻びが目立つような結果になってしまっているような気がします。
 せっかく注目が集まっているのに、その注目が仇となり、中国がまだまだ一流とは言えない状況だという事を宣伝してしまう結果に終わるのではないでしょうか。

 殺人事件は一件だけなら「たまたま運悪く起きた」で済みますが、容疑者が自殺してしまっているため原因が不明。
 この原因がもし日本の秋葉原の殺傷事件のように社会的な背景を無視できないような物だとしたら、今後オリンピック期間中に続発するかもしれません。
 海外の選手達のコンディションは万全な状態にできるでしょうが、オリンピックを見に来た多数の一般人が何を口にするかは管理できないでしょうから、その中から食中毒の患者が出る恐れもあります。
 世界中から人が来て中国の良さをアピールするつもりが、世界中に中国の悪評を撒いてしまう事になるかもしれません。

 今回のオリンピックでは応援の仕方にも色々と規制が加わっているとか。
 その理由の中には中国人自身が暴走する恐れがあるから、といったような理由も含まれているようです。
 物々しい警戒。
 あちこちで起きるデモ。
 これが本当に平和の祭典であるオリンピックの姿なのでしょうか。
 今までの状況を見る限りでは中国でオリンピックを開催するのは早かったのでは、という思いが残ります。
 逆にオリンピックを機に一気に中国国内で意識変革が起きて、名実共に一流国になる可能性もありますが、ここ数年の中国の好景気はオリンピックを行うための公共事業によるところが大きく、オリンピック閉会後は経済が急激に冷え込む可能性もあります。
 もし経済が失速すれば中国国内の不満が高まり、大きな社会的事件に発展する恐れがあります。
 海外に対しても、前述のテロや暴動などが広く知られてしまいましたし、中国内での様々な規制から中国の体制の悪い面も伝わってしまうでしょう。

 オリンピックの閉幕に向けてまだまだ盛り上がっていくでしょうし、閉会までに国内外共にピークに達するでしょう。
 で、その後はどうなるのでしょうか?
 今までなら中国国内が不安定になっても、政府が押さえ込んできて海外にはあまり状況が知られる事はありませんでしたが、オリンピックで中国国内の状況が海外に知られてしまうと、今度は海外から中国国内での反乱分子を支援する人たちも出てくるでしょう。
 中国政府にとっては敵が増える事になります。
 一方国内の景気の先行きは不明。
 五輪景気が無くなった後、どうやって加熱している国民感情を抑えるのかもわかりません。
 下手をすると中国は崩壊してしまうのではないでしょうか。

 ここ最近の報道から伝わってくる中国のイメージは、
 ・政府は弾圧を平然と行っている
 ・報道の自由は無い
 ・食品などは偽装品があり、品質は高いとは言えない
 ・国民性は激情型で極端なナショナリズムが台頭中
 ・世界的な常識が国民の間に十分に根付いていない(民度が低いかもしれない)
 ・北京市内は大気汚染が酷い
 ・経済の急激な発展の裏で貧富の差が激しくなり低所得者層の現状は悲惨
 等々。
 あまり良いイメージが伝わってきません。
 ひょっとして今回のオリンピックが中国のピーク…という事になるのではないでしょうか。

 中国がオリンピック後に即座に悪くなる、とまでは言いませんが、今後の舵取りはかなり難しそうです。
 その舵取りに成功すれば問題は無く、今後中国は国際社会で存在感をさらに増して行くでしょうが、もし舵取りに失敗すれば「あのオリンピックは背伸びをし過ぎた」と以前よりも評判を落としてしまうでしょう。
 しかも中国の内情を知った海外の人たちが、中国国内の反乱分子を支援し始めたら大変な事になりそうです。
 今回のオリンピックが「中国の衰退の始まり」にならなければ良いのですが…
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 福田総理が内閣改造を実行しました。
 今までの内閣は元々安倍内閣をそのまま引き継いだようなものなので、考えようによっては今回の内閣改造が「福田総理、初めての組閣」なのかもしれません。
 前政権から一年近く経ち、引き継いだ内閣も一年以上経ったので各閣僚たちも十分に活躍するだけの機会と期間は与えられたと判断してもいいでしょう(実際に活躍できたかどうかは別にして)
 なぜこの時期に内閣を改造する必要があるのか、については色々な意見が出ているようですが、一年以上経っているし、事実上「初めての組閣」ですから今回改造をした事自体は問題は無いと思います(改造の結果はともかくとして)
 福田総理が「挙党体制で全力を挙げて」と言うと「今まで全力じゃなかったんかい?」とか「結党以来最大の危機」と聞くと「それを招いたのはどこのどなた?」と意地悪なイヤミを言いたくもなるのですが、今回はよしましょう。
 文句ばっかり言っていても意味が無いので。
 さて、今回の内閣改造についてではなく「内閣改造という行為」そのものについて考えてみたいと思います。
 普通に考えれば、総理大臣が組閣をした時点で「そのメンバーが最善」であるべきでしょう。
 内閣総理大臣が多くの人材の中から「この人物ならばこの大臣に最適だ」と判断して任命しているはずなのですから、それ以上の適任者が新たに出現しない限りは大臣を替えるべきではないのではないか、と思うのです。
 小泉総理が就任当初「私の内閣は改造しない」と言っていましたが(その後改造)本来ならば内閣は改造すべきではないのでしょう。
 内閣改造をするという事は総理大臣自らが「この内閣ではダメだ」と判断したという事であり、それは自身の人選ミスを認めることと同義のはずです。
 それなのに今まで、内閣改造という行為を合理的な理由も無いまま漫然と繰り返してきました。
 一体何を考えているのでしょう。
 今までの日本は経済が右肩上がりで成長し、政治がいい加減でも経済成長がそれを覆い隠していたので、とりあえず大して問題にもなりませんでした。
 それをいい事に政界では、政権内の「イス取りゲーム」として気が向いたときに内閣改造を行っていたように思えます。
 自民党内の各派閥に気を使い、派閥の推薦にしたがって順送りに「大臣病患者」を治療していたわけですが、小泉内閣以降それが変わってきました。
 経済の成長が期待できない以上、政治の無策が覆い隠されることなく明らかになってしまうので、今までのような漫然とした内閣改造は難しくなったようです。
 それなのに政界の中では、いまだにイス取りゲーム気分が抜け切れていません。
 それを報道する側のマスコミもイス取りゲームを前提として報じているので、報道を見ていてもイマイチ説得力に欠けます。
 今回の改造に関する報道でも、「都議選の邪魔にならないようにこの時期に実行した」とか「そろそろ総選挙が近い」と言った論調です。
 この論調やこういう視点での内閣改造に対する批評というのは、本当の意味で的を射ているのでしょうか?
 わかりやすく言うと、「内閣は国民の幸福のために作られるべきものである」という視点が完全に欠落しているのではないか、と。
 本来ならば内閣は「国民のためにあるべきもの」であり、その視点で総理大臣は各大臣を任命すべきでしょう。
 ならば各大臣にはその時点で「能力的に最適」と思われる人間を任命すべきで、当然組閣当初がベストメンバーのはずです。
 そのベストメンバーを替えるのですから、そこには何らかの理由があるはずで、例えば何か問題を起こしたから責任を取って替えるとか、社会情勢が変わってその人物の能力では上手く対処できなくなったので替える、という理由があるはずです。
 場合によっては組閣当時は上手く行っていたが、時間が経つにつれて総理と各大臣との間に認識のズレが生じて替えるという事もあるでしょうが…
 いずれにしても内閣を改造するというのは極力避けるべきでしょう。
 トップが替われば各省庁も対応を替えねばならないでしょうし、新規の大臣が担当省庁の状況を把握するのだって時間がかかるはずです。
 できれば同じ人間が長く大臣を続けた方が、国民にとっては有益に機能するはずです。
 首相の権力の源泉は人事権解散権、などと言っていますが権力の維持のためにその権限を使われてはたまりません。
 国民主権が前提である以上、首相の権力は国民の幸福のために使われるべきでしょう。
 大臣のポストをチラつかせて党内に睨みを利かせ、自らの権力の維持を図るなど以ての外です。
 総理大臣が内閣を改造し、大臣を交代させるのならば、前任者のどこがダメで新任者のどこを評価したのかを明確に語るべきです。
 政界イス取りゲームのために内閣改造を行ってはいけません。
 内閣改造を行う事自体が「人事の失敗」であり恥ずべき事のはずでしょう。
 それなのにただ漫然と内閣改造を行う…
 この自民党の認識が理解できません。
 国民無視ではないでしょうか。

 確かに人事権をチラつかせれば、現在の閣僚に緊張感を持たせる事はできるでしょう。
 もし内閣を改造しない事を前提にすれば、大臣に任命された者は「これで安泰」と仕事をしなくなるかもしれません。
 そういった事態を避けるためには時折「内閣改造」という「人事評価」を行う必要はあるでしょう。
 しかしそれならば現在のように「総理のきまぐれ」で自由に内閣改造を行うよりは、あらかじめ決めておいた期間に内閣改造を行うというシステムにしたほうがいいのではないでしょうか。
 例えば組閣して半年後とか一年後に必ず内閣改造を行う。
 その際には今までのような理由のはっきりとしない人選ではなく、各大臣に対して「お前のここがダメ」と指摘した上で替えるのです。
 もちろんその逆に任命をする際には、なぜ任命してどういう風な仕事を期待しているかを本人に伝えるのです。
 そうすれば、「内閣改造=人事評価」になり、内閣改造時に大臣を外されるのは無能の烙印を押される事になり恥になるでしょう。
 そういうシステムならば各大臣も任命された以上は本気で仕事をせざるを得なくなり、結果として政府や行政が上手く機能するようになると思うのです。
 いわば「政界への成果主義の導入」です。
 こうやって無能な政治家を排除し、有能な人間を登用するようにした方が、国民のためになるのではないでしょうか。
 もちろん大臣という仕事は簡単に評価のできる職務ではないでしょう。
 結果がなかなか現れないケースも考えられます。
 しかし評価するのは総理大臣なので、そういった状況にも総理自身が配慮をして判断すれば済む話です。

 今回の内閣改造に関して現時点では評価を決めるべきではないでしょう。
 が、何のために内閣改造をし、その結果何をしようとしているのかは国民に知らせるべきでしょう。
 福田総理は「安心実現内閣」と名づけました。
 そう言うからにはこの布陣の中に「安心を実現できる根拠」があるはずです。
 ぜひそれを具体的に聞かせていただきたいし、また今後内閣改造が行われる際にはこの「安心実現内閣」のどこがダメだったのかを教えて欲しいものです。
 人事権は「権力の維持のためにある」のではなく、「国民を幸福にするためにある」という視点を持たなければ、自民党はいつか国民の信頼を完全に失うでしょう。
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