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 本年最後の記事となります。
 今年も色々ありましたが、最後の記事のタイトルは「空気なんて読むなっ!!」です。
 言うまでも無く、今年の流行語にもなった「KY空気読めない)」のことです。
 以前にも触れたことがありますが、最後なのでもう一度書いておきます。

 場の空気読む、周りに合わせる、こういった行動が全くできないのは確かに困ります。
 しかし、周りの顔色をうかがう事ばかりに集中すると数多くの問題が起きます。
 「空気読む以前に守らなければならない事」、というものがこの世には存在するわけですね。
 これがわかっていないとどうなるのか?
 今年はそれを象徴するような事も起きました。
 例えば数多くの偽装問題。
 食品から建築など、ありとあらゆる分野でウソがバレました。
 今までなぜバレなかったのか、といえば内部の人間が「空気を読んでいたから」でしょう。
 こんな事をしてはいけないのではないか、そう感じながらもその場の空気を読んで言い出せなかった。
 結果として悲惨な状況を招き、倒産した会社まであります。
 もしも偽装を始める直前に、誰かが空気を読まないで「それはダメだ」と制止していればそんな事にはならなかったでしょう。
 相撲界のリンチ殺人事件(あえてこう書きます)だって、その場にいた人間全員が「空気を読んだ」結果、あのような痛ましい事件になったのでしょう。
 いじめなどの問題の見て見ぬふりは「空気を読む」ことの弊害の最たるものです。
 「付和雷同」という言葉があります。
 否定的に使われる言葉です。
 この付和雷同な状態こそ「空気を読んだ」状態です。
 日本では昔から「空気を読む」ことは非難されるべきことだったはずです。
 安易に他に迎合せず、自らの信念を持って行動する事こそが尊ばれていたのです。
 「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉もあります。
 正しい事が何かを知っていながら行動できないのは臆病者である、という意味です。
 まさに「空気を読まない」ことが美徳とされている、と言っても良いでしょう。
 「空気を読む」というのは卑怯で臆病で情けない事、という事になります。
 「日本人の誇りはどこへ行った」とか「倫理の崩壊」といった言葉をよく耳にしますが、「KY」などという単語が流行っているのならばそれらが失われているのは当然、という事になります。
 「空気を読まない」=「勇気、誇り、倫理、美徳」なのですから、「空気を読む」という事はその対極に位置します。
 「アイツは空気が読めないから…」などと他人を非難している人間など、すでに生きている必要の無い低レベルな人間、と言い切ってもいいぐらいでしょう。
 誇り高く正義を胸に秘めた高潔な人物なら、他人に対して「空気を読め」などとは言いません。
 日本人はいつのまにか、立派な人物とそうでない人物を見分けるための「人を見る目」さえ失ってしまったようです。

 ここで一つ、視点を変えてみましょう。
 「偉人は空気を読まない」という現実があります。
 全ての偉人や成功者に当てはまるわけではないでしょうが、歴史に名を残した人物は「空気を読まない」人物が多いです。

 真っ先に思い浮かぶのは「うつけ者」と言われた織田信長です。
 空気なんて全く読んでいません。
 多くの武将が騎馬に乗って切り合う事を前提としている時代に、早くも鉄砲を導入して戦いました。
 その際、部下の武士達は猛反対したといいます。
 雨の日には使えない、弾をこめるのに時間がかかる、武士は刀で戦うもので鉄砲を使うのはおかしい、そんな話は聞いたことが無い、値段が高すぎる、そんな得体の知れない道具より刀の方が信頼できる、などいくらでも反対意見はあったでしょう。
 日本中の空気が鉄砲は使わない、で占められていたような時代にただ一人空気を読まずに鉄砲を大量に導入。
 結果は皆さんご存知のとおりです。
 尾張のうつけ者が天下を手中に収める寸前まで行きました。
 織田信長にはもう一つ有名な空気を読まなかった出来事があります。
 「桶狭間の戦い」諸説あるようですが、10倍近い人数を相手に勝利した、というのは間違いの無い現実です。
 どこの世界に10倍近い人数を相手に「勝てる」と考えて戦を始める人間がいるでしょう?
 周りの人間も反対したはずです。
 でも、戦った。
 空気が全く読めていません。
 それでも勝ちました。
 周りの空気に流されず、きちんと自分で考えて勝算を立てた上での行動でしょう。
 「空気を読む」人間には絶対に出来ないことです。

 戦争の話だと暗いので、少し平和的な話題にしましょう。
 エジソンをご存知ですか?
 知らない人は少ないでしょうね。
 発明王のトーマス・エジソンです。
 蓄音機や電球の発明が有名でしょうか。
 このエジソンも空気が読めていません。
 当然ながら当時、誰一人として「音が保存できる」などと考えませんでした。
 録音なんて出来るわけが無い、誰もがそう信じていました。
 「録音」という言葉すら存在しなかったはずです。
 でもそんな周りの「空気を読め」といった雰囲気を無視して、彼は蓄音機を発明しました。
 電球も同様です。
 竹のフィラメントの発明に一万回も失敗したといいます。
 一万回です。
 いい加減「空気読めっ!」って感じです。
 誰もが不可能だと思ったはずです。
 それでも彼は空気を読まずに実験を続け、電球を発明しました。
 もし、エジソンが「空気を読む」人だったら、現代の生活は全く違ったものになっているでしょう。

 ライト兄弟も空気が読めなかった人です。
 飛行機の発明のために数え切れないほどの失敗をしました。
 「人間が空を飛べるはずが無い」という「常識」を無視し続けた結果が飛行機の発明につながったわけです。
 当然多くの人が彼らの事を愚か者だと思っていたはずです。
 それこそ「空気が読めない」と感じていた事でしょう。
 しかしそんな「空気を読まなかった」からこそ、現代に飛行機が存在するのです。

 ガリレオ・ガリレイもいます。
 「天動説」が「常識」の時代に「地動説」を唱えた人です。
 これこそまさに「空気が読めない」典型です。
 世界中の人間を敵に回したようなものです。
 この人は異端審問にかけられ「地動説」を無理矢理捨てさせられましたが、「それでも地球は回っている」と発言したとの逸話が残っています。
 「地動説が正しい」のは現代では当然の事です。

 他にもたくさんいるでしょう。
 何かを成し遂げるためには「空気は読まない」方が良い、といえるでしょう。
 少なくとも、現代社会があるのは「空気を読まない」人たちのおかげです。
 だからと言って昨今の政界や官僚などのKYぶりを肯定するつもりはありません。
 というよりは、アレらはKYではありません。
 マスコミが面白がって「空気が読めない」と言っていますが、アレは「空気が読める・読めない」以前の問題です。
 記事の最初にも書きましたが、「空気を読む以前に守らなければならない事」というものがあります。
 それが無いのが問題なのです。
 政界や官僚の一連の行動はKY(空気が読めない)のではなく、「人としてやってはいけない事をしている」だけです。
 一緒にしてはいけません。

 KY(空気が読めない)という言葉が流行り、周りの顔色をうかがう事ばかりを気にし始めた日本人。
 これは成功者を生みにくい土壌になっています。
 かつてないほどの閉塞感に包まれた現代日本でその突破口を開くには、どうしても革命的なことを引き起こす人間が必要です。
 そういった人をKY(空気が読めない)と非難していては、この国に明るい未来は訪れません。
 KYという言葉が流行る事で、若者の将来に大きな影を落とす事になりそうで心配です。
 KYという言葉は流行語です。
 流行語は廃れていくのが世の常です。
 一日も早くKYという言葉が死語になるのを願っています。
 KYという単語を使うのは今年限りにしませんか?
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 本年は

 大変お世話になりました。

 来年も本年同様、

 よろしくお願いいたします。

 皆様、

 良いお年をお迎え下さい


                                  12月31日

                                   泡雲法師
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植物の可能性

 今日はちょっと変わった話題を提供します。
 ニュースサイトを見ていたらこんな話を見つけました
 一本のレモンの樹に11種の果物を実らせたそうです。
 元々は普通のレモンの樹だったそうなのですが、次々と新しい果樹の苗木を接ぎ木していったところ、ついに11種の果実を実らせる事に成功したそうです。
 植物の知識が無いと驚いてしまうところですが、植物は意外と生命力が強く、近縁種ならば別の植物を途中から継ぎ足してもそのまま成長することができます。
 もちろん失敗する事もあるでしょうが、この接ぎ木という方法は農家では一般的な方法のようです。
 品種改良された新しい品種の果実を少しでも早く市場に出荷しようとすれば、苗木から育てるよりも、今育てている果樹接ぎ木してしまった方が早く収穫できます。
 リンゴや梨などではこの方法が多く取られているようです。

 それにしても11種というのはかなりの数です。
 全て柑橘系とはいえ、一本の樹からこれだけの果実が収穫できるのであれば、家庭で栽培するのも楽しくなりそうです。
 自給自足、とまでは行かなくても自分で育てた果物を自分で食べてみたい、と考えている人にとってはこういう話は励みになるのではないでしょうか。
 たくさんの種類の果樹を育ててみたい、けれどそんなに広い場所が無い、という人は接ぎ木をすることによってその夢をかなえることができるかもしれません。
 接ぎ木という技術は素人には難しいとは思いますが、知識としてそういうものがあるということを知っていれば、いつか役に立つかもしれません。

 なんとなく、農業の新しい可能性につながるような気がするのですが…
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 二院制ではなく三院制を…
 また一見では意味の分からない事を書いていきます。
 ただでさえ役に立っているかどうか分からない政治家をこれ以上増やしてどうするのだ、という気もしますが、まぁちょっとお付き合い下さい。
 現在、衆議院と参議院があります。
 この二つにはとりあえず何がしかの改革が必要だとは思いますが、とりあえず今回はそのまま置いておきましょう。
 では増やした議院で何をするのか?

 まずは新議院の議員の選出方法から。

 ・総人数は10名前後。
 この数字に特に根拠はありませんが、できる限り少人数で且つ多面的な視点を持つことの出来る人数ということで10名前後としました。
 多面的な視点が確保できるのであれば3人でも5人でも構いませんし、10名では足りなければ20名程度いても良いでしょう。

 ・選挙区は全国一区。
 得票数の多い人間から順番でもいいし、総数を決めずに一定以上の得票数を得た人全員でも構いません。

 ・選挙活動は一切禁止。
 選挙公報で限られたスペースに自分の主張を述べるだけです。
 この選挙にはできる限りお金をかけません。

 ・任期は2年、解散は無し、再選は禁止。
 参議院のように解散は無く、任期は2年ほど、再選は完全に禁止で人生に一度しかなれません。

 ・歳費は当選者の前年度の給与所得と同額のみ支給。
 年収800万のサラリーマンなら年間800万円、年収200万円のフリーターなら年間200万円、無職で収入0円なら年間0円です。
 企業などの組織に所属している人間は休職扱いとし、任期終了後に元の職場に戻れるようにします。
 給与所得のみ金額の対象とするので、不動産や株の売買などの一時的な所得は計算に入れません。
 また年金や家賃収入も給与ではないので計算に含みません。
 交通費のみ実費で別途支給。公共交通の利用料金を基準に支給。

 ・その他、特権は一切無し。

 ・その議員内で党を作ることは禁止。

 さて、こんな物を作ってどうするのかというと、やることはたった一つです。
 国会議員ならびに国家公務員の、給与および待遇並びに特権と選挙制度に関する法律のみ議論する。他の事は一切やりません。
 もう、わかりますよね?
 政治家官僚があまりにも自分達の都合ばかりで政治を行っているので、彼らの待遇ぐらいは国民の代表者で決めようじゃないか、ということです。
 無駄遣いをしている行政機関の給料は減らす。
 不祥事や怠慢などのあった省庁の給料も減らす。
 議員特権も不必要だと感じたら廃止する。
 選挙制度も国民の声が反映されやすいように変える。
 もちろん政治家官僚が国民の利益になるような事をした場合は、優遇もする。
 つまり彼らの能力を査定して給料に反映させよう、ということです。
 本来なら国民の代表であるはずの国会議員が行うべき仕事なのですが、自分達で自分達の待遇を決めるお手盛りなので公平性に欠けます。
 そこで彼らの待遇を決める人間を主権者の中から選出してしまおうではないか、ということです。
 言葉は悪いですが、主権者による自爆テロです。
 任期が短く、再選禁止なので先の事や保身を考えず、大鉈を振るうことができます。
 歳費が前年度の収入を基に算出するのは生活が変わらず、市民の視点で判断をするためです。
 これにより、新たに発生する予算を最小限に留め、国民の視点に根ざした判断を下す事ができます。
 解散も無いので、完全に独立して圧力に屈せずに仕事を行うことができます。
 ただし、政治家官僚による買収工作などの汚職の可能性があるため、汚職をしたら双方共に懲役10年の刑とします。
 また、偏った考えの持ち主ばかり集まってしまう危険性もあるので、解散はありませんが罷免はできるようにします。
 ただしそれができるのは総理大臣ではありません。
 主権者の罷免請求の署名10万人分を集め、それが提出された時点で即全員辞職、再選挙です。
 再選は禁止なので一度辞職したら立候補はできません。
 あまりにもおかしな決定を下した場合は、主権者ならば誰でも署名を集めて罷免させる事ができます。
 これによって公平性と透明性を高めます。
 こういう制度があるだけで、政治家官僚は自分達に都合の良い事ばかり行うことができなくなるのではないでしょうか?
 いわば人事権を国民が握るわけで、おかしな事をすれば即、歳費や給料が大幅に減額されます。
 各省庁や議院が正しく機能しているかどうかを調べるために、資料等の開示請求権は持たせましょう。
 また、膨大な資料を精査するのは大変ですが、そこで新たに人員を雇うと金銭的な負担が増えるので、市民オンブズマンや一般からのボランティア、弁護士会や税理士会のような公的な団体との連携もスムーズに取れるようにしましょう。

 こういう主権者の視点で監視する組織を作らないと、この国はまともに機能しないような気がします。
 かなり乱暴な提案ですが、この案に近い物は必要なのではないでしょうか? 
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 (風邪が完治していないので短めの記事です。)
 ネットのニュースサイトを見ていたら「タイゾー議員落選決定」「タイゾー議員不合格発表へ」といった見出しが付けられていました。
 杉村太蔵議員が、党北海道1区支部の候補者選考で支援を受けられない事が決まったのに対する記事なのですが、この表現はあまりにも酷だと思いませんか?
 普通「落選」や「不合格」という言葉は政治家の場合、選挙での結果を意味します。
 今回の決定はあくまで自民党内の支援が受けられるかどうかの問題であって、選挙の当落とは直接関係ありません。
 杉村太蔵議員が国会議員として相応しいかどうかはともかく、選挙が始まってもいないのにこういった表現を使うのは少々配慮に欠けるのではないでしょうか?
 また、杉村太蔵議員が自民党の支持無しで当選できる可能性は低いとは思いますが、支援が受けられない時点で「即落選決定」と言わんばかりの記事では政治的公平性に欠けるのではないでしょうか?
 もっとも、政治的公平性という言葉を使うなら、特定の政党の候補者の名前のみ記事として扱っている時点で公平性を欠いていますが…
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 感冒罹患しました…何のことかよくわからない人もいるでしょうね。
 あえて難しい言い回しをしてみたのですがいかがでしょうか?
 分かりやすく言うと「風邪をひきました」です。
 まぁ大した事は無いと思うのですが、用心のために安静にしております。
 それにしても感冒罹患…何でこんなに難しい言葉なんでしょう?
 ただの風邪なのに…
 「罹患」というのは病気になること、という意味です。
 「感冒」の方は「特定のウイルスによって起こる呼吸器系の炎症」というちょっと面倒な解説が辞書に載っていました。

 以前どこかで聞いた話なのですが、医学的には「風邪」という病気は存在しないそうです。
 誰でも知っている病気なのに医学的には存在しない…
 不思議な現象です。
 実は「風邪」という病気は医学的にはまだ解明されていないそうです。
 未知の病気なんですね…これだけ誰でも知っているのに。
 未解明の病気であるため治療法も確立されていません。
 ウソみたいな本当の話です。
 世の中に出回っている「風邪薬」という代物は、それぞれの症状を対処療法的に緩和させるもので、風邪の原因を根本から治す薬ではないそうです。
 一説には「風邪を治せる薬」を発明できればノーベル賞ものだとか…
 一応風邪を引き起こす原因とされているウィルスは、いくつか突き止められているのですがそれでもいまだに未知の病気だとか…
 ライノウィルスやコロナウィルスなどが一般的なようですが、数が多すぎて把握ができないようです。
 風邪になったらウィルス検査をして、そのウィルスを退治する薬を投与する、ということができれば簡単なのですが、ウィルスの数が多すぎて事実上不可能。
 医者も「原因不明の病気」ではカルテに書くこともできないため、便宜上「感冒」という言葉を使うそうです。
 これだけ医学が発展しているのに風邪ひとつ満足に治せないんですね、現代医学は…
 ではどうして風邪が治るのかといえば、それは当然「自然治癒」ということになります。
 医学というものは病気を直接治す事ができるわけではなく、あくまで自然治癒を助けるだけだったりします。
 医学というものは意外と非力なんですね…
 風邪の治療は、あたたかくして安静にしているのが一番、ということでしょう。

 追記
 風邪が治るまでブログの更新が滞る可能性があります。
 あらかじめご了承下さい。
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 薬害肝炎、とりあえず議員立法という形で救済することが決まったようです。
 まだ法案ができたわけではないので安心はできませんが、とりあえず一段落でしょうか。

 それにしても議員立法とは…
 色々理由はあるのでしょうが、議員立法で対応できるのならなぜもっと早く対応しなかったのでしょう?
 与党だけではありません。
 議員立法なら野党が提出したって良かったはずです。
 自民党よりも早く民主党が法案を出してしまえば、たとえ否決されても「民主党は国民の事を考えている」というPRができたのに…
 やっぱり本気で政権を取ったり国民の事を考えているわけではないのですね。

 今回の救済案だって支持率が下がったから出した、という話です。
 ということはアレですか?
 国民のための政治を行って欲しいなら、支持率は低い方が国民にとっては良い、ということなのでしょうか?
 何だかおかしな話です。
 やっぱり選挙の事しか考えていない人たちに政治を任せてはいけないのかもしれません。
 昔から「政治家ではなく政治屋」だ、と議員を批判する言葉がありますが、現在は「政治屋どころか選挙屋」のようです。
 選挙の事しか頭に無い。
 最近では「選挙で勝てる候補を探せ」という動きすらあるようです。
 小泉チルドレンでは勝てない、などと騒いでいます。
 冷静に考えれば、これもおかしな話です。
 小泉チルドレンは「勝って」議員になったはずです。
 ではかつては勝ったが今は勝てる候補ではないのか?ということになります。
 論点がズレています。
 小泉チルドレンが勝てるかどうか、ではなく、小泉チルドレンでも勝てる政治、を行った結果があの大勝だったはずです。
 小泉内閣の政治が良かったかどうかはともかく、勝てる候補を探すのではなく誰が立候補しても勝てる政治を行うのが本来のあり方でしょう。
 そういう視点に立てば、今回の薬害肝炎だって司法の判断を待つ前に救済案が出来たはずです。
 そういう当たり前の事ができない政府とは、一体何なのでしょうか?
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 メリークリスマス
 と、日本だから軽く言えてしまうのですが、海外では他宗教の人に配慮してあまり言わないそうですね。
 さて、クリスマスも本番になったはずなのですが、何となく盛り上がりに欠けている様な気がするのは気のせいでしょうか?
 以前に比べると街中のクリスマスでの盛り上がりが、ずいぶんおとなしくなったような気がするのですが…
 少し前まではクリスマスというと「ここが稼ぎ時!」と言わんばかりのクリスマス商戦が起きていたのですが、それに比べると静かです。
 やっぱり不景気な上に原油高の影響で浮かれる気分にはなれない、ということでしょうか?
 個人的にはそれだけでなく、消費者が燃え尽きてしまったのではないか、と思っています。
 燃え尽きる、と書いても何の事かわかりにくいでしょうが、早い話がクリスマスムードを盛り上げる時期が早すぎる、と言いたいのです。
 10年以上前はクリスマスの飾り付けをして、クリスマスムードを盛り上げるのは早くても12月の10日頃でした。
 それが最近では11月末からイルミネーションを点けたりしています。
 さすがに一ヶ月も前からクリスマスモードにされては、いざ当日になっても新鮮さが無くなります。
 物事にはメリハリが大事です。
 クリスマスを盛り上げたいのなら、クリスマスが特別であるという演出が必要でしょう。
 それを一ヶ月も前から始められたら、その刺激に慣れてしまってありがたみも失せるというもの。
 盛り上がりに欠ければ消費も伸び悩み、クリスマス特需も減るのではないでしょうか。
 商業主義に走って早くからクリスマス商戦を展開した結果、クリスマス全体が盛り上がらず商業的に失敗している。
 そんな気がしてくるのです。
 そういえば先日ローマ法王が、クリスマスが商業主義に毒されている事に対して苦言を呈していました。
 たしかにクリスマスは元々、イエス・キリストの誕生日。
 敬虔な気持ちにこそなれ、浮かれて騒ぐ日ではありません。
 商業主義が行き過ぎて自滅し、本来の静かな聖夜が戻ってくるとしたらこんな皮肉は無いでしょう。
 商業主義の失敗、と書きはしましたが各個人での盛り上がりは以前より大きくなっている人たちもいるようです。
 自宅にイルミネーションを施し、観光名所と化している個人宅もあるようです。
 クリスマスが、各業界によって仕掛けられるイベントではなく、個人がそれぞれの方法で楽しむための日になってきた、という見方もできるかもしれません。
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 ネット上で調査をしたところ「死刑制度を存続すべき」という意見が90パーセントに上ったそうです
 世界的には死刑廃止という考えが増えてきているようで、死刑を廃止するのは国際的な流れのようですが、日本人の感覚では違うようです。
 「存続すべき」と考える人の理由は「命で償うべき」「凶悪犯罪の抑止」「再犯の可能性」「被害者側の感情が収まらない」という理由が主なもののようです。
 「廃止すべき」と考える人の理由は「死刑にせずに罪を償わせるべきだ」「国家が人を殺すことになる」「裁判に誤りがあると取り返しがつかない」「凶悪犯罪の抑止にならない」といったところのようです。
 以前このブログの「「死刑について」という記事でも理由に関しては触れたので、今回は別の話。

 世界的に廃止傾向にある死刑制度を日本人の多くが支持しているというのはどういう事なのでしょう?
 世界で死刑廃止をしよう、という動きが活発化している理由は人命を重視しているからのようです。
 人の命は尊いものなので何があっても奪ってはいけない、国家による重大な人権侵害である、といったところでしょう。
 では日本人は人命を軽視し、人権侵害をしても構わない、と考えているのでしょうか?
 おそらく違うと思います。
 日本人は人命人権を重視していると思います。
 むしろ、重視しているからこそ死刑制度に賛成しているのではないでしょうか?
 単純に考えれば、犯罪者の命を奪うのだから人命軽視と感じるのでしょうが、日本人はおそらく被害者の人権を重視しているのだと思います。
 かけがえの無い尊い命を奪ったのだから、死刑になるのは当然だろう、という考えなのでしょう。
 報道などでも加害者の残虐性の方が多く報じられ、加害者が犯罪に走るまでの理由はあまり考えられていません。
 例え被害者側に何らかの落ち度があったとしても「何も殺す事は無いだろう」という考えに染まっていきます。
 加害者よりも被害者よりの感じ方なのでしょう。
 だからこその「死刑制度存続」なのでしょう。
 一方で再犯率の高さも気になります。
 日本の刑務所は罰を与える場所であって、更正させる場所という機能はあまり有効に機能していないようです。
 また、終身刑が無いため現行の法律のまま死刑制度を廃止すると、何年かすれば凶悪犯が社会に戻ってくる、という恐怖感もあるようです。
 しかも更正されておらず再犯の可能性の高い人間が出所してくるのですから、死刑廃止という考え方ができなくなっているという面もあるでしょう。
 死刑制度を廃止するなら当然、それに代わるような最高刑を設ける必要があります。
 順当に考えれば終身刑の導入でしょう。
 アメリカのように刑を積算して懲役300年、といった刑を課すのも事実上の終身刑として有効かもしれません。
 終身刑だと恩赦などで釈放される可能性もありますが、懲役が100年を超えれば恩赦で刑期を30パーセントぐらい軽減されても、なお塀の中です。
 そもそもある一定の人数以上の犠牲者を出してしまったら、それ以降何人犠牲者が増えても刑期が増えない、という制度も被害者の人権を軽視しているといえるのかもしれません。
 最近の判例では変わってきましたが、一時期4人以上犠牲者がいれば死刑3人以下なら無期懲役、一人なら数年の有期刑、などと言われていたことがありました。
 つまり、4人以上の犠牲者が出てしまうとその先10人犠牲者が増えても100人になっても、最高刑は死刑のまま、例え終身刑でも同様です。
 これは制度上人命人権を軽視している事にならないのでしょうか?
 4人の犠牲者が出ても死刑、その10倍の犠牲者でも死刑、では犠牲者の命は増えれば増えるほど一人当たりの価値が低下していく、という計算ができてしまいます。
 また犯罪者の側でも「俺は4人しか殺していないのに、何でもっと殺している奴と同じ刑なんだ!」という意見も出てくるでしょう。(他人を殺害しておいて、こういう意見を言う奴の神経も疑いたくなりますが)
 刑を足していくという方法なら、こういった状況に対しては納得のいく結果が出せるでしょう。
 人間の寿命がある程度までと決まっている以上、結果は変わらないのかもしれませんが、例えば犠牲者一人につき懲役20年、犠牲者が増えるたびにその年数を刑期に足していく、という制度にすればとりあえず、犠牲者の命の価値については平等に扱えます。
 犠牲者が4人なら「20年×4人」で懲役80年です。
 多くの犠牲者を出してしまった凶悪犯の場合は懲役数百年という刑になります。
 それで全てが解決するわけではないでしょうが、死刑や終身刑よりは納得できると感じる人もいるのではないでしょうか。

 この有期刑を足していくという考え方、個人的には他の犯罪に導入して欲しいんですけどね。
 例えば窃盗犯。
 現在だと初犯は何年、再犯だと何年、という基準があるようですが、盗んだ件数ごとに足していけば、一件当たりが懲役半年だとしても100件盗めば懲役50年。
 詐欺罪なども規模が大きな詐欺事件ほど懲役が長くなります。
 被害者が100人を超えるような事件だったら生涯刑務所の中です。
 社会的な治安の維持が目的なら、刑期を足していった方が凶悪犯を世に出さない、という結果につながるのではないでしょうか。

 刑務所も刑期に応じて分ける必要がありそうです。
 刑務所の中では模範囚になれば、刑期よりも早く仮出所ができるそうですが、懲役が長い囚人が模範囚をねたんで、模範囚を巻き込む形で問題を起こす、ということがあるそうです。
 こうやって囚人同士で足を引っ張るような状況を放置しておいては、更正などは難しいでしょう。
 設備面で大変ですが、刑期に応じて刑務所を分けた方が更正の役には立つのではないでしょうか。
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 ここ数日UFO論議が盛り上がっているようです。
 他にやるべきことがたくさんあるだろうに…

 防衛上、未知の脅威に対する警戒と対応策は考えておくべき事でしょう。
 ですがそれはあくまで防衛省の中で行うべきこと。
 官房長官やその他の政治家まで一緒になって論じる程の事でしょうか?
 ついでに言うなら、なぜ防衛面の話ばかり出るのでしょう?
 例えば、UFOが攻撃をしてきたとしてそれによって生じた被害は誰がどうやって負担するのでしょうか?
 本当に国民の事を考えているなら、攻撃された際の防衛だけでなく、それによって生じた被害の補償も考える必要があるでしょう。
 でも、そういう話にはならない。
 また、そのUFOに乗っていた宇宙人が亡命を希望してきたらどうするのでしょう?
 日本は難民を積極的に受け入れているわけではありません。
 どこか別の国を紹介するのでしょうか?
 それとも受け入れるのでしょうか?
 受け入れるとすると当然こういう結果になります。
 「日本は宇宙人の亡命は受け入れるのに地球人の亡命は認めない国だ」
 何だかおかしな事になりそうですよね…
 どうせ議論するのならこれくらいは最低限考えて欲しいところです。
 しかし政治家はこういう方向には話を持っていかない。
 やっぱり真面目に議論をしているわけでなく、国民の目を年金等の問題から逸らすためにやっているとしか思えないのですが…
 そもそも未知の脅威に対抗する前に、既知の脅威に対抗する事を第一に考えるべきではないでしょうか。
 先日、ミサイルで迎撃する事に成功したとか報道をしていましたが、この国の政治家は武器による脅威が少なくなれば外交によって戦争を避けるという努力を怠りそうです。
 飛んでくるミサイルを迎撃するのは大事です。
 攻めて来る軍隊を迎え撃つのも大切です。
 ですがもっとも大切なのは、撃たれない様に外交努力をすることです。
 外交努力とは相手の言いなりになることではありません。
 相手に対して「敵対するよりも協力した方がお互いの利益になる」と感じさせる事です。
 どうも権力者というものは自分の方が優位に立つと、一方的な要求をする事が多くなるようです。
 そして相手の反感を買う。
 防衛と言っても必ずしもミサイルや軍隊が出てくるわけではないでしょう。
 爆弾によるテロなどは軍事的な防衛では防げません。
 もっとも有効な防衛とは外交によって友好関係を築く事です。
 友好関係とまでは行かなくとも敵対をしないことです。
 それが外交努力というものです。
 防衛のための兵器に金をかけるのも分かりますが、地道な外交努力で人脈を築く事も立派な防衛になることを覚えておきましょう。
 時々、愚かな政治家が不謹慎な発言をして対日感情を煽っていますが、そうやって反感を買う事の方が防衛上大きな問題だという事を、肝に銘じておくべきでしょう。
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国民の血税…

 薬害肝炎訴訟どうなるのでしょうか?
 全員救済をして欲しいところですが、なかなか難しいようで…

 たまたまテレビを点けていたら、アルカイダの友達の友達の法務大臣が涙ながらに訴えていました。
 「全員救済をすると税金がいくらかかるか分からない、国民の血税を無駄にはできない、どこかで線引きをしないといけない」こういった要旨だったと思います。
 この発言の全体が分からないので何とも言えませんが、一応正論でしょう。
 国民の血税は無駄にはできない。
 だから被害者の人たちは我慢してくれ。
 こういう考え方も、賛同はできませんが理解できなくもありません。
 たしかにそうです。
 限られた税金は大切に使わなければいけません。
 それはそうなんですが…

 どの口で言うかね、そういう事をっ!

 今までさんざん国民の血税を好き勝手に無駄遣いしてきたくせに、ここへ来て無駄遣いができませんだぁ!?
 つい先日ようやく政治資金の領収書を一円以上で公開するという方向になったようですが、それまでさんざん抵抗しておいて、よくもまあ恥知らずにもこんな事が言えたものです。
 官僚の天下り団体への補助金も同様です。
 他にもたくさんあるでしょう。
 そういった無駄遣いの事を棚に上げて「国民の血税を無駄にできない」って…
 大体、薬害で何の落ち度も無いのに被害を被って、人生を台無しにされた人を救う事のどこが無駄遣いなんでしょうか?
 こういうことにお金を使ってこそ有意義な使い方というのではないでしょうか。
 自分で勝手に戦争を始めたアメリカ軍に対して、インド洋で給油をするのは無駄遣いではなくて、行政の落ち度のせいで酷い目に遭っている自国民を救うのは無駄遣いである、とそういう事が言いたいわけですか!
 ふざけんじゃねぇぞっ!!
 いっそ国民投票でもするか?
 米軍に給油する費用の一部ぐらいの金額を、薬害肝炎の患者に給付するのに賛成するかどうかで?
 マトモな人間なら誰も反対なんかしないと思うぞ。
 大体薬害だろう。
 厚生労働省のせいで被害を受けているんだろう。
 だったら厚生労働省の予算の一部を削って救済に当てるのがスジってモノじゃないのか。
 それを「無駄遣いできません」って…
 国民をバカにしてんのか?

 税金というものはできる限り弱者のために使うべきでしょう。
 税金の役割の一つは「富の再分配」なのですから、弱者に対しては遠慮せずに使うべきです。
 弱者のために使わず強者のために使うのなら、それは税金ではなくただの搾取です。
 国民を守ってこその国家なのです。
 まず第一に国民を救う事。
 それができないのなら、そもそも国家という組織など必要ないのではないでしょうか。

 追記
 大臣の会見の際にその場にいた記者から「自分達の無駄遣いは棚に上げておいて、なぜ薬害被害者を救うのが無駄遣いなんですか?」という質問は出たのでしょうか?
 やっぱり「空気を読んで」そういう発言はしないのでしょうね…
 正しいと思うことをするときには空気を読んではいけません。
 ジャーナリストには「KY(空気を読まない)宣言」でもして欲しいところです。
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 年金問題、一向に先が見えてきません。
 「ねんきん特別便」も事実上大して役に立たないらしく、政府の無能さを曝け出しています。
 舛添厚生労働大臣責任を問う声や、福田総理大臣に対する責任を問う声も聞かれますが、この問題に関しては責任を問うのも酷かな、という気もします。
 この二人には問題に対処する責任はあるでしょうが、そもそもこの年金問題自体は彼らが引き起こした問題ではありません。
 ずっと前から行われてきたことを今まで放置してきたせいで、ここまで問題が大きくなってしまったのでしょう。
 そういう意味では長年与党を続けてきた自民党の責任は大きいのですが、それは組織に対するものであって現在の大臣個人に対する責任ではないでしょう。
 とは言え、当然このまま放置するわけにも行きません。
 しかし、今までの自民党の伝統的なやり方ではおそらく解決できないのではないでしょうか。
 ここで一つ提案です。
 年金問題に関して特命担当大臣を選任してはどうでしょうか。
 行政改革担当大臣や少子化対策担当大臣のように「年金問題担当大臣」というものを作る。
 そしてその大臣に年金問題に関して全権を委任する。

 できればその大臣には民主党の長妻昭議員に担当してもらいたいところです。
 大連立には反対なのですが、年金問題は高齢者の生活に直結しています。
 また、この問題は与野党の間の問題である前に、政府と国民の間の問題です。
 政党の違いを超えて、国家として国民に対してどうやって責任を取るのか、が重要なわけです。
 その責任の前では政党の違いなど大して重要ではないでしょう。
 ここで民主党から大臣を出し、民主党全体で年金問題を解決するために全力を尽くし解決する事ができれば「民主党には政権担当能力が無い」という見解を払拭する事ができます。
 できなければそれまでですが…

 自民党が野党の議員を大臣に据えるということは、まずありえないことですが「年金問題担当大臣」というものは必要なのではないでしょうか。
 それに誰を任命するかはわかりませんが、その特命担当大臣を新設し、任命された大臣の働きによっては今後の政局を大きく動かす可能性があるのではないでしょうか。
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不手際とは…

 先日の佐世保の事件の際にも警察側が「対応に不手際が無かったかどうか調査をして…」といったような発言をしていましたが、そもそも「不手際」を何だと思っているのでしょう。
 今回の警察のケースだけでなく、他の省庁でも何か問題があるたびに「不手際があったかどうか…」といった発言をする。
 常識的に考えたら、現実に問題が起きている以上そこに不手際があった、という前提で行動するのが当然です。
 しかし行政機関というものは問題があっても不手際ではない、という考え方が根底にあるようです。
 不手際という言葉が適切かどうかはともかく、何か問題が起きているという事はその行政機関のシステムのどこかに欠陥があった、ということのはずです。
 その欠陥を放置しておけば同様の問題が新たに発生し、更なる被害をもたらします。
 システム上の欠陥は速やかに修正されなければ、国民の利益を損ないます。
 その修正のためには問題の直視が必要なのは当然の事です。
 にもかかわらず「不手際があったかどうか…」という発言をしている時点で、問題から目を逸らしている、という事になるのではないでしょうか。
 つまり「システムは間違っていない。たまたま個人のミスがあっただけだ」という発想です。
 これでは組織の改善などできません。
 各組織は問題が起きたならば、システムに欠陥があった、という前提で物事に対処する必要があるのではないでしょうか。
 不手際という言葉で言い逃れを続けていると、いつまで経っても組織は改善されず、問題の根も残ったままです。
 公益に反するのは言うまでもありません。
 「不手際…」という発言自体が上層部の責任回避の方便であり、責任の押し付け合いという組織の内側を向いた発言である、という点を見逃してはいけません。
 行政機関は公益のためにあるものです。
 そこで自己保身の発言などされては困ります。
 そろそろ国民の方を向いて、公益というもののために働いて欲しいものです。
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 佐世保の乱射事件、いつもながらマスコミは犯人の人物像を中心に報道しているようです。
 やっぱりこういうネタの方が、視聴率が稼げるからでしょうか?

 こう言ってしまうと被害者の方には申し訳ないのですが、犯人が既に死んでしまっている以上、一般の人にこれ以上の被害が出る事は無いわけです。
 犯人がどんな人物であったかが分かった所で、公益性がどの程度あるのでしょうか?
 マスコミは常日頃から公共放送だとか公益性という言葉を使いますが、現時点において犯人像を分析する事にどの程度の公共性があるのでしょう。
 甚だ疑問です。
 公益性というのなら、この事件に関してももっと別の報道の仕方があるはずです。
 例えばの管理について。
 この事件の数日前にも、が暴発して幼い子供の命が失われるという痛ましい事故が起きました。
 というものは大変危険な物なのです。
 管理をしている、と言ったところで現実にこういう事件や事故が起きている以上、管理の仕方を見直すべきでしょう。
 次に似たような事件が起きないようにマスコミは、の管理を今後どうするべきか、という方向で論陣を張るのが公益に適うと思うのです。
 そういう意見を広めて世論を作り、の管理を見直させるのがマスコミの公共的な役割でしょう。
 それを完全に果たしているとは言い難いのが現状です。

 とは言え、銃を撤廃するのは難しいでしょう。
 所持者の反対、ということではなく現実問題として、猟銃は必要だったりします。
 普通に生活している分には不要だと思うのですが、山の近くの町などでは熊や猪が民家に侵入するという事件がたびたび起きています。
 そういう事件に対処するためにはやはり、猟友会という組織や猟銃という道具は必要でしょう。
 撤廃するのが困難であるならば残る方法は銃の管理体制です。
 詳しいことは分からないのですが、現在でも銃と銃弾は別々に保管する事が義務付けられ、銃に銃弾を装填していいのは特別な場所だけです。
 家庭に銃を保管している場合でも、家庭内で銃弾を装填する事はそれ自体が違法行為なのだそうです。
 しかし、それが守られていないのでこういう事故や事件が起きる。
 ならば、銃は家庭で保管しても構わないが銃弾は決められた施設の中に保管しなければならない、というルールに変えたらどうでしょう。
 どうせ家庭内で銃弾を装填する事が法律上許されないのなら、家庭内に銃弾があろうと無かろうと関係が無いはずです。
 銃に銃弾を装填して良いのが、射撃場と狩猟区域だけならば、その場所にだけ銃弾を保管しておけばいいのです。
 銃弾の管理も厳重に鍵をかけ、二人以上の人間がいないと使用できないようにして、銃弾の管理も何発使ったのかをきちんと申告し、空になった薬きょうも回収する。
 それらを守れなければ即、銃の使用許可を剥奪する、といった厳しい制度が必要なのではないでしょうか。
 銃弾を購入する際にも、直接お客さんに渡すのではなく、店先で品物を確認したら、その銃弾のケースごと各保管施設に配送してもらう。
 そうすれば、銃を使う人の手には必要な時以外は銃弾が渡らず、銃弾が手に入った際にも必ず他の人が行動を共にする事になるわけですから、今回のような事件や事故の可能性は限りなく低くなります。
 熊や猪対策として銃弾が必要だというのなら、最寄の警察署に猟友会名義で銃弾を保管しておいてもらえば済む話です。

 他にも良いアイデアはあるのかもしれません。
 マスコミの方々にはこういったアイデアをたくさん出して議論を深めてもらいたいものです。
 それこそが公共の利益に適うのですから。
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 防衛省の汚職事件で守屋前事務次官が再逮捕されるようなのですが
 一体この問題はいつまで続くのでしょう。
 名前の上がった政治家達への責任追及はどこまで行われるのでしょう。
 なんとなく、うやむやにされそうな雰囲気でイヤなのですが…

 ところで個人的に腹の立つ理由として、この事務次官、現場の自衛官が海外の危険な地域で国際貢献をしている時に、自分は安全なところで私腹を肥やしていたわけですよね。
 で、この事件が今後どうなろうと彼の命は危険にさらされる事は無いのでしょう…
 何だか納得いきません。
 法律で定められている刑罰以外を科すことができないのはわかっているのですが、こういう立場の人の場合懲役刑などではなく海外の危険地帯で奉仕活動を行う、というのを刑罰の代わりにできないのでしょうか。
 もちろん指揮官としてではなく一兵卒として、最前線で雑用なども含め何でもやらせる。
 危険な作業(地雷の撤去)なども一番始めにやらせる。
 実際にやろうとすると現場で活動している人たちから「我々のやっていることは囚人の労役と同じかっ!?」と批判の声が上がりそうですが、防衛省の上層部のように自分の判断の結果、現場の人間を死地に送り込むような立場の人間がその地位を利用して悪事を働いたのなら、自分達の行為が現場の人たちをどういう状況に追い込み、また、その悪事でどういう人たちの誇りを傷付けたのかを身を持って知るべきだと思うのです。

 社会的に地位のある人間にはそれに伴う責任があります。
 そういう人たちの地位を利用した犯罪が、一般の人と同格で裁かれる事に若干の違和感を感じます。
 社会的責任のある人間が、その職業の品位と信用を貶めるような犯罪を犯した場合は、他の職業の人間よりも刑罰を重くするということはできないのでしょうか。
 この事件に限らず、例えば消防官が放火をしたり、警察官が持っている拳銃で殺人事件を起こしたり、タクシーやバスやトラックの運転手が飲酒運転を行った場合などは、一般人がそれらの犯罪を行った時よりも刑罰を重くするべきだと思うのですが、どうでしょうか?
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 年賀状についてもう一つ。
 昨日「年賀状と環境負荷」というどうでもいい文章を書いたのですが、それとは別にもう一つ思いつきました。
 年賀状って独占禁止法違反じゃないでしょうか?
 今までは年賀状の配達は郵便事業という公営組織が行ってきました。
 しかし、先日民営化されたわけです。
 その際、信書郵便事業を他社にも開放するかどうかでもめていました。
 宅配便業者が参入するとかしないとか、ポストの数がいくつ必要だとか、そういう議論もありました。
 結果がどうなったのかがイマイチわからないのですが、この年賀状という市場に他の民間会社が参入してもいいのではないでしょうか。
 というより、参入させないと独占禁止法違反に当たるような気がするのですが…
 その辺り、どうなっているんでしょう?
 ハガキは官製ハガキ以外にも民間で作っているハガキ(絵ハガキ等)があるので独占市場ではありませんが、年賀状の配達は完全に独占状態です。
 もっとも他社が参入しようにも収益が上げられない、という状況もあるのでしょうが。

 昨日書いた環境負荷の面から見ても、一社独占だと競争原理が働かず技術革新も期待できないため、いつまでも現状のままです。
 当然、他社との差別化を図ろう、などと考える事も無いでしょう。

 もしエコ郵便というものができたら、どうなるでしょう。
 どこの資源を使ったかわからないハガキではなく、国産の例えばスギ花粉で被害を出している杉の木を切り倒してハガキを作る。
 切った後には必ず二本以上の広葉樹を植える。
 配達も環境負荷を減らすように、人力で運べる所は人力で運ぶ。
 もちろん長距離移動の際にはエコカーを中心に使う。
 切手代など利益の一部を環境保護事業に寄付する、などといった差別化を図った会社が出てきたらエコロジーに関心のある人たちを中心に利用が広がるかもしれません。
 杉の木から紙が作れるかどうかはわかりませんが、植物なので大丈夫でしょう。
 スギ花粉が減り花粉症の症状が緩和すると同時に、広葉樹を植える事で森林の保全に勤める。
 ハガキという一定の需要があれば、林業の経営も少しは楽になるかもしれない。
 人力で運ぶのは、ヤマト運輸が既に宅配便事業で行っているので不可能ではないでしょう。
 運ぶものがハガキならば、エコカーの馬力でも十分配達は可能でしょうし。

 現在郵便局が環境保護のためにどれだけのことをやっているのかは知りませんが、こういう方法でわかりやすくエコロジーな事業を展開していけば、ある程度の経済効果を生み出すこともできるかもしれません。

 年賀状という独占市場に他社が急に参入しても勝ち目は無いでしょうが、こういった環境保護という視点で差別化を図れば、一般の人にもその参入意図が理解でき需要も期待できるのではないでしょうか。
 温暖化が深刻化しつつある現代で、今までやってきたことだから、と思考停止をせずに変えていける所は変えていく、代替手段があるものはそちらに換えるといった視点が必要ではないでしょうか。
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年賀状と環境負荷

 どうでもいい話なのですが、ちょっと気になってしまいました。
 時期的に年賀状に関する話題も増え、テレビのCMなどでも年賀状が目立つようになりました。
 また、年賀状を書かずにメールで済ますのは手抜きであるとか失礼であるとか、そういう話も聞くようになりました。
 民営化された郵便局としては、年に一度の稼ぎ時とも言えるわけで、宣伝に力が入るのもわかります。

 さて、今のところ私が一度も耳にしたことが無いのが、年賀状と環境負荷の関係。
 年に一度の事だし、日本の風習や文化でもあるので論じる必要など無いのでしょうが、一度も話題に上らないというのもちょっと妙かな、とも思いまして…

 いきなり本題にいきます。
 年賀状って環境を破壊しませんか?
 年に一度の事とはいえ、大量にハガキを使用します。
 この紙を作るのにどれだけの資源が使われているのでしょう。
 また、配達する際にも燃料を使用することにより排気ガスという形で、大きな環境負荷をかけているのではないでしょうか。
 通信手段がハガキしかなかった時代なら、それで構わないかもしれません。
 しかし現代日本においては通信手段はたくさんあります。
 年賀状を送らずに電子メールを送って済ませてしまう方が、環境負荷という面だけで見ればかなり優れているのではないでしょうか。
 メールを送るためだけに新たにパソコンや携帯電話を買うのならともかく、多くの人は既に持っています。
 通信環境を整えるための新たな環境負荷はありません。
 環境負荷がかかるとすれば、メールを送る際に使われる電気のための環境負荷だけでしょう。
 それに比べてハガキは、紙を作るために環境負荷がかかり、配達するためにも環境負荷がかかります。
 例え再生紙を用いて、自転車で配達をしたとしても、環境負荷という面で見れば電子メールに軍配が上がるのではないでしょうか。
 メールは手抜きのように感じると言ったところで、年賀状とて印刷技術を用い宛名すらパソコンで印刷できる時代において、どの程度の手抜きと非難できるでしょう?
 事実上は大して変わらないのではないでしょうか。
 そもそも年賀の挨拶というものは、直接自宅などに伺うのが本来の礼儀です。
 それをハガキ一枚で済ませているのですから、年賀状自体が手抜きの産物である、という見方もできます。

 電子メールに比べて、年賀状はハガキという「物」として残る、とか直筆で書いたほうが気持ちが込もるなど、そういう考えは大切です。
 メールよりもハガキの方が手間がかかっている分丁寧だ、という考えもあるでしょう。
 そもそも年賀状は日本の文化・風習として根付いているので、これを否定し改める必要は無いでしょう。
 ただ、文化や風習、礼儀だからという理由だけで環境負荷に関して全く触れていないのが気になります。
 これだけ温暖化や資源の問題が叫ばれて久しいのですから、年賀状は環境に悪い、送り先を限定して総数を減らすべきだ、という意見が出てきてもいいのではないでしょうか?
 親しい人たちには年賀状を送り、形だけの儀礼になってしまっている人にはメールで済ますとか、その逆に年が明けてすぐに顔を合わせる人間はメールで済まして、年賀状のやり取りぐらいしかつながりの無い方には年賀状を送るとか、そういう意見が出てきてもいいと思うのですが。

 相手に対する敬意や礼節というものはとても大切です。
 その関係を保つための挨拶の重要性は言うまでもありません。
 ですが、そのためにお互いが住んでいる地球の環境を破壊してしまうのでは、誰のための敬意と礼節かわかりません。
 大げさに言えば「あなたのことが大切だよ」と言いながら、お互いにクビを絞め合っている様なものです。

 環境保護の観点から、電子メールによる年賀状の礼法というものを確立させる、という考え方を持ってもいいのかもしれません。
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 年金、薬害、原油高、テロ対策…色々と問題が起きていて国民としては解散総選挙になって欲しいと望んでいる人も多いかと思います。
 一方の国会内では本来緊張感があるはずなのですが、実際にはどうやらそういう訳でもないそうで…
 こんなニュースを見つけました
 この記事によると、与野党共に解散だけは避けたいそうです。
 自民党が今の状況で解散したくないのはわかりますが、民主党まで解散したくないというのがよくわかりません。
 本来なら即、解散総選挙→過半数を占めて政権交代、と希望するはずなのですが…
 なんでも民主党は「準備不足」なんだそうです…
 前回の参議院選挙から十分時間は経っていると思うのですが、それでも準備不足。
 一体いつになったら準備が完了するのでしょうか?
 こうやってもたついているから「民主党には政権運営能力が無い」と言われているのだと思うのですが。
 それ以前になぜ「民意を問う」ための選挙に準備が必要なのでしょう?
 準備が必要なのは、むしろ投票をする国民の側であって、政治家が自分達の都合で民意を問うタイミングを決める、という事自体がおかしいような気もします。
 選挙の際に訴える公約や政策ができていない、ということでしょうか?
 それとも組織票頼みの選挙をしているので、その組織のご機嫌伺いでもしているのでしょうか?
 前者にしろ後者にしろ論外です。
 前者なら改めて作るまでも無く、常日頃から自分達の信念や理想的な社会の在り方という物をきちんと描いた上で政治を行っていれば、準備など必要も無くいつでも政策化できるはずです。
 それが即できないということは「ビジョンや目標が無い」ということになります。
 …政治を行う資格がありませんよね。
 後者ならそれはもう民主主義ではありません。
 大衆迎合・衆愚政治です。
 誰かの利害のために政治を行えば、必ずどこかにしわ寄せが行き社会が破綻していきます。
 政治家というものは誰かの意見に従って行動するのではなく、自分で国民全体がまんべんなく幸せになる方法を考え、他の人間をその理想へと引っ張って行くべきでしょう。
 リーダーシップと呼ばれるものです。
 理想に燃える開拓者のような政治家なら構いませんが、卑屈な御用聞きのような政治家など必要ありません。

 解散が怖くて議論を煮詰める事ができず、なれ合いで国会運営をされたのでは国民が迷惑です。
 いっそのこと、解散して全員引退してもらった方が国民の利益に適うのかもしれません。
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本末転倒…

 いまさら書くのもバカバカしいのですが、無関心よりは良いだろうという事で書きます。
 自民党、小泉チルドレンの処遇で揉めております。
 先日、ついにタイゾー君がキレてしまったようで
 「公認するかしないかというのは、党の判断ですよ。ただね、選挙に出馬するかしないかは私の判断ですよ」「公認したかったら、したらいいじゃないですか。公認したくなかったら…。(3秒の沈黙)しなきゃいいじゃないですか!」
 え~、何だか面白くなってきました。
 公認されなくても強行出馬するそうです。
 彼の言い分も一部わかります。
 現職の議員を公認するのは当然じゃないか、と。
 相手は新人、タイゾー君はラッキーで当選したとはいえ現職。
 現職の方に公認を出すのは当たり前ですよね。
 それに彼は小泉チルドレンの中では知名度は群を抜いています。(良いか悪いかは別として)
 むしろ、このまま「自民党は酷い」と自民党批判をしていれば結構票が取れそうな感じです。
 もっとも彼が議員を続ける事が果たして国益になるのだろうか、という疑問は残りますが。
 彼は比例代表の一番下にいて、ラッキーだけで当選しているのだから、議員という地位に固執せず「運が良かっただけ」と割り切って立候補を辞退した方がイメージが良くなるような気もする。
 一度議員を辞めて、議員体験を本にでもして売り出せばそこそこ売れるのではないだろうか。
 その後は「元議員」という肩書きで、コメンテーターのようなポジションでマスコミで働けば、当面の間生活に困る事は無いだろう。
 長くはできないだろうが、一時的にはそれでしのげる。
 その間に今後の身の振り方を考えたほうが得策ではないだろうか。
 どうしようと本人の勝手だが。

 さて、タイゾー君はともかく自民党のやり方が気に入らない。
 小泉チルドレンでは選挙に勝てそうに無い。
 だから、選挙に勝てそうな候補を探す。
 一見正しいような気がするし、当然だとも思う。
 が、ちょっと待って欲しい。
 野党ならその戦略で良いだろう。
 しかし自民党は与党である。
 ねじれ国会と言っても、衆議院での再可決が可能である。
 ということは、国家の運営を自由にできるのである。

 政権与党が取るべき選挙対策は、「勝てる候補を探す事」ではなく、「誰が出馬しても当選できるようなすばらしい政治を行う」ことではないのだろうか。
 私は何か間違っているだろうか?
 誰もが納得する政策を提示しそれを実行していけば、誰が立候補してもその党に投票するだろう。
 それが本来の政治ってものです。
 政党政治を行っている以上、個人の実力よりも党の主張の方が問われます。
 一個人が何を言っても政党に入ってしまえば、党の意見に従うしかない。
 だから個人の力ではなく政党の力で今まで選挙が行われてきました。
 それをいまさら、勝てる候補を探す、などと言い出す。
 もしその「勝てる候補者」とやらが当選しても、その候補者の意見を重用する事は無く一議員としてしか扱わない。
 自民党が候補者に望むのは「選挙に勝って、その後は何もするな」ということのようです。
 しかも先日、消えた年金問題の釈明で「選挙だから解決すると言ってしまった」などと公約を信用するなと言わんばかりの発言。
 政党の掲げる公約を信用してはならず、候補者個人の人格も政治に反映されない…一体何を基準に投票すればいいのでしょうか?
 言ってる事がメチャクチャです。
 すなわち「俺は議員でいたいんだ、好き勝手やりたいんだ、権力者でいたいんだ。だから国民は黙って俺に投票していればいいんだよ」というのが自民党の本音なのでしょう。

 世の中に自民党支持者というのはたくさんいるようです。
 しかしその内実は一枚岩ではありません。
 熱狂的に「自民党万歳」と考えている人は極少数でしょう。
 残りの人は「他の所よりは自民党の方がマシなんじゃないの?」という消極的な自民党支持なのではないでしょうか。
 それはつまり、野党が実行可能なすばらしい政策を提示できれば逆転が可能、ということであり同時に自民党にとっても、みんなが納得できる政治を行えば選挙には勝てる、ということでもあります。
 最も重要なのは「今どんな政治をするか」でしょう。
 どうすれば国民が幸せになって日本の国益に適うか、ということでしょう。
 それらを一切考慮せず、選挙に勝てる候補者を立候補させれば政権は安泰だ、などとセコイことを考えているようでは誰が立候補しても勝てないでしょう。
 自民党のやっていることは完全に本末転倒です。
 しかも恐ろしい事にそのことに全く気付いていないようです。
 マスコミもそういう助言はしないようです。
 この国は一体、どこへ向かっていくのでしょうか?
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 埋蔵金を取り崩す事にしたようです
 一時は「そんな物は無い」と断言していたのに、あったんですねやっぱり。
 まぁ、取り崩しす事によって国民の負担が減るのならそれでいいかな…と思ったのですが、ちょっと待て。
 使い道が国債の返済となっているから大丈夫だとは思うが、この虎の子の埋蔵金が例の如く、湯水のように無駄遣いされる可能性は無いのだろうか?
 金が無い、金が無い、といいながらもきちんと給料は満額貰っている官僚のやることです。
 この取り崩した資金も何かわけのわからないことに使って、気が付いたら無くなっていました、何て事にはなりませんよね?
 本当に「今」取り崩して大丈夫なんですか。
 その前に行政の無駄遣いを正しておかないと、取り崩し損…という事になることはありませんか?
 このお金は非常手段です。
 奥の手なんです。
 それを無駄遣いされたら、状況はさらに悪化します。
 借金は日々増え続けるのにヘソクリが無くなっちゃった…では悲惨すぎます。
 言うなれば今の日本は、遭難して飲み水が少ししかなく持っているコップには穴が開いている、そんな状態です。
 その穴の開いているコップに、のどが渇いたからといって飲み水を入れてしまっていいのでしょうか?
 まず穴を塞ぐ方が先だと思うのですが…
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 やっぱり無理でした、消えた年金の記録の照合
 やる前から無理だというのはわかっていましたが…
 一応2割ぐらいは特定できていて、3月までに全てを終わらせるつもりだったのが3月までには無理っぽい、という見解のようです。
 だから公約違反ではない、と。
 野党やマスコミからすれば、公約違反かどうかが重要なのでしょうが一般の人から見れば公約違反であるかどうかはそれほど重要ではのかもしれません。
 それ以上に気になるのが、本当に全ての記録を照合する事ができるのかどうか、です。
 3月までには無理…ならば何時になったら終わるのでしょう?
 そもそも期間はともかく全ての記録の照合は可能なのでしょうか。
 報道によれば「4割の記録が特定困難」なのだそうで…
 国民としては、期間が守れるかどうかよりも最後まで照合ができるのかどうかの方が重要です。
 もし、最後まで特定できない場合はどう責任を取るつもりなのでしょう。
 これは自民党とか民主党とかは関係ありません。
 国家として国民に対してどう責任を取るのか、ということです。
 特定不能だとしたら、国家国民から預かったお金を失くしたということです。
 それも故意に近い形で…
 国家による詐欺行為と言ってもいいでしょう。
 特定ができないならどこの誰が被害者なのかわかりません。
 本人すら気付いていないかもしれないのですから。
 となると、国家としては年金の構造を根本から見直し、年金の仕組み自体を変えて新しい社会保障制度を作る必要性があるのではないでしょうか。
 年金の統合をするとか、支払い期間や金額に関係なく一定の年齢になったら最低限の金額を支給するとか、そういう方法が必要でしょう。

 それにしても腹の立つのが官房長官の言い分。
 「最後の1人まで3月末までやるというわけではない」
 「選挙中だからある程度簡素化し、縮めて言ってしまった」
 何ですか、コレは?
 前の首相は3月までに記録を照合する、と断言してましたけど。
 何かコンピューターのプログラムで一気に片付けるとか言っていましたよねぇ?
 どうなったの、そのプログラムは。
 予算、組んでたよねぇ?
 機能しなかったのかな?
 それに「選挙中だから言った」ってやっぱり自民党としては、選挙期間中は実行不可能でもいいから国民を騙すために調子のいい事を言っておけばいいや、ということなんですよね、この発言はっ!
 自民党の本音ですよね、コレが。
 国民はバカだから、耳に心地良い事だけ言っていればいい、ということですよね。
 自民党が選挙に対してこの程度の意識だからだんだん支持率が下がっているということに、いまだに気が付いていない。
 公約を守らないのはいつもの事だが、それを公言してはいけないだろう。
 こういう場合は「できませんでしたスイマセン。時間がかかってでも最後までやります。できなかったら代替案を出して救済します」と言えばいいだけのことでしょう。
 それをやらない。
 責任も取らず自らの非も認めない。
 人の上に立つ資格がないですよ、こういう事を言う人は。
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 ちょっと過激なタイトルを記事に付けてみました。
 何でまたこんな事をわざわざ書いているのかというと、どうも気になることがあるんです。
 社会全体で無意識のうちに共有されている風潮のことです。

 記事のタイトルに付けたような「人の心は金で買える」などと発言すると大顰蹙を買います。
 人格を疑われてしまいます。
 こういう事は常識的に考えて言ってはいけません。
 で、言って良いか悪いかは別として、実際に金で人の心は買えるのか、ということとそれに対する意識を考えてみたいと思います。
 さて、人の心は金で買えるのでしょうか?
 結論から言えば、買えます。というより、多くの人が無意識の内に買える、と判断しているはずです。
 でも、前述の通り常識的にはそういう発言はしません。
 なぜ、無意識の内に買えると多くの人が判断している、と断言したのか。
 改めて言うのもおかしいのですが、つまり汚職というものがこの世に存在しているからです。
 もし、人の心が金で買えないということが前提なら、汚職というものはまず存在しません。
 あってもかなり特殊な状況でしょう。
 一般的に汚職とは金銭を貰って、その見返りに便宜を図る事です。
 コレってつまり、人の心を金で買っているという証明でしょう。
 もちろん全ての人の心が金で買えるわけではないでしょう。
 しかし、金で心を売ってしまう人もいるということです。
 汚職ではなくても接待などを受けて態度を変えてしまう人も同様でしょう。
 広い意味で言えば、仕事の上で自分の信念と反する事をしなければならない場合も金で心を売ってしまっている状態と言えるでしょう。
 「人の心を金で買う」という行為は日常にあふれているわけです。
 ではなぜ「人の心は金で買える」と発言すると人格を疑われてしまうのでしょう。
 誰もが言わなくてもわかっていることをあえて言うな、ということでしょうか?
 心を金で売るという行為に対して罪悪感があるが、誰しもそういう経験があるから言われると傷口をえぐられるような気がして非難するのでしょうか?
 それとも金で心が動かされるような人間に対する嫌悪感でしょうか?
 金で欲を刺激して人の意思を変える行為が、弱味を握る行為のような気がするので、そういうことに対する人道的・倫理的嫌悪感からでしょうか?

 そもそも金で心を売るということは、人間関係においてどういう意味を持っているのでしょう。
 心を売るという状態の具体例を挙げると、一番わかりやすいのが「裏切り」でしょうか。
 「人の心は金で変える」という発言が「裏切りは正当な手段である」ということとほぼ同義のように感じるからでしょうか。
 「裏切りは正当な手段である」と言われてそれを肯定されたら、社会秩序など保てません。
 誰も他人を信用しなくなります。
 また、裏切られた側からすれば「私達の信頼関係はその程度のものだったのか?」という感情が浮かびます。
 今まで築き上げてきた関係を金銭で評価されるに等しい行為です。
 それはつまり裏切る側の人間に「お前の価値はこの程度」と値踏みされるようなものです。
 そういう、自分自身を金銭で評価される事に対する嫌悪感も心の奥に潜んでいるのかもしれません。
 人間にとって自分自身とは金銭で交換できない、世界に一つしかない尊いものです。
 それを金銭に置き換えられる。
 自尊心が傷つく。
 すなわち人間の尊厳に対する挑戦。
 そんな意味も含まれているのでしょう。
 だから「人の心は金で買える」という発言は許されないのでしょうね。
 それは人間という存在を踏みにじる行為になるわけですから。

 追記
 レトリックになってしまうのですが、以前某IT長者が「金で買えないものは無い」というようなことを発言した際、正義感のある人たちは「人の心は金で買えない」と正論のように反論しました。
 ならば最近の某前事務次官の汚職の際にも「人の心が金で買えるはずが無いのだから、接待を受けたり金銭を貰ったぐらいで不正を行うわけが無い」と反論して汚職をした人を庇わないと、論理が一貫していないような気がするのですが、どうなんでしょう?
 正論を言う人たちも心の奥では「人の心は金で買える場合がある」ということを前提としているのでしょうね。
 ただ、その前提がさも存在していないかのように振舞う昨今の風潮は気になります。
 潔癖主義とでも言うのでしょうか。
 人間というものはそんなに立派な生き物ではないと思うのですが、ヒステリックに正義を振りかざす人たちは人間を理想化し過ぎているような気がします。
 社会全体が一般人にまで聖人君子の如く在る事を望めば、社会全体が窮屈になりフラストレーションが溜まっていずれ崩壊を起こしますよ。
 一つ一つは正しくても、それを追求し積み重ねた結果が必ずしも正しい結果を生み出すわけではない、ということを心のどこかに留めておいた方が良いのかもしれません。
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薬物犯罪について

 ここ数ヶ月の間、何人かの芸能人が薬物犯罪で逮捕されました。
 また、大麻事件で某大学の運動部員が逮捕された、という事もありました。

 薬物犯罪が悪いのは当然ですが、そもそもなぜ悪いのかはあまり語られていません。
 一部には「他人に迷惑をかけていないのだからいいじゃないか」という主張さえあります。
 実際、なぜいけないのでしょう?
 彼らの言う通り、ただの自傷行為という面もあります。

 現実的には、初期の薬物犯罪で他人に迷惑がかかることは少ないように思われます。
 問題があるとすれば、薬物の代金として多額の資金が非合法集団に渡ってしまうということでしょうか。
 そして、その資金を元にさらに大きな犯罪が行われていく…
 それが問題なのでしょう。
 ただしこれは、あくまで初期の状態です。
 薬物依存性があり、決して初期の薬物中毒で終わるということは無いでしょう。
 一度始めたら末期中毒になるまで続きます。
 一度でも使えば末期中毒予備軍です。
 さて、末期中毒になるとどうなるのでしょう。
 一般に知られているところだと、幻覚や幻聴が現れる、イライラして落ち着かず、精神的に不安定になり、自制心が無くなり、判断力が低下し、衝動的になる、と言われています。
 また、全身を虫が這うような感覚が襲い、カラダをかきむしるなどの自傷行為が現れるとも言います。
 自傷行為の方は他人には迷惑がかかっていないように思えます。
 問題は精神が不安定になり衝動的になる、といった方です。
 こちらは他人に危害が及ぶようになります。
 何もしていない人間に対して「攻撃された」と錯覚をして、いきなり他人を襲うこともあります。
 また、中毒になり薬物が欲しいのに金銭的な余裕が無く薬物が手に入らない場合は、判断力の低下と衝動性のもと、強盗などの凶悪犯罪を突発的に引き起こします。
 ガソリンを頭からかぶって自らに火を放ち焼身自殺を図る事もあるそうです。
 当然放火の危険性もあるでしょう。
 薬物犯罪は放置すれば無法地帯になる危険性があります。
 社会秩序を破壊する恐れがあるわけです。

 薬物犯罪を取り締まるのは当然として、それに対する刑罰はどうすべきでしょう。
 もちろん重い刑罰が課されているわけですが、日本の場合犯した罪に対して罰を与えて終わりです。
 「罰を与えれば自動的に反省するだろう」という楽観的な性善説で成り立っています。
 その結果、再犯率が非常に高いのですが…
 薬物犯罪者は犯罪者であると同時に薬物依存症の患者でもあります。
 罪を犯したから罰を与える、だけでは依存症は治りません。
 再犯を防ぐためにも依存症の治療を行わなければならないのですが、当然そこには反対意見もあります。
 「自分で勝手に違法行為をして依存症になった人間を、なぜ国費で治療しなければならないのか」という問題です。
 たしかにそうです。
 医師の処方のミスなどで薬物依存になった(例えばモルヒネ中毒や最近ではリタリンの過剰処方が問題になりました)のならともかく、自分で勝手に犯罪を犯して依存症になったのです。
 そんな人間の治療に税金を投入するぐらいなら、もっとマシな使い方がいくらでもあるだろう、という考え方もできます。
 しかし、この薬物依存を治療しないと再犯が起きる可能性が極めて高くなります。
 初期の依存ならともかく、回りに害が出るようになるのは困ります。
 社会秩序を保つためのコストとして、こういった薬物犯罪者への治療にお金を使うことも必要なのかもしれません。
 治療を行うことで再犯を防げば、非合法な集団の資金源を断つことにもなります。
 間接的にではありますが、治安の維持にも効果が出てくるのではないでしょうか。

 「罪」と「罰」
 罪を犯したものに罰を与える、それ自体は間違ってはいませんが、罰を与えてそれで終わりにしてはいけないのかもしれません。
 罪と罰という言葉があるため、罪に罰さえ与えておけば社会秩序は維持されると思いがちですが、実際には罪の対極にある言葉は罰だけではないのでしょう。
 罰の先にあるべきもの、償いや救済、治療や更正など罪に対して行うべき処置は、まだまだたくさんあるのではないでしょうか。
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死刑について

 先日死刑が執行された事がニュースになりました。
 最近では法務大臣が「死刑は自動で執行された方がいい」といったような発言で物議をかもしたこともありました。
 世界的には死刑廃止という方向で進んでいるようです。

 さて、死刑は必要なのでしょうか?
 必要派もいれば不要論を唱える人もおり、またその主張の中でも様々な言い分があり、決して必要か不要か、という二元論ではありません。

 ちょっと、すぐに思いつくそれぞれの主だった理由を挙げてみましょう。

 死刑廃止論者の言い分
 ・死刑は残酷であり、人道上許されない。
 ・一度執行してしまうと取り返しが付かず、冤罪であった場合の危険性が常に付きまとう。
 ・死刑を執行しても何も解決しない。
 ・死刑を執行して罪から逃れるなんて甘すぎる、もっと苦しみを与えて生き地獄を味わわせるべきだ。

 死刑必要論者の言い分
 ・罪を犯したのだから裁かれるのは当然。
 ・更正するかどうかわからないのに、社会に再び戻すのは危険なので危険人物は殺すべき。
 ・重大な犯罪に対する抑止力
 ・被害者遺族の感情を考え、命を奪った人間は命を失うべきである。むしろ国家が死刑を執行する事で復讐の連鎖を止めることになる。

 他にもたくさんあるでしょうが、今私が思いついたものを挙げてみました。
 それぞれに微妙に理由が異なっているのがわかるでしょうか。
 死刑必要論は「社会全体の秩序のため」と「罪を犯した人間への罰」の概ね二通りではないでしょうか。
 一方廃止論は「人道上の問題」「冤罪の危険性」「死刑自体が不毛」「死刑では刑として甘い」など色々あります。
 また、廃止の理由の「人道上の問題」と「死刑では甘い」の二つは方向性が全く逆です。
 「死刑では甘い」という考えは死刑賛成の延長線上にある考えと言えるでしょう。

 ちょっと論点を整理します。
 論点の整理のため、ここでの死刑になる理由は「殺人」ということにします。

 「冤罪の危険性」に関しては死刑とは別の問題として考えるべきだと思います。
 死刑は執行してしまうと取り返しが付かず、冤罪の可能性がある以上止めるべきだ、というのでは逆に死刑が廃止された場合「どうせ死刑になるわけではないのだから、冤罪が起きても取り返しができるから問題ない」という司法の側の怠慢に繋がるのではないでしょうか。
 むしろ、廃止する事によって緊張感が無くなり冤罪が増える可能性すらあります。
 取り返しが付く付かない以前に冤罪自体が許されません。
 どんな理由があろうとも冤罪は避けなくてはなりません。
 それは死刑が有ろうと無かろうと同じ事です。
 よって死刑と冤罪の問題は分けて考えるべきだと思います。

 「人道上許されない」
 たしかに許されないのかもしれませんが、死刑になる人間というのは死刑になるような罪を犯した人です。
 人道上許されないと言っても、その「人道上許されない事」をその犯人が既に行ってしまっているわけです。
 他人の人道を踏みにじり人権を奪った人間が、なぜ自分の人権や人道という言葉を口にする権利があるのでしょうか。
 この理屈では被害者はやられ損のような気がします。
 人道上許されないというのは、理由としては説得力に欠けるのではないでしょうか。

 「死刑を執行しても何も解決しない」
 たしかにその通りです。
 何も解決しません。
 ですが生かしておいたところで、何かが解決するのでしょうか。
 死刑は不毛です。
 生産的ではありません。
 だからと言って廃止する事が生産的かどうかはわかりません。
 被害者側の感情を考えると、死刑が執行される事で事件に一つの区切りが付き、事件の事を自分達の中で消化して人生を前に進めることができるのではないでしょうか。
 それは一つの「解決」と言ってもいいでしょう。
 死刑の執行は必ずしも無意味であるとは思えません。

 「死刑では甘い」
 これが一番厄介です。
 そもそも人間は死ぬ事で罪が償えるのでしょうか?
 「死刑を執行しても何も解決しない」や「人道上許されない」にも関わってくるのですが、死ぬ事で犯した罪が消えるわけではありません。
 被害者側の感情が晴れようと、それ自体が償いではないでしょう。
 死刑では甘いという考えは人道に反する結果を生み出しかねません。
 つまり「死刑より重い罰」をということなので、当然死刑以上の人道上の問題が発生します。
 この考えには私は対論が出せません。
 ですので私は、死刑廃止論の中ではこの意見を支持します。

 さて死刑必要論の整理もしましょう。

 「罪を犯したのだから裁かれるのは当然」
 その通りです。
 罪を犯したのに裁かれないのでは、無法社会になってしまいます。
 しかし、何に対して裁かれているのでしょう。
 法を破った事でしょうか?
 他人に害を与えた事でしょうか?
 他人に害を与えたから死刑、は説得力はあるのですがそれ自体は償いにはなりません。
 誰かを殺して自分も死刑、では残された被害者遺族は失うばかりです。
 被害救済など全くありません。
 遺族にとって死刑の執行は、心の整理にはなるでしょうが被害回復にはならないのです。
 ここでも死刑自体の不毛さが出てきてしまいます。
 ここで一つの疑問があります。
 被害者が天涯孤独で友人もいないような人物だったらどうなるのでしょうか。
 その被害者が死んだ事によって誰も悲しまず不利益も無い場合。
 死刑を執行したところで、誰にもプラスが無い場合。
 一体何のために執行するのでしょう。
 その死刑が執行される事によって心が整理されるような人間もおらず、死刑囚からしても償う相手がいない場合。
 償う相手は既に死んでしまっています。
 だからと言ってこの死刑囚の罪が無かった事にはならないでしょう。
 罪は罪です。
 では何に対する罪で誰に償うのか。
 逆に言えば天涯孤独で友人もいない本当に孤独な人間には、殺されても文句は言えず存在する価値すらないのか。
 そんなことはありません。
 どんな人間でも人権はあります。
 生きる価値はあるのです。
 そういう考えが社会の根本を支えています。
 つまり利害関係がどうのこうのではなく、人間という存在を殺す事自体が罪ということになります。
 これが法を破ったことに対する罪の根本的な考えです。
 この考えが次からの問題とも重なってきます。
 ここまでで否定できるのは「死刑は他人に害を与えた事の償いにはならない」ということでしょうか。

 「更正するかどうかわからない人間を社会に戻すのは危険」
 つまり危険人物は社会から排除せよ、ということになります。
 この考え方自体が何か問題を含んでいるような気がします。
 選民思想のようなものに繋がっていくのではないでしょうか。
 それはともかく、現在の刑罰というものは罪に対して罰を与えること、が前提なので更正という視点が完全に欠落しています。
 一応職業訓練などは行っていますが、こういった刑としての労働は更正の心の部分にはどの程度の効果があるのかは疑問です。
 実際再犯率というものは高いのです。
 刑務所に入った人間が社会にでて普通に暮らしていくのは現在非常に困難でしょう。
 働く場所を見つけることさえ困難ですから。
 つまり一度刑務所に入ってしまうと、もう一度罪を犯さざるを得ないような社会環境です。
 これは改善が必要でしょう。
 ですが刑罰の考え方もちょっと疑問があります。
 今の刑罰の基本的な考え方は「人間なのだから罰を与えれば自然と更正するだろう」という非常に楽観的な性善説に基づいているようです。
 更正という考え方が浸透しておらず、そのための方法も存在しないのならば、死刑になるような罪を犯した人間を社会に戻すことなどできません。
 では、この更正ができたとしたらどうでしょう。
 言葉は悪いですが「洗脳をしてマトモな人間」になったら、社会に出しても問題は無いかもしれません。
 社会に戻す事で何か償いの方法が見つかるかもしれません。
 別の考えとして、社会に戻さなければいいのなら終身刑にするという手もあります。
 死刑にはせずに、死ぬまで刑務所の中で暮らす、そういう刑です。
 社会に戻さなければいいのなら、死刑にこだわる必要もありません。

 「重大な犯罪に対する抑止力」
 本当に抑止力などあるのでしょうか。
 現在は死刑制度があります。
 ですが死刑になるような罪を犯す人間は減ってはいないようです。
 もしかしたら、抑止力が働いているからこの程度の数の犯罪で済んでいるのであって、死刑制度が廃止されたらもっと凶悪犯罪が増えるのかもしれません。
 これに関してはわかりません。
 一方で最近こういった犯罪者がいます。
 「生きていたって仕方がないから回りを巻き込んで死んでやる」といった人たち。
 通り魔や白昼堂々無差別殺人を行う人物に多いです。
 「誰でもいいから殺したかった」と言っているような人たちです。
 この自暴自棄型・自爆型とでも言うような連中に死刑による抑止力などあるのでしょうか。
 「生きているのが嫌だから、誰かを殺して死刑になりたい」こういう思考回路を持っている人物に対しては、死刑は抑止力どころかむしろ積極的に犯罪を助長しているようなものです。
 死刑=抑止力は現代では説得力に欠けるケースもあるようです。

 「復讐の防止」
 これは大きいでしょう。
 刑罰に納得していない遺族が、出所してきた殺人犯に復讐する事は十分に考えられます。
 死刑を執行しなかったがゆえに新たな殺人者を生み出す、という事態は考えられます。
 そしてその新たな殺人者に対して、また復讐をしようとするものが現れる。
 報復の連鎖です。
 そもそも刑法は、この報復の連鎖を防ぐために被害者に代わって国家が報復をするから、個人的な復讐を禁止する、という理屈の上に成り立っているはずです。
 そのためには、被害者側が納得するだけの刑罰を加害者に与えなければなりません。
 その方法の一つとして死刑があるわけです。
 では、被害者側が納得さえすれば死刑でなくともいいのではないでしょうか。
 死刑廃止論の中にあった「死刑では甘い」という考え方です。
 死刑よりも重い罰を与えれば、死刑である必要はない、という考え方もできます。
 よって復讐の防止のための死刑というものも説得力が無くなります。

 色々と考えてきてその結果、死刑にするよりももっといい方法があるのではないか、という考えに至ってしまいました。
 ここまでの考えだと、一生罪を償わせるために生涯刑務所の中で罰を受けさせ続ける、というものになってしまいました。
 これで正しいのでしょうか?
 何かが間違っているような気もするのですが…
 個人的な理想論では「死刑制度があるが誰も死刑になるような罪を犯さない社会」が一番いいとは思うのですが、これでは死刑制度の是非に対する答えになっていませんからねぇ。
 罪と罰、死刑制度に関してはまだまだ書くことがたくさんありそうですが、今日のところはここまで。
 また機会があれば書いていこうと思います。
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埋蔵金って…

 突然降って湧いたような埋蔵金騒動です
 徳川埋蔵金とかの話ではなく、政府の財政の中に「埋蔵金」があるのではないか、という論争です。
 「埋蔵金」という言葉を使ってはいますが、どちらかと言うと「ヘソクリ」と言った方がニュアンスが近いようです。
 行政の特別会計の中に非常時のために準備してある積立金があり、その積立金の中の過剰な部分に関しては国民に還元すべきではないか、というのが埋蔵金論者の言い分です。
 この過剰な積立金はかなりの額に上っており、このお金を取り崩せば増税の必要は無いだろう、ということのようです。
 一方で「そんなものは無い」と言っている人たちもいます。
 どちらが本当なのかわかりません。
 日本の財政事情は極めて不透明なようです。
 この埋蔵金、名目上は「ナントカ積立金」というような名称になっているようで、ちょっと見ただけでは必要なお金かどうかがわからないようです。
 また、名目通り「積立金」として積み立ててあるわけで、そのお金は当然何かの目的があって貯めているお金のはずです。
 そういう予備のためのお金なので、足りないからといって安易に取り崩してしまうのも問題があるでしょう。
 ここで取り崩してしまって、本当に必要な時が訪れたのに「足りません」では困りますし。
 そもそも予備費というものは「どれだけ持っていれば安全」という限度など存在しないでしょう。
 多ければ多いほど安心、という面もあります。
 ただ、今の日本の現状こそが「非常時」であるような気もします。

 実際にこのような余分なお金があるのかどうかがわかっていません。
 もしあるのだったら、国民に負担を強いる前に使って欲しいものです。
 この際だから、あるかないかを調べるためにも国家財政を徹底的に調べてみるのもいいのではないでしょうか。
 その調査のついでに行政無駄遣いも同時進行で調べれば、国家財政回復の道が見えてくるかもしれません。

 それにしてもこの埋蔵金騒動、どうも本気で財政や国民生活を心配して出てきたものではなく、選挙対策として増税論をかわすために対案として出てきた意見のようです。
 大騒ぎをしている割には自分達の目先の事しか考えてないのですね、この人たちは…
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 OPECが原油増産を見送りました
 以前、原油増産に前向きな発言をしていたのですが、撤回されたようです。
 原油が増産されれば原油の値段が下がり、物価も下がってくるだろうと思っていたのですが、どうやらそうはならないようです。
 あの発言があったので、この原油高の状態も2,3ヶ月で終わるだろうと思っていたのですが、この分だと当分続いてしまいそうです。
 さらに原油高の影響で代替燃料の需要が増え、その代替燃料が穀物であるため、食料(飼料含む)が燃料になってしまい穀物不足→食品の値段高騰という図式になってもいます。
 当然、燃料費が上がれば輸送費が上がるのでその差額も商品の価格に跳ね返ってしまい、高い物価がさらに高くなる原因となっています。
 どうしたもんでしょう…
 ただ、増産しない産油国側の言い分もわかります。
 現在の原油価格高騰は供給不足ではなく投資対象としてのマネーゲームの結果である、との意見。
 確かにその通りだと思います。
 中国やインドなど、人口の多い国の経済発展に伴い石油の需要が上昇し、慢性的な石油不足になるのは確かでしょうが、最近の急上昇とは直接関係はないのでしょう。
 今後長い期間をかけて徐々に上がって行くのは間違いないでしょうが、中国やインドがここ数ヶ月で急成長をしたわけではないのですから。
 いずれ原油価格が上がるだろう、という目論見だけで投機マネーが入り込み価格上昇を支えているようにも見えます。
 バブルですね。
 サブプライムローンの損失を取り戻そうとか、サブプライムローン問題関係の事情も絡んでいるのでしょう。
 機関投資家が、危機回避のために現在上昇中の原油市場に資金を投下しているのかもしれません。
 困ったものです。
 この原油バブルですが、バブルである以上はいずれ弾けるでしょう。
 問題はそっちの方が大きいかもしれません。
 バブルが徐々に弾け、原油価格がゆっくりと下がっていくのならダメージは少ないでしょうが、もしも一気に下がってしまうと世界中から大量の資本が消えることになります。
 大恐慌の引き金になる恐れもあるでしょう。

 さて、日本は何か対策を採っているのでしょうか?
 何もしていない様に映るのですが…
 国際的な資源問題であり金融問題でもあるので、日本だけが何かをしたところで何も変わりはしませんが、国家として国民生活を平常に維持できる状態を保つのは国民に対する国家の責任でしょう。
 とりあえず、一時的にでもガソリンなどの税金を全面廃止するとか、そういったことは必要かもしれません。
 税金が下がればガソリン代はかなり下がるでしょう。
 原油高以前の水準までは下がるはずです。
 ガソリン関係の税金は、たしか道路を作るためにしか使わないはずです。
 仮にガソリン税を一時的に全廃しても、新しく道路が作れなくなるだけで、その他の行政サービスには影響は出ないはず。
 道路工事の公共事業頼みの業界は大変でしょうが、ガソリンの値段が下がれば日本中が助かります。
 日本経済全体が崩壊するよりは、業界一個が崩壊するだけで済むなら安いもの、といえるかもしれません。
 残酷な考えではありますが、一部を生かすために(その一部を含む)全体を犠牲にするのは賢い選択とはいえないでしょう。
 一部の犠牲で済むのなら、積極的にそういう政策を採る非情さも時には必要でしょう。
 普段から弱者を平気で切り捨てるような政策を採っているのですから、こういう時ばかり「できない」というのは筋違いです。
 昨日まで存在しなかった道路が完成するのが、明日ではなく数年先になっても経済全体から見ればさほど大きなダメージではないでしょう。
 老朽化した道路の補修も大事ではありますが、数年間なら保つ場所も多いでしょう。
 原油高で経済が崩壊するよりは減税をした方がマシでしょう。
 原油高が収まるまでの間の、一時的な減税は必要なのではないでしょうか。

 追記
 原油高でガソリンなどの使用量が減り、温暖化対策になった、などという皮肉な結果にはならないで欲しいです。
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 日本に環境NGOからの批判が集中しています
 「本日の化石賞」にも選ばれてしまいました…
 まぁ、当然でしょうね…
 何だかとっても情けないです。
 日本は京都議定書の議長国でした。
 それがこの有様…
 京都議定書の際には議長国だったから、カッコつけたかっただけだったのでしょう。
 日本だけではないのですが、結局どこの国も本気で環境対策など考えていないのではないでしょうか。
 環境保護や温暖化対策をしなければ、そのうち人類は滅びるでしょう。
 ですが、それがいつの事かはわからない。
 例えば、今年やらないと来年滅びます…と言うぐらい早急な問題ならすぐに対策を考えるでしょう。
 しかし滅びるのが100年先か500年先かわからない…
 今すぐにでも対策を立てないと引き返せないところまで、すでに来ているのかもしれませんがそういう危機感を肌で感じているわけではない。
 自分達が生きているうちに起こるかどうかもわからないことに、積極的になれないのは仕方ないのかもしれない。
 むしろ各国とも経済発展をさせ、国民生活を豊かにすることには積極的だ。
 それはすぐに肌で感じる事ができるし、国民からの支持も受けやすい。
 権力者は権力の座にしがみつきたいものです。
 民主主義国家においてはその権力は国民の支持によって成り立ちます。
 では国民はどんな人間を支持するのか。
 ・環境を保護するために、みんなで不便な生活になって貧乏になろう。
 ・環境をぶっ壊してでも、みんなで豊かになっていい生活をしよう。
 こんな二択を出されたら、多くの人が後者を選びます。
 環境意識の高い国民性ならともかく、そうでない国のほうが多いでしょう。
 本当は生活の質を落とさずに環境保護をできるギリギリの線を探る、というのが現実的なのでしょうが、それをやろうとすると今まで一生懸命手間隙かけて開発してきた新技術を無償提供しなければならない、という事態にもなってきます。
 自分達が一生懸命作ってきたものをタダであげる…納得できる人は少ないでしょう。
 個人個人のエゴが無責任な政府を生み出し、そして人類を滅亡へと追いやる。
 だからと言って今まで開発してきた新技術を、経費さえ回収できない段階で無償提供などできない。
 個人のエゴ、とは言ったものの人間にはそれぞれに生活というものがあり、人類のためにお前は死ね、というわけにもいきません。
 先進国も発展途上国も問わず、全ての人類が高い意識を持たないと根本的な解決は不可能ですが、そもそも全人類の意識を高める事自体が不可能。
 根本的な解決が無理なら、その場しのぎの解決策に頼るしかなく、それゆえの決定力の弱さが中途半端で無意味な国際状況を生み出す。
 誰か(どこかの国)が自らの利益(国益)を犠牲にしてでもリーダーシップを発揮して、世界全体を引っ張っていくしかないのだろうが、そうした所で他国が付いて来る保証はどこにもない。
 各国間に共通認識も無ければ信頼関係も無い。
 お互いに駆け引きを行っているうちに人類が滅亡する、そういう状況になりつつあるようです。
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 何だか気になるニュースを発見しました。
 「天下り官僚、新天地は外資?投資ファンドがラブコール」だそうです。
 ものすごく違和感があるのですが、その違和感に止めを刺すような文章がありました。
 日本に上陸している外資系投資ファンドが高級官僚をスカウトする理由が「所管業界に顔が利き、与野党の有力政治家や中央省庁にも人脈をもっているため」だそうです。
 つまり天下りさせて口利きをさせよう、という考え。
 今までも天下りは利権の温床で、日本の財政を悪化させる原因の一つでしたが、それでも国内の企業の場合はそのお金が国内で流通するので、まだマシでした。
 ですが今度は外資系。
 天下って利権を使って莫大な利益を国家から吸出し、その結果潤うのは外国…
 正確なところはわからないのですが、こういうのを売国奴って言うんじゃないでしょうか?
 日本の国益を、国内の資産を、外国に売り渡すようなマネが許されるんでしょうか?
 天下りはいけませんがそれが国内なら、お金の流れが原則として国内の中で動くので、経済の活性化にプラスに働く面もあるでしょう。
 公共事業などそのいい例です。
 それを外国に渡す…
 国内経済そのものを海外に譲り渡してどうするつもりなんでしょう?
 公務員だって人間です。
 職業選択の自由はあるでしょう。
 ですが、その転職先で在職時の影響力を使って不当に利益を生み出すのは、国家が相手の場合は絶対に許されません。
 天下りをさせるなら口利きをした時点で厳罰に処す、ぐらいの罰則が必要でしょう。
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 昨日の記事「電子マネーの不正取得」に関連してこういう動きがあるようです。
 「電子マネー法の制定」を検討
 いままで経済の発展を邪魔しないよう規制をしないでいた電子マネーですが、運営会社が破綻した場合などの利用者保護が不十分なため、電子マネーに関して利用者保護を目指した「電子マネー法」を制定するよう検討を始めたようです。
 遅い、というような気もしますが、まぁいいでしょう。
 どこかの会社が経営破たんする前に法整備を行って欲しいものです。
 現在のままでは運営会社が倒産すれば、預けていたお金が全て無くなってしまうようですから。
 元々通貨に代わって使われるためにあるのですから、法整備が無かったことが不思議です。
 日本という国は「自国の通貨の価値」というものの重要性がわかっていないのでしょうか?
 通貨というものは絶対的な信頼のもとに成り立っている制度です。
 その信頼がなければ一万円札だってただの紙切れです。
 ただの紙切れを「一万円」の価値があるものとして流通させていられるのは、通貨に対する絶対的な信頼があるからです。
 なので通貨を使う経済システムを使うなら国家はその信頼を保つために、不断の努力をしなければならないはずなのですが…
 どうもそういう現代社会において「基本的なこと」がわかっていないようです。
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 ちょっと面白い研究結果が発表されました。
 「離婚をすると地球環境に悪影響がでる」らしいです。
 離婚そのものが悪いのではなく、離婚する事によって世帯数が増え(別居するから当然ですよね)その世帯数増加がエネルギーの浪費を促し環境を破壊する、ということのようです。
 この研究は離婚に限って行われているようなのですが、この理屈で行くと離婚だけでなく一人暮らしも環境を破壊する、ということになります。
 人間が複数で住めば、冷暖房費や光熱費、水道など様々な面で節約ができます。
 当然ですよね。
 エアコンで空調の整った部屋を二つ作って一人ずつ居るより、一つの部屋に二人で居た方がエアコン使用のエネルギーは一部屋分で済みますから。
 料理などのための消費エネルギーも一度にたくさん作った方が、少しずつ何度も作るよりは省エネになります。
 水道も、海外はともかく日本の場合だったら風呂にためる水の量が大きく影響してくるでしょう。
 一人で入るために大量のお湯をためるより、複数の人数で入るためにお湯をためる方が当然湯量は少なくて済みます。
 この研究結果の場合、建築などのコストも含まれています。

 これらの考えの結果、少人数で暮らすのは環境に悪い、という結論を出したようです。
 なるほど、面白い考え方です。
 こういうデータを出されると、集団生活の方が環境負荷が小さいという事がわかります。
 突き詰めていくと下宿(懐かしい響き)や寮生活、ルームシェアなどは環境に優しい暮らし方であるという事になるようです。
 最近は減ってきていますが、銭湯などもエコロジーなのかもしれませんね。
 他人の人生に対して「環境保護のために離婚をするな」とは言えませんし、プライバシー意識の高まった現代では集団で生活する事に抵抗のある人もいるでしょう。
 個人の価値観を「環境保護」の名目で無視することはできませんが…

 環境負荷を減らすには「みんなで共有する」という考え方も一つの方向性になるのでしょう。
 一部ではこの共有という考え方のもと、カーシェアリングを行っている人たちもいます。
 カーシェアリング…名前の通り自動車を共有するという考え方です。
 実際に制度として様々な物を共有する、というのは難しい面があるでしょう。
 しかし、見方を変えれば「レンタル」だって立派な共有です。
 CDやDVD、本、レンタカーなど現代では様々な物が「レンタル」という形で共有されている、という言い方もできるでしょう。
 「レンタル」が環境に優しいのかどうかは正直わかりませんが、もし何かを「レンタル」する機会があればそんなことを考えてみるのもいいかもしれません。
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 電子マネーを不正取得する事件が起きました
 逮捕されたのはIT関連会社の社員等、5人です。
 その手口が驚きです。
 「金融機関への申し込み画面にあった「1000円」の表示を「1円」と書き換えたところ、1円で1000ポイントが購入出来たという」(毎日新聞の記事より抜粋)だそうです。
 とても簡単ですね…
 プログラム上の問題もあったらしく、現在は修正されているのですが、貨幣価値のあるものがこんなに簡単に偽造できるということ自体が驚きです。
 もちろん悪意を持って端末を操作した犯人が一番悪いのですが、電子マネーというシステムを使い始める段階で、こういう事態は容易に想定できたはずです。
 逮捕の罪状は「電子計算機使用詐欺などの疑い」となっていますが、実質的には通貨偽造です。
 偽札やクレジットカードの偽造はそう簡単には行えないように、偽造防止措置がたくさん取られています。
 図書券やビール券でも偽造防止技術は使われていました。
 電子マネーはこれら商品券と比べても、非常に使用用途が広く、その使用対象は機械である事も多いです。
 自動改札や自動販売機、コンビニの会計も電子マネーで行われるようになりました。
 従来の紙幣やカードなら人間がチェックするので、偽造が見破れる事もありましたが、電子マネーの場合ただの電気情報です。
 人間の目には触れずデータのやりとりがなされるだけ。
 もしも、電子マネーを入金する機械が流出し、それを悪用し改造する人間がいれば、電子マネーのカードに、何回でも自由に好きなだけ入金する事ができてしまうかもしれません。
 まるで打ち出の小槌です。
 防止のためにオンラインでの照会作業などを行うのかもしれませんが、ハッキングされてデータをいじられたらそれでオシマイです。

 通貨が偽造されると、貨幣価値が下がってしまいます。
 偽物が多く出回れば実体経済よりも多くのお金が流通することになるので、経済に破綻をきたします。
 現在は偽札を作るのはとても高度な技術が必要なので一部の人間しか行えず、偽造紙幣の流通量も全体から見れば極わずかでしょう。
 しかし、この電子マネーの偽造が簡単に行われると、今までの偽造とは社会に与える影響が違ってきます。

 便利な世の中になるのはかまいませんが、それに伴うリスク管理が行われていないのが気になります。
 今のところ起きてはいませんが、もし電子マネーを扱っている会社に何かが起きたら、そこで扱われていた電子マネーはどうなるのでしょう?
 会社に起きる何か…例えば倒産、いつ起きるかわからないリスクとしては天災。
 データを保存しているコンピューターが故障したら、そこに保存されているデータは消えてしまうでしょう。
 当然、電子マネーとして預けていたお金も消えます。
 ネットバンキングに関する不正アクセスも起きています。
 今までは実物のお金が動くので、防犯もしやすく異変にも気付きやすかったのですが、ネット上でのやりとりとなると何が起きるかわかりません。
 クレジットカードの番号を盗み見て、商品を不正取得するという詐欺も起きているようですが、コンピューターウィルスを使って知らない間に財産の全てが奪われていた、という事態も起きるでしょう。

 この事件、社会的な扱われ方は小さいですが内包している問題は大きいです。
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