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 現在北京五輪とチベット問題で揉めている中国ですが、今回は違う話です。
 ご存知のように中国は現在猛烈な勢いで経済成長を遂げ、大国への道をひた走っています。
 北京五輪や上海万博もその弾みにしようとしています。
 世間的には中国を問題視する場合その大国主義、覇権主義、中華思想といったようなものに対する脅威が中心になっていますし、日本の反中感情なども中国の横暴な態度に起因している物が多いようです。
 視点は完全に「中国の勢い」に固定されています。
 さて、この中国の勢いですが、当然しばらくは続くでしょう。
 あと10年か20年かはわかりませんが…
 今回の私の不安はその先です。

 中国では爆発する人口を抑制するために一人っ子政策が取られたのは周知の事実です。
 この一人っ子政策、どういう事態を引き起こすかはわかりますよね?
 急激な少子高齢化です。
 現在中国では日本以上のスピードで高齢化が進んでいます。
 今の所日本ほどではないようですが、そう遠くないうちに日本以上の高齢化社会になるでしょう。
 その時中国はどうなるのでしょうか?

 中国では年に9万件もの農民暴動が起きているとも聞きます。
 貧富の差が激しくなり、鬱積した感情が爆発しているのでしょう。

 役人の汚職も目立ちます。
 厳罰化で対処しているようですが、一向に改善の兆しが見えないようです。

 中国では毎年軍事費が増大しています。
 周辺諸国はその事を憂慮しているようですが…

 高齢化、格差社会、汚職、軍事費の増大。
 中国におけるキーワードを四つ並べてみました。

 ちょっと組み合わせて考えてみましょう。
 中国では役人の汚職が進み、それが浄化できない。
 その一方で格差は広がり生活は苦しくなる。
 納得のいかない農民が暴動を起こす。
 それを軍隊が鎮圧。

 経済成長が続き物価が上がれば兵隊の給料や備品の値段も上がります。
 そうすれば必然的に軍事費は上がるしょう。
 軍隊の現状を維持するだけでも軍事費はある程度は上がっていきます。
 そこへ共産党の求心力の低下で暴動が多発。
 それを鎮圧するのも軍隊なのでさらに費用がかさみます。
 一方で地方で仕事が無い場合、その就職先として軍隊というのはとても大きな存在となります。
 これは中国に限った事ではないのですが、雇用の乏しい地域では軍隊に所属するのが一つの就業の形態となります。
 若い人を無職のままフラフラとさせておけば、犯罪に走り治安が悪化する可能性もあります。
 そこで産業の無い地域では軍隊に就職させることで雇用を創出しようという事になります。
 それでも進む格差に暴動が起き、鎮圧する。
 そんなサイクルがあれば軍事費の増大もやむをえないのかもしれません。

 そして高齢化です。
 老人を見殺しにするのならばともかく、これからの中国では介護なども必要になってくるでしょう。
 日本でも高齢化に伴い労働力の低下が叫ばれていますが、それは中国も同じはず。
 ましてや中国はその安い労働力に物を言わせて経済成長をしてきました。
 その成長の根源である労働力が失われる。
 一体どうなるでしょう?
 中国の経済成長には急激なブレーキがかかるはずです。
 そしてブレーキがかかった状態で中国はその国の形を留めている事が出来るのでしょうか?
 経済成長で潤った財源も老人介護に回るでしょう。
 そうなれば中国は日本以上に衰退していきます。
 軍事費も減っていくかもしれません。
 しかも地方での求心力の低下。
 暴徒も高齢化している、となっているかもしれませんが、軍隊に行っていた人たちがそのまま暴徒の側に付くかもしれません。
 経済が順調に発展していればまぁいいだろうと感じていた人たちも、高齢化で経済が滞れば支持をしなくなるでしょう。
 広がってしまった格差、停滞している経済、軍事費の低下により軍人の士気の低下。
 場合によっては地方軍部が主導で中国が分裂するかもしれません。
 もし分裂して内戦状態にでもなれば大量に難民が流出します。
 その数、数億人。
 しかも高齢化した難民。
 当然難民は周辺諸国へ流入。
 ロシアやインド、東南アジア。
 日本や韓国も例外ではないでしょう。
 難民だけでも大変なのに、その時に世界の工場であるはずの中国は当然機能しません。
 食料であろうと衣料品であろうと工業品であろうと、安い中国製は無くなっているのです。
 世界経済は大混乱を起こすでしょう。

 中国が分裂をしなくても、高齢化による労働力の低下は避けられません。
 やはり中国産の食品、衣料品、工業品などは少なくなっているでしょう。
 少なくとも値段は高くなっているはずです。
 中国の経済成長がある程度進めば、日本から見ても大きなマーケットになりうるのですが、それは同時に購買者としてのライバルの登場でもあります。
 現在の中国のように安い労働力を提供してくれる国はまだたくさんあるでしょうが、そこで作られたモノは当然中国でも消費されていきます。
 労働力は無くなったが経済成長時の蓄えの残っている中国。
 介護等で人材も必要になるでしょう。
 人、物、金、全てが中国に集まっていきます。
 しかし当の中国はそこから先に明るい未来は築きにくいでしょう。
 高齢化した社会はそこから衰えていく一方です。
 次第に全てが中国から離れていくでしょう。
 衰えてしまった中国に、チベットなどの少数民族の独立を抑え込めるとも思えません。
 いずれはやはり崩壊していく可能性があるでしょう。

 高齢化した労働力を補うために軍人を民間へと転化すれば、暴徒の鎮圧ができなくなり中国分裂。
 軍事費を据え置きにしておけば経済的な負担が大きくなり北朝鮮のような状態に…

 安い労働力という国際的な経済での主導権を失えば、中国の失速は火を見るより明らか。
 是正のために移民を大量に受け入れるという事態も考えられなくは無いのですが、そうなると益々混迷を深めていきそうですし…
 急成長した経済の蓄えもそう長くは続かないでしょう。
 そうなった時中国はどうなるのでしょうか?

 世界の暴君としての迷惑者ではなく、世界のお荷物としての厄介者になってしまうかもしれません。

 まだまだずっと先の話です。
 早くても30年、40年先の話。
 ですが、その頃の中国に対して明るい未来というものが見えてきません。
 日本の未来もあまり良くはならないでしょうが、中国も相当に悲惨な事になりそうです。
 そしてその中国が隣国である以上、その影響は日本にもあるでしょう。
 日本には人、物、金、何も入ってこなくなります。
 どう転んでも非常に恐ろしい未来が待っているような気がします。

 関連記事 「10年後の食卓
        「聖火と五輪と中国
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聖火と五輪と中国

 聖火リレーに伴いあちらこちらで騒動になっているのはご存知だと思います。
 少々記憶があいまいなのですが、確かオリンピックというものは国際的に特別な意味を持っていたはずです。
 古代オリンピックでは開催期間中は戦争を止めていたはずですし、現代でもスポーツと政治は別物ということが(建前上は)前提だったはずです。
 だからこそ国交の無い国同士でも競技を行いますし、スポーツを通じて交流を重ねる事で国交を結ぶための相互理解を深める機会としよう、という理念も少なからずあったはずです。
 そのため冷戦中でも東西両陣営がそろって参加をしていたわけです。
 現実にはボイコットが起きたり、協議の審査が偏っていたりと問題が無いわけではなかったのですが、それでも建前上は穏やかで平和的に行われてきました。
 そうした努力の積み重ねの結果聖火は平和と友好のシンボルになったわけです。
 ところが今回の騒動はどうでしょう?
 これが平和と友好のシンボルのあるべき姿でしょうか?
 今回の騒動、五輪と政治を最初に結びつけたのは中国側ではありません。
 そういう意味では中国は被害者でしょう。
 ただ、チベット側が五輪の原則であるスポーツと政治の切り離しを破らざるをえなかったという状況に置かれたのには中国側にも責任があるでしょう。
 中国側もその点に関しては配慮をする必要があるでしょう。
 ですが、強硬な態度を取ってしまいました。
 これにより事態が余計に悪化したように思えます。
 そして聖火リレーを襲うという暴挙。
 もしここで中国が「オリンピックと政治は別のものだ」という姿勢を崩さず、聖火リレーが襲われた事に対しても完全に被害者面をしてされるがままにしておけば、国際的な印象も大分違ったものになったでしょう。
 しかしここでも強硬路線。
 面子を潰されたと感じた中国側が聖火の護送という姿勢を採りました。
 無事に問題なく形を整えたいと考えたばかりに、返って本質を見失っているように思えます。
 平和と友好のシンボルのはずの聖火が護送されている…この異常な状況は中国の印象を悪くしているのではないでしょうか。
 面子を守ろうとしたがゆえに五輪の本質を忘れ、結果として自ら面子を潰している。
 そんな風に見えるのです。
 今までの聖火リレーでも風で聖火が消えるといったトラブルはありました。
 そのために聖火リレーでは常に種火を用意し、消えたらすぐに点け直すという事をしていました。
 今回も護送などせずに、消えたらまた点け直すという姿勢で臨み、何度妨害されてもしつこく点け直すという受身の姿勢でいれば国際的にも高く評価されたはずです。
 ですが強硬路線。
 まるで子供のようです。
 この対応が返って中国という国の国家レベルの低さを宣伝してしまっています。
 中国の面子を潰したという意味では、今回の騒動はチベット側の作戦勝ちとも言えるでしょう。
 大人の対応ができなかった中国には手痛いダメージになったはずです。

 さらに中国政府だけでなく一部の中国人の民度の低さも露呈してしまいました。
 あちこちで衝突やデモを繰り返すなど、感情的で未熟で野蛮な印象を世界中にばら撒いています。
 アメリカでは良心的な中国人がチベット人グループと中国人グループの話し合いの場を設けようとしただけで売国奴扱い。
 過激な中国人グループは自分たちの主張だけが正しく、他の主張にはまったく耳を貸しません。
 これでは文明人とさえ言えないでしょう。
 単なる野蛮人か狂信者です。
 無論全ての中国人がこのような人たちではないでしょう。
 現に売国奴といわれた人が良心的で論理的な中国人なのですから。
 それでもこのような状況は、国際的な中国人のイメージの暴落を招いています。
 彼らは、愛国心ゆえの行動が国益を損ねている、ということに気づいていないのでしょうか?

 中国は人口が多い国です。
 ああいう過激な行動をとる人たちが全体の1パーセントに過ぎなかったとしても、人数で言えば1000万人です。
 比率で言えばごく一部の人であったとしても、絶対的な人数が多いとそれだけでインパクトを与えます。
 他の国ならば「一部に変な人たちがいる」という程度で済む話でも、あの人数でやられると中国全体がああいう人たちであるかのような錯覚さえ起こします。
 彼らはそういう事をわかってやっているのでしょうか?

 それにしても、なぜ彼らはあそこまで熱くなり過激な行動に出るのでしょうか?
 長年にわたる愛国教育の賜物でしょうか?
 それとも元から持っている国民性でしょうか?
 数に物を言わせた暴挙でしょうか?

 ちょっと考えたのですが、彼らの行動は本当に彼ら自身の意思で行っているのでしょうか。
 誰かの指示、という意味ではなく集団心理であのような行動をとってしまっているのではないでしょうか。
 中国という国では反政府的な言動はできないでしょう。
 とすれば周囲の人間に認められたいと思ったら愛国的な行動を採るしかない。
 そして、そういう人間が周囲から「アイツなかなかやるな」という評価を受ければその周りの人間も我先にと同様の行動を採るでしょう。
 みんなが同じような行動を採ると、そこでさらに評価されるためにはもっと過激に振舞う必要があります。
 その結果行動がどんどんエスカレートしていく。
 何もしないで静観していればそれで済む、といいたいところですが、一度周囲全体がそういう空気になると参加しないというだけで「反政府的」と見なされるという危険性が生じてくるのかもしれません。
 日本の「いじめ」と似たような心理状態ですね。
 「いじめ」参加しないと次の標的にされるといったような。
 そこで不本意ながらもちょっとだけ参加せざるを得ないという感じ。
 中国全体にそんな空気が流れているのかもしれません。
 さらにいえばあの国は共産党が国家の隅々まで行き渡り管理しています。
 その権限は絶大です。
 とすれば愛国的な行動を採る事が人生にプラスに作用する事もあるはずです。
 出世とか役職とか給料とか、そういった事に跳ね返ってくるのでしょう。
 愛国的な行動を採る事が、日本でいう「ゴマすり」や「おべっか」と同様の効果を発揮しているのかもしれません。

 もう一つ。
 中国では貧富の格差が広がり、地方での生活が苦しくなっています。
 また地方役人の汚職なども酷いと聞きます。
 都市部はともかく地方では共産党の支配体制に対して反感を持っている人がたくさんいます。
 現に中国では地方で毎日のように暴動が起きているといいます。
 小さな規模でしょうが連日のように広い中国のどこかで暴動やデモが起き、連日のようにそれを鎮圧しています。
 そのような現状においてチベットの独立など認めようものなら、他の地域にもそれが波及し「中国」という国家自体が崩壊してしまうでしょう。
 だからこそ、チベットの独立どころか特別扱いさえ認めるわけにはいきません。
 私たち他所の国の人間からすれば、一部地域の独立や人権や自治の問題だと感じますが、当の中国からすれば国家崩壊の引き金になるかもしれない大問題です。
 ですから一歩も譲歩はできないでしょう。
 そのような状況だからこそ、チベットを非難し中国政府を擁護するような愛国的行動はとても大きな「ゴマすり」になるはずです。
 彼らのあの行動自体が出世競争であり中国国内で上手に生きて上に行くための努力なのでしょう。
 だからこそ、ああいう行動は止められない。
 そんな歪んだ内実があるような気がするのですが、皆さんはどう思われますか?
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 暫定税率、どうなるんでしょう?
 自民党は何が何でも法案を通すつもりのようですが、その行動には説得力が欠けているように思えます。
 道路特定財源が無くなると地方にお金が回らなくなり大変な事になる、とは言いますが、では今まで何をやっていたのでしょう?
 もう何十年も「暫定」という言葉で負担を強いてきて、道路を作り続けてきたわけですが、その完成の目処が立っていません。
 要らない所に道路を作り必要な所には作らない、とも聞きます。
 まだ必要な道路が全て完成したわけではないのに、わけのわからない博物館を建てたりもしていました。
 それらの無駄遣いを正す具体的な方法も示さずに、数の暴力で再可決しようとしているようです。
 先日、福田総理は党首討論の際に言いました。
 日本銀行の人事で反対するのは人事権の乱用ではないか、と。
 乱用はいけない、と。
 はて?
 どの口でそういう事を言うのでしょうか?
 去年辺りにも衆議院の数にモノを言わせて、無理矢理に強行採決を何度もしていたような気がするのですが…
 人事権の乱用はダメだけど、議決権の乱用はOK、というのが自民党の論理のようです。
 困ったもんです。

 法律の上では再可決をしても、それは問題ないのでしょう。
 しかし、現時点でまともな議論すらせず手放しで暫定税率復活はあまりにも乱暴です。
 先に結論ありき、では議会制民主主義とはいえません。
 どうやら自民党には「自由主義」も「民主主義」も浸透していないようです。

 もし、道路財源が必要ならば最低限見積もりぐらいは出さないと国民は納得できません。
 具体的な見積もり、つまり「どこからどこまでの間に道路を作り」「その工事期間はどの程度で」「いくらの予算が必要なのか」です。
 一般的な社会では普通これを提示するでしょう?
 例えば家を建てる時、どこにどういう家を建てるのか、どれくらいの期間で完成するのか、予算はいくらかかるのか、最低限これぐらいは決まってから工事を始めるものです。
 それをやらない。
 先にお金を集めておいて、後から使い道を考える。
 こんなやり方をしていては100年経っても道路は完成しないでしょう。
 本当に道路が必要なら、その程度の見積もりはすぐに出るはずです。
 なぜなら「必要」なのだから。
 「必要な道路」ならばどこからどこまでになぜ必要なのか、は自明の事のはずです。
 工事の規模が決まれば、当然工期も決まります。
 工期と規模が決まれば予算も決まるでしょう。
 日本中の全ての場所で「必要な道路」を調べて、それを足し算すればいいだけです。
 そうすれば全体の必要予算が決まるでしょう。
 その予算総額を、どれくらいの期間で集めるのか、という考え方をすれば税率がどれくらい必要でその「暫定」期間はどの程度なのかがわかるはずです。
 その上で「向こう○年、○%の負担をお願いします」と言うのならばまだ納得が出来ます。
 そういう事を一切せずに、先に暫定税率現状維持のまま10年復活、では誰も納得できないでしょう。
 きちんと手順を踏めば、そこに議論の余地が出てきます。
 高負担で5年にするのか、低負担で15年にするのか。
 税率は5パーセントにするのか、30パーセントにするのか。
 そういうマトモな議論が始まるはずです。
 でもそれをやらない。
 一体政治を、議会を何だと思っているのでしょう?

 以前書いた記事で、地方にお金が回らないのなら税源をそのまま地方に移譲すればいいのではないか、と思いつきで書いた事があります。
 その後石原都知事が同様の発言をし、即撤回しましたが、その際のデータに少々驚きました。
 もし、東京都が独自で課税した場合、暫定税率の税収全体の7~9パーセントになってしまうとか。
 まさかそこまで偏っているとは思いませんでした。
 せいぜい都市部は地方の倍程度、と思っていたのですが…
 東京都だけで7~9という事はこの税収の半分近くは都市部に集中するでしょう。
 そうなると地方にはますますお金が回らない。
 これではさすがに意味が無い。
 道路という物が「受益者負担」であるべきならば、車の台数の多い都市部により多くの税金が集まるのは当然ですが、道路を社会的インフラ、つまり公的な物とするならば、利用者には不公平でも地方に道路を広げていくべきなのでしょう。
 今回の国会ではそういう議論が起きてもおかしくないのですが…起きてませんねぇ?

 まだまだたくさん問題はあるでしょうが、一言で言えば国会が機能停止を起こしています。
 その機能停止は「ねじれ国会」という状況によるものではなく、「議員の資質」が原因でしょう。
 むしろ「ねじれている」からこそ議論の余地が生まれ、議会が活性化するはずなのですが…
 ず~と、一党独裁で行ってきた自民党には、そもそも議論という物をする能力が失われてしまっているようです。
 やはり現状を見る限り、自民党は「終わらせるべき政党」なのではないでしょうか。
 「解党的出直し」ではなく本当に「解党」し、議員全員を入れ替えるべきなのでしょう。
 そうでもしないとこの国は変わりません。
 このままでは借金が増え続け、必要な予算を削リ国民にツケを回す、生き地獄のような国になって行くでしょう。
 そろそろ選挙をして欲しいところです。
 ですが、そこで民主党の一党独裁になってはおそらく何も変わりません。
 いくつかの政党が拮抗するような状況になってくれると、本当の議論が出来ると思うのですが…
 今の政治家や国民にそのような状況を作り出せ、というのは無理な注文なのでしょうか?
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 「エアカー」ご存知ですか?
 以前このブログでも少し触れた事があるのですが、ガソリンの代わりに圧縮空気で走る自動車の事です。
 動力が「空気」なので究極のエコカーでもあるわけですが、今秋フランスで量産されるそうです
 いままでエアカーは馬力が足りないので実用化はまだ先と思われていたのですが、量産されて市販されるとなるとこの欠点は克服できたのかもしれません。
 販売価格も3,500ユーロ(56万円)とかなりの安さ。
 今年1月に低価格車を発売して話題になったインドのタタ・モーターズとも提携しているそうで、このまま行くと世界中をこのエアカーが席巻してしまう日も近いかもしれません。
 日本のハイブリッドカーや燃料電池車なども時代遅れのエコカーということになってしまうのかも…
 このエアカー、圧縮空気を満タンにすれば100kmも走行可能なので実用としては十分でしょう。
 しかもガソリンを併用する事でこの走行距離は800kmまで伸びるとの事。
 もっともガソリンを併用してはエアカーのメリットは半減してしまいますが。
 問題はこの圧縮空気をどうやって充填するか、ですね。
 充填は3分程で終わるというのを聞いた事があるので、電気自動車などと比べると充填には問題が無さそうですが、圧縮空気を充填するための装置がどのようなものかがわかりません。
 もしも、タイヤに空気を入れる機械と同じ様なもので済むのならば、どこにでも充填スタンドを作る事が可能になるので社会に広がるのも早いでしょうが、特殊なガスボンベのようなものをどこかから運んで来てそこから補充するというような形だとすると、なかなか広まらないかもしれません。
 また小型自動車のようなので使用用途もある程度限られてしまうかもしれません。
 それでも宅配業者など、一定の範囲内で使用し、必ず元の場所に戻ってくるような使い方をしている場合はこのエアカーに切り替えても問題は無いでしょう。
 むしろ、ガソリン代よりも圧縮空気代のほうが安くなると思うので、経費節減という面でも広がっていく可能性は十分にあります。
 現時点では車だけのようですが、今後技術開発をすればオートバイにもこの技術が転用されるかもしれません。
 そうなれば使用範囲はさらに広がるでしょう。
 新聞や郵便配達なども替わるでしょうし、その他様々な分野で活躍できそうです。

 圧縮空気を作るための環境負荷がどの程度かはわかりませんが、ガソリンをそのまま使うよりは環境負荷は小さいはずです。
 この圧縮空気を動力源とするエンジン、考え方次第ではさらにたくさんの使用用途が見つかりそうです。
 こういう技術の開発に日本もお金を投資できればいいと思うのですが…
 既存の自動車メーカーは石油会社との関係悪化を恐れて、あまり積極的にはなれないのでしょうか?
 今現在は日本エコ技術は世界トップクラスですが、このまま行くと数年後には時代遅れになっているかもしれません。
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日銀人事迷走中…

 日銀人事、迷走しているようです。
 とりあえず総裁は決まったようですが、副総裁に対しては民主党がまた反対。
 ニュースで双方の言い分を少々聞いたところ、簡単に整理するとこういうことのようです。

 自民党日銀の仕事は誰にでも出来るわけではないから、財務省出身者が適任
 民主党…財務省出身者が日銀ポストに就くのでは官僚支配が終わらない

 どちらも正論のように聞こえます。
 さて、傍目に見ると民主党の方が正しいような気がします。
 確かに自民党の言うように誰にでもできる仕事ではありません。
 財務省出身者がどの程度優秀なのかはわかりませんが、長い間財務省で働いていた人間の方が良いだろう、という考えは理解は出来ます。
 が、そもそも本当に優秀なのでしょうか?
 歴代の総裁の中にもたくさん財務省(大蔵省)関係者がいたようですが、それでも長い不景気に対して有効な手が打てていません。
 この現実を踏まえると財務省出身者が適任、という考え方には疑問が残ります。
 民主党の言う「官僚の天下りだからダメ」という理由も一部で疑問が出ているようです。
 そもそも日本銀行に行く事が「天下り」なのか?という声もあるようです。
 が、官僚支配からの脱却、という考えが根底にあるのならば、この考えは理解できます。
 日銀だけでなく、あちこちにそれぞれの関連省庁から天下るためのポストがある。
 それを廃止しないと官僚支配からは脱却できず、いつまで経っても日本は変わらない。
 そういう考えには共感できます。
 つまり今回の問題も民主党なりの行政改革なのでしょう。
 例え総裁が官僚出身者でなくとも、副総裁といった影響力のあるポストに官僚出身者がいたら、その人物が色々と財務省と通じて日銀に対して影響力を行使するかもしれない。
 そういう事を考えれば日銀の独立性を保つために、末席であろうとも官僚出身者は入れるべきではないでしょう。
 他に人材がいない、とも思えますが探せばいくらでもいるのではないでしょうか?
 国連などの国際機関で働いている日本人もいるでしょうし、経団連や労働組合などにも人材はいるかもしれません。
 民間から登用すると、特定の会社に便宜を図ってしまうかもしれないという危険はありますが、実際の経済は民間企業が動かしている事を考えれば官僚出身者が適任とも言い切れないでしょう。
 大学教授などのように経済の専門家は民間にもいるでしょうし。

 そもそも自民党は「官僚の天下り禁止」を推進しようとしていたはずです。
 それならば民主党の言い分に賛同すべきではないでしょうか。
 もし違うのなら、今回の人事に関しては官僚出身者以外考えられないという根拠をきちんと提示すべきでしょう。
 どうも見ていると「天下り禁止」は口先だけで、国会の答弁などで官僚を頼っているので官僚に対して強く出れず、官僚のご機嫌を伺っているように見えます。
 だからこそ日銀の中にも官僚の影響力を残そうとし、社会全体の官僚の支配体制の維持を狙っているようにも見えます。
 こんな事で自民党の言う行政改革や天下り禁止が実現できるとは思えません。
 また、盛んに協議をしようと言っているようですが、この問題は結局「YESかNOか」の二択であり協議をどんなにしたところで妥協点など出てきません。
 民主党が特定の人物に対して、その人物の考え方に賛同できない、と言うのならば似たような主張をしている別の人間にすることで妥協は出来ますが、官僚出身者は無条件でNO、と言っている以上協議をしても歩み寄りようがありません。
 一体何を協議するつもりなのでしょう?
 元を正せばどちらも自民党の人。
 自民党にとっての「協議」とは「話し合った事にしてこちらの言い分を一方的に呑め」ということなのでしょうか?
 それとも、この件を譲る代わりに他の件で譲歩しよう、という事でしょうか?
 例えば、日銀人事で自民党案を呑む代わりにガソリン税は暫定税率を下げたままにするとか。
 そういう事なら「協議」と言えなくも無いですが。(一般的には「取引」と言うような気がします)

 民主党の主張どおりにやっても、それで上手く行くという保障はありません。
 ですが、試しにやってみるのも悪くはないのではないでしょうか?
 それとも試しにやってみて上手く行ってしまうと、官僚の立場がなくなってしまい困るから反対しているのでしょうか?

 同様の理屈で、なぜ自民党は衆議院を解散しないのでしょう?
 私は自民党支持者ではありませんが、自分達のやり方に絶対の自信があり、他の人には出来ないと信じるのならば、むしろ政権を民主党に譲るべきだと思うのです。
 自民党は言ってきました。
 「民主党には政権担当能力が無い」と。
 ならば即、衆院を解散し、わざと過半数を民主党にあげてしまえばいいのです。
 もし本当に民主党に政権担当能力が無いのなら、現時点での準備不足・実力不足を考慮すれば確実に民主党政権は崩壊します。
 そうすれば国民全体に「民主はダメだ、やっぱり自民じゃないと…」という認識が広まるでしょう。
 そうなれば自民党は安泰です。
 対抗勢力が事実上いなくなるのですから。
 でもそれをやらない。
 それはやはり、現時点でも民主党に政権を渡したら自分達と同程度かそれ以上に上手く政権を運営されてしまい、自分達の無能さが証明されてしまうから、という事なのかもしれません。

 試しに政権を渡してみればいいのに…
 いずれにせよ、参院で過半数を握られている以上、次の参院選まで2年以上は民主党の牙城は崩れません。
 どちらかといえば自民党の方が追い詰められているのです。
 ならばいっその事…
 そういう決断ができるかどうか。
 できないでしょうね、今の自民党には…
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命の重さ

 え~、本日の記事は明らかな暴論であり極論です。
 この提案を実行した場合、法律上、人道上、倫理上、人権上、大きな問題があります。
 実現させるためではなく、この極論をきっかけにの重さについて考える事ができれば良いかな、という程度で書いていきます。
 あらかじめご了承ください。

 先日も「死刑になりたい」との理由で無関係な人を何人も殺して捕まった若者がいました。
 加害者の親が「死にたいのならば自殺した方がよっぽどマシ」というような趣旨で我が子を叱り飛ばしていました。
 なぜ、死刑になりたいのでしょうか?
 生きているのが嫌になったのでしょうか?
 人生に絶望したのでしょうか?
 なぜ、自殺ではなく死刑を選んだのでしょうか?
 なぜ、他人を巻き込むのでしょうか?
 正直なところ、その気持ちが正確にはわかりません。
 自暴自棄になって「上手く行かないのは周りの人間のせいだ」と他者に憎悪の矛先が向かったのでしょうか?
 この事件だけでなく、世の中には「死にたい」と感じている人がたくさんいるようです。

 その一方で、この社会には病気で苦しんでいる人がいます。
 臓器移植しか生きる道が残っていないのにドナーが現れないというケースが多々あります。
 そういう患者さんたちは言います。
 「生きたいのに生きられない人もいるのだからを大切にして」と。
 また、こう言う人もいます。
 「自殺するくらいならそのを私にください」と。
 悲痛な叫びです。
 しかし、自殺したいと言う人たちの叫びも悲痛です。

 さて、普通ならばここで「生きられない人の分も生きるように、自殺をするのは止めましょう」というのが正論でしょう。
 ですが、今回は先ほど断ったようにそういう常識は無視します。

 では、ここより危険な考え方へ突入します。

 一方に死にたい人がいて、一方に生きたい人がいる。
 ならばこの二人を繋ぐ仕組みを作ったらどうでしょうか?
 つまり、ドナーが死ぬ事を前提とした生体間移植です。
 臓器移植に使える臓器は死んでから時間が経っていない事が前提です。
 そのため死者が出たところで実際に臓器移植が出来るケースは少ないのです。
 もし、自殺志願者が死ぬ事を前提に生きたまま臓器を提供すれば、臓器のロスがなくなります。
 臓器移植の成功率も高まるでしょうし、それで助かる人もたくさんいるでしょう。
 真偽の程はわかりませんが、中国では死刑囚の臓器を臓器移植に使っている、などという噂もあります。
 死刑囚の臓器を臓器移植に使うというのは社会的には問題があるでしょうが、を助けるという点だけで考えれば非常に有効な手段です。
 どうせ死んでしまうのならそのを有効に使う、というのは人間の傲慢かもしれません。
 ですが、ある意味ではとても正しいとも言えるでしょう。
 助けられるを助ける事になるのですから。
 同様に、自殺志願者の臓器も移植に使えば、これもまた命を救う事に繋がるはずです。
 もちろん、死にたいというだけで殺していいのか、という問題はありますし、そんなことをするより前に死にたがっている人の話を聞いてその悩みを取り除くのが先決です。
 経済的な理由なら救済すべきですし、心の病なら治療が必要です。
 若者が未来に希望が持てず絶望しているのなら、そうならない社会を作るのが先決です。
 が、それでも、どうしても死にたいという人に対しては、ドナーとして臓器移植を行うのも一つの方法ではないでしょうか。
 死にたくて死にたくて仕方がなくて、放っておいたら確実に自殺をしてしまうような状態なら国家として臓器移植という形で自殺をさせてあげる。
 普通に自殺をすると苦しかったり痛かったりと大変ですが、病院の手術室で全身麻酔をしてそのまま死んでいくのならその他の方法よりは苦痛が少ないはずです。
 いわば社会的な安楽死。
 そしてその人の体で使えそうなところは全て臓器移植をしてしまう。
 死ぬ事が前提ならば、人体のありとあらゆる場所が使えます。
 また、移植する臓器も最高のコンディションで手術が出来ますし、患者の側も体調を整える事ができます。
 医師たちも万全の体制が整えられるし同時に複数の人間を助ける事も可能でしょう。
 心臓をAさんに、肝臓をBさんに、腎臓をCさんに…
 といったように、一人の命でたくさんの人を助ける事ができます。
 「死にたがっている人を国家が殺してあげる」事が社会福祉になるとは思いませんが、結果としてそれで助かる命もあります。
 どうせ死んでしまうつもりならば、その命を無駄にする事は無いでしょう。
 放っておいたら殺人事件を引き起こし、たくさんの犠牲者が出るくらいなら、その命で誰かを救った方が良いでしょう。
 殺人で死刑になった後に残される加害者の家族よりは、自分の命を犠牲にして他人を助けて死んだ人間の家族の方が、同じ死ぬのでも遺族に対する社会の扱いは全く違う物になるでしょう。
 もし事件を犯して死刑になった場合、事件の被害者、死刑になる本人、臓器移植を受けられなかった患者、の3人の命が無駄になります。
 ですが事件を起こす前に臓器移植をするのなら、被害者は出ませんし、患者は助かる。
 失われる命は本人の命1つだけです。
 そして患者が複数ならばもっとたくさんの命が助かります。
 この文脈で使うのは間違っていますが、あえてこの言葉を使ってみましょう。
 「命がもったいない」
 「命を大切にしよう」
 明らかに本来の言葉の意味とは違う物になっていますが、事実ではあります。
 命を数で数えて損得勘定をしてはいけないのですが、もしそれでも命の計算をするのならば…確実にプラスです。
 死にたがっている人は望みが叶う。
 生きたい人も望みが叶う。
 社会の治安も保たれる。
 血も涙も無い冷酷な考えですが、合理的で効率的で良い事ばかりです。
 法律上、人道上、倫理上、人権上、明らかに間違った考え方なのになぜこのような計算が成り立ってしまうのでしょうか?
 逆に、なぜこの考え方が社会的に間違った事とされているのでしょうか?
 おそらく、人間の命には尊厳があり、足し算や引き算で計算してはいけない物だからなのでしょう。
 ですが、死刑囚の判決などを見てもわかる通り、実際には人の命を損得で計っています。
 これも社会の偽善と言えるのではないでしょうか?

 自殺を容認したり推奨したりする事は出来ません。
 そんな事をすれば人口が減り続け、社会が成り立たなくなる可能性もあります。
 死にたいと思う事が無くなるような社会を作るのがまず先です。
 が、現実には自殺者もたくさんいて、絶望の果てに事件を起こす人もいます。
 そんな現実を見ていると、どうせならその命を他者のために…とつい考えてしまうのです。

 ところで、命って誰の所有物なのでしょうか?
 私の命は私の物で、あなたの命はあなたの物。
 普通はそう考えますが、自分の命で他人の命が助かるのなら、単純に自分だけの物とも言えません。
 宗教的に考える人なら「命は全て神の物」と答えるのかもしれません。
 社会全体から見れば「命は社会的な資産」なのでしょうし、国家からみれば「国民の命は国の物」なのでしょう。
 人類、という視点で見れば「命とは先祖から子孫に向けて繋いでいく物」であり、自分という存在もその大きな鎖の一つに過ぎない、ということになります。
 「自分の命は自分の物だ」という「常識的な考え」はもしかしたらものすごく傲慢な考え方なのかもしれません。

 法律上、人道上、倫理上、人権上極めて問題のある危険な暴論にして極論でした。
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